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 4 ドッペルゲンガーなんか信じない

 生暖かい風が開け放った窓から通り抜けていく。

 遠くに聞こえるランニングの掛け声。野球部のボールがバットに弾かれる音。テニスボールが弾む音。吹奏楽の単調で繰り返される楽器の音。

 カウンターに頬杖ついて,目を閉じていた。

 学校中が活動している気配がする。その中で,この図書室だけが静寂だ。自分以外の気配はなく,ただ周辺の時間だけが流れている感覚。

 置いてけぼりだ。

 この学校で,俺は再び陸上をやるつもりはない。大会に出ても県出場がせいぜいで。上には上がいることを思い知って。

 自分の才能の小ささに気づいた今,わざわざ転校してもやる気はサラッサラない訳で。

 なんだか年寄りのようだ。

 いや,祖父ちゃんの方がよっぽど精力的なのかも知れない。油絵のニオイの家を思い出し,思わず鼻を押さえため息をつく。

 

 「腹,減ったな」


 誰も来ない図書室は,夕方の赤みの光に包まれていく。

 日増しに長くなっていく陽は,どこかを狂わせる。

 体の奥に眠る,何か。

 それが判らないまま不安にさせていく。焦らせていく。

 得体の判らない感情をもてあまし,感じて,溜息をつく。

 

 「何だかなぁ」


 音階を何度も上がり下がりする楽器の音が,やんだ。

 ふと,顔を上げる。

 そういえば,河村さんは吹奏楽部だったな。あ,大塚も。

 楽器の音が止んだという事は,もう練習終わりなのかな。

 そう思い,音が聞こえてきた新館を見上げる。

 図書館は旧館の三階,吹奏楽部の部室は北側の新館四階。時計台を挟んで斜め上。

 見えるかな。

 何気にそう思って,北側を向いた。開け放たれた窓の向こうを見ようと思って。

 風が不意に,強く吹き通っていく。

 カーテンの留め具がはずれ,音を立てて翻る。

 大海原を後悔する帆のように,風を一杯に受けて膨らむクリーム色のカーテンの波。

 ファンファーレが鳴り響く。

 トランペットが華々しく始まりを告げる。

 

 「お,おい! 」


 カーテンの波間に,いつの間にか白いシャツが見える。襟足を短く切った男の頭が見え隠れする。

 はためくカーテンの向こうに,白いワイシャツに黒のズボンの後姿が窓辺に座っている。

 何時の間に入室したんだろう。

 そんな疑問が浮かびながらも,慌てて立ち上がる。

 低い本棚の上に腰掛けて,足を窓の外に投げ出すように座るその男が振り返る。

 切れ長の,目。はっきりと通った鼻筋。頬骨が余計に鋭さを加える顔かたち。

 相手を見据えるその目は,確実に子どもを泣かしてしまうような強さがある。

 俺はその顔を良く知っている。

 

 「お前」


 俺がいた。

 窓辺に座った俺そっくりな男は,空を見上げていた。

 巻き上がる風が,短くも真っ黒な髪をかき乱して肌の白さを際立たせる。

 鳴り止んだファンファーレ。続く重厚な木管楽器の重奏。流れる音に任せるように,男が振り返り微笑みかけた。

 男にしてはふっくらした唇が,俺と同じ唇が,何かを呟く。

 重なる金管楽器の和音。リードする木管楽器の音。

 はためくカーテンが,視界を遮る。

 そして,風が止み,合奏が止まる。

 そこにあったのは,だらりと垂れ下がるカーテンと誰もいない窓辺。

 ここは,三階。

 カウンターを飛び越えた俺は,恐る恐る窓辺に近づく。

 男は,下に飛び降りた訳はないだろうけど。落ちたのなら,確認して必要な処置をすべきで。

 いや……パトカーを呼ばねばなるまい。

 なけなしの勇気を振り絞り,窓から顔を出して下を覗き込んだ。


 「みゃぁあ」


 小さな黒猫が,尻尾を揺らして歩いていく。

 必要以上にくっついて渡り廊下を歩いていく男子生徒と女子生徒。目を覆いたくなる惨状は何処にもない,平和で穏やかな日常の光景。

 黒猫の小さな背中を見下ろしながら,俺は絶叫を飲み込む。

 ドッペルゲンガー現象。幽霊。学校の怪談。七不思議。

 それらの単語が体から溢れそうになるのを,絶叫とともに飲み込んだ。

 男のプライドをかけて。





 「おや。児嶋くん,出待ちっすか?! 」

 「お前を待ってねーよ」

 「なんだよ水くさいこと言うなよ」

 「気持ち悪いから腕を絡めるな」

 

 そっけない態度をとるも,大塚の明るい声がありがたい。


 「で,図書室の鍵は職員室に返したか? 」

 「おう。戸締りもしといた。電源も切っといた」

 「やりゃ出来るじゃん。っていうか,どうしたんだよ」

 「なんでもねぇ」

 

 新館の昇降口から歩いてくる女子生徒の中,大塚は楽しげに俺の肩を叩きまくる。

 まさか,図書室で幽霊を見たからと言えない。逃げるように図書室からここまで小走りだったとは言えない。薄暗くなった校内で,唯一明るかったココに来ていたなんて,絶対に言わない。

 

 「あ! 児嶋くん」

 「河村さん。よかったら一緒に帰ろうか」


 横からかけられた朗らかな声に,自然と声を返した自分に,驚いてしまう。

 どうした,自分……。

 


 

 


 

 

  

 次回 18日 水曜日に更新予定です。

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