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日常

 朝とは視覚的に感じるものではないと思う。夜の決まった時間に床に就くことができれば、身体はほとんど決まった時間に覚醒し、動き始める。夜、眠りについてから次に目が覚める時間、それが朝。目が見えない私が目が覚めるという表現を使うのもおかしな話だ。思わず笑みがこぼれる。しかし、目が見えてなくても目は覚める。ましてや一日中、もしくは一生目を閉じている私でさえ、目が覚めると身体は起き、睡眠活動からは距離を置く。

 目が覚める。そんな不思議な響きを意識したのはいつぶりだろう。小さい頃は目が見えないことに恐怖や不安を感じることがあった。眠りに就くときはそんな恐怖からも逃れてただ楽しい夢の世界へ行けるとお母さんが教えてくれた。実際見る夢の世界はなんかぼんやりしてあんまりおもしろくなかったけど。

 そんな世界から目が覚めるという表現は私を不思議にさせた。嫌なものではなかったが、目が覚めてからのことを考えればすこし残念な気持ちになった。

 朝から難しいことを考えたためか。頭の奥がトロンボーンの音のような響きで満たされている。手のひらで優しく頭を抑えながら上体を起こす。ふわっとくる浮遊感が気持ちいい。

 耳を澄ますとドアを一枚隔てた向こうで規則正しい包丁の音が聞こえる。その音と同時に焼いた魚の匂いも鼻に来る。幸せな匂いだ。ずっと嗅いでいたいと思う。

 目が見えなくても、まぶたを常に閉じていてもこんなにも世界は彩りがある。なるほどこれに気付いてからか。私が恐怖や不安を感じずにいられるようになれたのは。

 ぐぅぅ。

 お腹が大仰な音を立てる。前言撤回、ずっと嗅いでいたいなんて嘘だ。今すぐにでもご飯が食べたい。少し格好をつけても私の身体は正直なのだ。

 きっと難しいことを朝から考えたからであると自分に言い聞かせ両足をベッドの脇から地面につける。足元確認、オッケー。周囲をすり足のように足を地面につけながら移動させる。再度足元を確認し終えたら一気に立ち上がる。立った途端一瞬重力により引き戻されそうになる身体を私の二本の足はひざを曲げながら耐えた。

 何度も通り慣れたベッドからドアまでの道を歩きドアノブに手を掛け押した。

 突然、朝の幸せな香りが濃度を増す。私のお腹も限界を訴える。

「おはよー」

 寝起きの情けない声が私の口から出る。家族の前だ。恥ずかしくはない。私の声に最初に反応したのはお父さんだった。

「おはよう、菜々」

 年の割りに低くもなく、かといって高くもない声を出しお父さんは応える。今まで軽快に鳴っていた包丁の音がピタリと止むと呼吸を置いてお母さんの声が聞こえる。

「おはよう、菜々。ごはん出来たわよ」

 お母さんが食器を机に置く音と共に私はいつもの席に座る。手とおしりに木の滑らかな感触があたって気持ちいい。クッションがなくてもこの椅子は特別ずっと座っていても痛くならない代物だ。

 お母さんがいつもの場所に食器を並べてくれる。そのおかげで私は食器の位置がわかる。

 食器を置き終わった音が響くと同時に私は口を開く。

「いただきまーす」

 遅れてお父さん、お母さんの順にいただきますを言う。

「今日はご飯と味噌汁と焼き魚と納豆ね」

「うぇー、納豆?めんどくさーい」

 納豆は苦手だ。味は嫌いじゃないがどうしてもあの粘りが予測不可能なのだ。顔についたり手についたりするのがたまらなく気持ち悪い。

「よし、じゃあお父さんが食べさせてあげよう」

「それはいい」

 私はバッサリと言い放ち納豆がある位置へと手を伸ばした。指は一、二回空を切ったが器を掴み自分のもとへ持ってきて端でぐりぐりこね始めた。こねているときに伝わる感触は嫌なものではない。若干の弾力も持ち合わせているものを触るのは誰だって嫌いじゃないはずだ。

 こねていると段々粘りが出てくる。この糸にひっかかってしまったら厄介だ。蜘蛛の巣にかかった蝶のように私は精根尽きてしまう。

「お父さんが…」

 まだ言っている。粘りの糸が厄介なのも事実だが、お父さんに食べさせてもらうというのも娘としては誰も見ているわけではないが恥ずかしい。寝起きの情けない挨拶とは大違いなのだ。

 先ほどから何度も言っているお父さんに聞き飽きたので、私はため息をつき、しょうがなく黙って箸と器をお父さんに渡し、口をあんぐりと大きく開けた。

 途端、声には出ていなかったがお父さんの嬉しそうなオーラを感じ、再びこねる音が聞こえる。こねた後すぐにお父さんは私の口に納豆を持ってきた。私の口の周りには糸が付いていない。

「おいしいか?」

「うん」

「そりゃよかった」

「お父さん、また菜々を甘やかしてー」

 そう、お父さんはいつもこうだった。自分でとにかくやれるところまでやらせるお母さんとは違い、お父さんはよく私に手助けをくれた。それでも私はちゃんとその場に応じてお母さんを取るかお父さんを取るか決めてきたつもりだ。それでバランスがとれているのだろう。

 お母さんに窘められたお父さんはちょっとしょんぼりした口調でぶつぶつなにか呟いていたけど、これが私の日常。

 気付いたら笑顔になれる。目には見えないけどお父さんも、お母さんも。そんな気がした。

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