表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

 8 予鈴は失恋の音

 二人始めての共同作業は,お化けゴミ箱を宥めてゴミを入れてやる事だなんて。

 誰が信じる?


 「もう大丈夫? うん。怪我はないのね」


 河村さんは,ゴミ箱に手をそえ声をかけてやる。

 優しいなぁ。ゴミ箱が怪我をするのかというツッコミはあえてしないぞ。

 踊り場に散乱したゴミを全て入れてやると,そいつは軽く会釈をしてバランスを取りながら階段を下りていく。

 慎重に,ゆっくりと。

 どうやら,二度と同じ過ちを繰り返さないというぐらいの知恵はあるようだ。

 短い手足が階段を下りていく。その危なっかしさに息を飲んで見送る。そして階段を下り終わると,向かいの廊下へ向けて全力で走り出す。

 そんな事したら,またコケる! いや,人にぶつかる! 見つかるだろ!

 息を飲んだ,と同時にゴミ箱が驚異的な跳躍をする。

 踊り場でコケた同一ゴミ箱と思えない俊敏さで飛び上がり,薄暗い廊下で蛍光灯を反射する窓ガラスの中へダイブ。そして,消えた。

 手足を生やしたゴミ箱が消えた。

 唐突に教室からざわめきが聞こえ始める。予鈴のチャイムが校舎を湿っぽく包む。

 何が起きた? 何が起きてた? 今,確かに中年男並みに毛深い手足を生やしたゴミ箱が歩いていたはずだ。手の中の紙パックを握り締める。幻じゃない。


 「あぁ,消えちゃったねぇ」

 

 乗り過ごしちゃったぁ……ぐらいの口調で河村さんが呟いた。

 まるで,当たり前のように。この以上な事態を受け入れて日常として捕らえている呟きに,ゾワリと寒気が襲う。

 ゴミ箱が歩くことも,鏡から飛び出すことも,ガラスの中にダイブすることも,ありえないのに。

 少し残念そうな目元,尖らせた口元。いつもと同じ河村さん。これが本当の河村さんなのか?

 落武者が壁を突き抜けて歩き,絵画の貴婦人が微笑み手を振り,鏡からゴミ箱から飛び出す。

 これは怪奇現象のはず。俺の知らない間に世界の日常ラインが変ったのでないのなら。


 「あ,あの,さ。河村さん」


 それとも,世界は超常現象が当たり前になったのか?

 落武者が,手を振るモナリザ夫人が,手足の生えたゴミ箱が。


 「今の見た? 」

 「……予鈴鳴ったよ」


 一寸の間。まるで肯定の返事のような沈黙に,頭の中が真っ白になる。

 そして微笑み。その微笑みは見たことがある。

 伊藤先輩に対する,張り付いた微笑み。

 振り返った河村さんの笑顔は強張っていた。目は俺を見ていなかった。

 いつも見ていた俺の顔を。会話するより見ていたいと言っていた俺の顔を,見ていなかった。

 

 「じゃあ,またね」


 一方的に終わりを告げて,階段を駆け下りて廊下に溢れた人の中へ。手に持った弁当箱がたてる小さな音が消えていく。

 深緑の制服に包まれた集団を見下ろしながら,俺は確信した。

 河村さんは,見ていた。見えていた。

 この学校を闊歩する尋常ならざる物の怪は,見えていた。

 落武者,手を振るモナリザ夫人も。

 この学校を堂々と歩く人非ずモノの存在を知っていたんだ。

 そして,その事を俺に気づかれたくなかったのか?

 あの微笑みは拒絶の表れ。

 いつものエクボも,少し下がる目尻も,綻ぶ華のような空気が漂う微笑みを見せてくれていたのに。

 俺は,何かしてしまったんだろうか。

 見たという事はいけないのか? 一緒の光景を見ていただろうに。

 あの伊藤先輩のように嫌われ何かをしてしまったから,だろうけど。その何かが判らない。

 鈍感と罵られてもいい。俺のやったヘマとは何だったんだ。

 本鈴が,鳴る。雨が降り続く。薄暗い午後が始まる。




 上がり,下る。上がり,下る。何度も繰り返す音程のエレベーターを聞きながら,カウンターに突っ伏して目だけは新館を見上げる。

 吹奏楽部の音が聞こえる。幾つモノ音の中に,河村さんの気配を探る。

 昨日の雨が運んできた心地よい5月の晴天に,爽やかな金管楽器がファンファーレを奏でる。何も始まらないのに。そう,もう何も始まらないのに。

 今日の昼放課に,河村さんは部室に来なかった。雨上がりの澄んだ空気が吹き通る部室で待っていても,放課が終わるまで待っていても来なかった。

 推定は事実になる。

 俺は何かをやってしまった。華のような河村さんの微笑みを失うような大きな失敗を。 


 「モウカリマッカ~」

 「……ボチボチでんな」


 不可解な挨拶と共に入ってくるフィン先生。そして返事をする俺。条件反射で,胃袋が縮みこむのを感じる。

 あぁ,蘇る幼児体験。『赤い靴』の歌を覚えた頃に,誰だか判らないが金髪に碧眼の大男に手を強く引っぱられた記憶。

 何で手を強く引っぱられたか覚えてないが,同時に聞こえた耳慣れない言葉の連発。幼いながらも『紅い靴』の歌詞から『おうちに帰れない』という恐怖に駆られて大暴れして泣き出して,周りの大人が困った顔をしていた。哀しげな碧眼が,俺の手から離れていく大きな白い手が,とても寂しげで。安心と罪悪感が入り混じって,強く記憶に刻まれた。

 あれは一体何だったんだろう。いや,何でもいい。

 とにかくも,俺は外国人を見るたびに『安心感と罪悪感』が入り混じった恐怖を何度も味わう。

 だからフィン先生は招かざる客なのに,ここんとこ毎日お目にかかる。図書室で寛いでいるトコロを襲撃される。

 

 

 

 次回は15日水曜日に更新予定です

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ