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驚き

 何故ここに彼女が。そう思うと同時に僕は大勢の人の前で惜しげもなく声を上げていた。


 時間は今朝に遡る。後輩、関口の件の後ちょうどいい頃合になったので僕は持ち場へと向かった。持ち場では力仕事が主で薬品やその他の整理をしていた。

 白衣着てするような作業でもないと思ったが看護師に男手も少ないこともあって汗を流しながら動いた。病院内は空調が管理されていて、暑くもなく寒くもない感じだが多少寒いくらいがちょうどいいと思えるようには汗はかいた。患者のための空調だ。従業員には優しくない。などと多少愚痴もらしている間にはお昼になっていた。

 午後一時、とりあえず一時間休憩がもらえる。僕のお腹はそれよりも一時間も前に空っぽであることを主張していた。

「お腹減ったなー」

 誰もいない作業室だからか、先ほどからちらほら独り言が口に出る。照明はしっかりしていて薄暗くはなく陰気くささもさいが薬品と戯れているとどうにも寂しくなる。

「はー、これ仕舞ったらキリがいいし、売店でも行こうかな」

 手に持った薬品のビンに対して話しかけるような口調で言う。

「あら、関口はいいのか?」

 ビンが僕の独り言に返事をした。そんなことはない。声は僕の背にあるドアからドアを開ける音とともに聞こえた。誰かが入ってきたのだろう。ドアに背を向けているので入ってくる人物はわからない。数歩歩いて足音が止まったので僕は顔を上げる。

「おっ、菊池」

「おっ」

 僕と同じ口調で返事をした同僚の菊池沙耶香は男の同僚がいないこの職場で唯一僕と男口調で会話できる奴だろう。髪もショートカットで前髪にはいつもピンをつけている。ナースというよりスポーツ選手といったほうがしっくりくるだろう。

「それで、関口って?」

 僕は先ほどの発言を掘り返す。

「今朝の関口の焦った声、隣の隣の部屋のアタシのところにも聞こえてきてな。一緒にいたんだろ?」

「あぁ、今朝はちょっとな。やっぱ声聞こえていたか……」

 少し肩が重くなる。隣の隣で聞こえるほど大声をあげたのか、関口は……。深夜に叫ぶ老人とほとんど変わらないじゃないか。

「それからは関口はミスしてないのか?僕はここにずっといたからわからんが」

「うん、誰からもそういうことは聞いてないね」

「それなら、よかった」

「いやーしっかしお前も大変だなー」

 くくくと笑いながら菊池は俺の腕を叩く。

「本当に。じゃあ、いまからちょっと様子を見に行ってみようかな」

「世話焼きだねー、お昼は?」

 菊池に言われた途端、僕のお腹が鳴る。僕のお腹の音は部屋中に響く。

「あはは、やっぱりか?」

 口を大きく開けて菊池は笑う。こいつは本当に、なんというか、品がない。まぁ、そこが気楽に会話できていい部分なのも認めるが。

「関口見にいくの、代わってあげてもいいけど」

「えっ、いいのか」

 思ってもみない相談だった。

「そのかわりにね、パン屋に行って欲しいんだ」

 菊池は僕にニヤっと笑い言った。

「は?パン屋?」

「このあたりに最近出来た、ベーカリーエヌってとこ」

「あぁ、ここの近くにあるやつか」

「そっ、今日車で来てるでしょ?」

 なるほどそういうことか。要は関口の心配をあえて僕にさせてから関口の面倒を見るという交換条件で僕をパン屋に行かせるつもりだったのだろう。菊池は確か徒歩だったし。

 僕も僕でお腹が膨れればなんでもいい。売店で済ませようと考えていたが、そのパン屋も遠い距離ではない。昼休憩が足りなくなるということはまったくないだろう。

「わかったわかった。何買えばいいんだ?」

「んー、適当に美味しそうなやつ」

「了解。じゃあ、ちょっと関口頼むわ」

「まっかせなさーい」


 ということがあり、Bakery-Nに来たのだが、そこで思わぬ人物と出会ってしまった。

 桜井菜々。昨日すれ違った時に目を惹かれ、その後同僚に情報を貰い盲目だと判明した、彼女。

 真っ黒なロングヘアで昨日とは違うふわふわとしたフリルのついたYシャツの上に真っ赤なストールを羽織ったその姿はやはり美しかった。身長は僕より頭ひとつ小さいくらい。昨日は気付かなかったが普段は目を瞑っているみたいだ。それさえ除けばどれをとっても普通の女の子だった。

 桜井菜々を見て僕は開口一番で大きな声で叫んでしまった。盲目のせいもあってか怯えている。その姿もまた愛らしいと思う前にとりあえず謝罪を述べる。

「お、大声をだしてごめんね。」

「えっ、だ、誰……ですか?私、目がよく見えなくて……」

 震える声で桜井菜々は口にする。初めて聞いた彼女の声もとても可愛くて、とにかく状況を説明しようと僕は必死になる。

「あ、あぁ、知ってる。君は桜井菜々、さんだよね?」

「えっ、どうして目のことを、てかどうして名前を、ええっ」

 まずい、どんどん不安にさせてしまっている。目が見えず、知らない人と会話をするということはとても怖いことだろう。それでも桜井菜々は僕の言葉に返答してくれている。それがすこし、嬉しかった。

「えっと。昨日病院に来てたよね?僕はそこの看護師なんだ。驚かして、」

 ごめん、と言おうとした時だった。

「菜々……?」

 桜井菜々の後ろの影から髪を後ろに束ねた顔立ちの整った美しい女性が顔を出す。

「お母さんっ!」

 その声と共に瞬時に桜井菜々は母親の影に隠れる。子猫が親猫の背中に隠れるように。子猫は影で震えている。

「あの……、菜々になにか……?」

 桜井菜々の母親は怪訝な顔をして僕に問う。怪訝な顔は次第に鋭くなり疑惑の目つきに替わる。上空からネズミを狙うタカのごとく。ピリピリした空気が半径数メートルの僕らを包み始める。いや、ピリピリした空気を感じ取っているのは僕だけなのかもしれない。脳内にはとまどいが駆け巡り、神経は麻痺しながらも喉の渇きを訴える。

 焦りが僕を支配するのがわかる。ここで疑われてしまえば僕はもう桜井菜々に容易に近づけなくなる。

 こうなりゃ考えてもだめだ。流れに任せて口を動かせ!

「あっ、今日付けで新しく菜々さんの担当の看護師になりました、相川と申します。菜々さん、と、お母さん、急にお声をかけてしまってすみませんでした。次回の来院の前には挨拶をしておきたいと思っていたんです。」

 早口でそういい終えた僕は、逃げるようにその場を立ち去った。

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