マリーゴールド *1*
「ただいまー」
「おかえり」
塾から帰ってきた真奈に先に着替えるように言ってキッチンへ戻る。
手早くご飯をよそって、味噌汁を温めて。おかずをよそっていると真奈はすぐに階段を下りてきた。今日はよほどお腹が空いているのだろう。ちょっと待っててね、と言いながら飲み物を入れて、向かい合うと二人でいただきます、と手を合わせた。
食べ始めた途端、真奈があのね、と話し出す。
「うちのクラス、またカップル出来たの」
秋も終わりに近づいている。それはつまり一年の中でも一番恋人達が盛り上がるクリスマスが近づいているということでもある。
それは中学生にとっても一大行事であるようで、一週間に一組は真奈からカップル成立の話を聞いていた。
「真奈ちゃんは?」
からかうように言うと、少し照れながら唇を尖らせた。
「気になる人はいるよ。好きかって聞かれたら、よく分かんないけど」
真奈ちゃん、恋してますな。まあ、こういうことは他人に教えてもらうことじゃないからね。いつか自分ですきっていうのがどういうことかわかるまで、お母さんは見守るわよ。
内心ほほえましく思いながら、質問を重ねる。
「どんな人がタイプって言ってたっけ?」
「優しくて面白いひとかな」
あらあら、即答で模範解答みたいなこと言っちゃって。これは友達とガールズトークをする時の約束事みたいなものなんだろうね。
「あとはやっぱり真奈より背高い人!」
「そのうち見つかるよ、素敵な人」
「そうかなあ」
そうだよ。私にだって見つかったんだから。どんな言葉を聞いてもその人のことしか思い浮かばなくなるくらい、素敵な人がいつか見つかるよ。
「お母さん、なんで笑ってるの?」
知らず知らずのうちに頬が緩んでいたらしい。なんでもないよ、と言いながらも、真奈からの、なんで、どうしてはかわしきれない。子供は親の変化に鋭いのだ。
優しくて、面白くて、か。背も私よりずっと高かったし、私にとってはあの人しかいない。
娘の口から出てくる言葉を聞いていちいち彼のことを思い浮かべる私、おかしいだろうな。
そんなことを思っていたと言ったら、真奈はどんな顔をするだろう。
「お父さんのこと考えてたのよ」
「かっこよかったなーって?」
期待するように目を輝かせて、身体を乗り出す真奈にううん、と首を振る。
「今日は何時に帰ってくるかなーって」
絶対嘘だー、と騒ぐ真奈を含み笑いでごまかす。
しばらくうーんと唸っていた真奈だったが、ねえ、といたずらっぽく笑った。
「お母さんとお父さんの話聞いてみたい! いつもごまかすじゃない」
「そうねーどうしようかな」
「お願い!」
先程思いがけず昔を思い出して顔がほころんだのも手伝った。たまにはいいかな。
「わかった。ちょっとだけね」
きっかけは親友がサッカーの試合へ応援に行こうと言ったことだった。幼馴染が幼いころからサッカーをやっていたおかげでさすがに見飽きていたし、普段なら間違いなく断るのに、その時はしぶしぶだがついて行ったのだ。たぶん断り続けていて申し訳なくなっていたのだろう。今となってはあの頃の気の迷いに感謝なんだけど。
会うたびサッカーの話ばかりしていたサッカー馬鹿の幼馴染は、高校に入ってから「孝ちゃん」の話ばかりになっていた。
久しぶりに見たサッカーの試合。なかなかに楽しかったことを覚えている。
そして何より、目で追いかけたい存在が見つかった。
遠くからじゃどんな人かなんて分からなかったけど、外から見ているだけで二人が信頼し合っていることが分かった。そのひとが、ほかの人からも信頼されていることも。
ああ、あのひとが「孝ちゃん」なんだろうな。一目でそうわかったの。
そしてあの時、運命が変わった。
親友が気になってるという人に差し入れを渡しに行く間、大会パンフレットなどが置いてあるところをうろついていると、思いがけず迷ってしまったのだ。
早く待ち合わせした場所に向かわないと、待たせてしまう。告白するわけじゃあるまいし、差し入れを渡すだけならきっとすぐに終わるだろう。
こんなところで迷ったなんて恥ずかしすぎるけど、早く誰かに道を聞いて彼女のもとへ戻ろう。そう思って私は噴水のそばで一人たたずむサッカー部らしい人に道を聞こうと近づいた。
あれ、この人――
道を聞いてる途中でふと気づいたら、しゃべっている人は「孝ちゃん」だ。
そっか、あなたが。
「ありがとうね、孝ちゃん」
そう言って、彼の前から立ち去った。きっとまた会う、と思って。
私が思ってた通り、孝ちゃんとはまた会うことが出来た。……会いに行ったんだけどね。
私のことを覚えてくれていて、同じ趣味だってことも分かって。
あっという間に仲良くなって、二人恋に落ちた。
別々の大学に進んだ大学時代にはすれ違ったり、決して全て順調にやってきたわけではない。合宿に行っているはずの日、急に涙をためながらバイト先へ現れたのには心底驚いたっけ。
でも、それでも、お互い大好きで居続けられたから、ここまでこれたんだ。