1 モテ期,きたかも
潤んだ黒曜石のような瞳が俺を見つめていた。長い睫毛が音を立てて涙を弾く。
少したれ目な目尻が愛らしく,眉で切りそろえられた前髪に天使の輪が艶やかに輝いている。
「児嶋くんっ」
「は,はい」
肩から黒髪を零し,俺の胸倉を掴む美少女。
夢なのか。これは俺の深層意識に潜んでいた願望が魅せる夢なのか。昼休みの睡魔が魅せた幻なのか。
一緒に掴まれたネクタイが,俺の首を締め上げていく痛みで全てが現実だと判るけど。
それでも,これは夢なのか。いや,人生最大級のモテ期襲来と期待していいのか。
「児嶋くん。私と付き合って下さいっ」
「はぁ? 」
「1組の河村歩美です。付き合ってくださいっ」
河村歩美と自ら名乗り俺の胸倉を掴んで離さない美少女の台詞に,教室中が爆発した。
男どもの絶叫と,女の子の嬌声。
俺は右手に焼きそばパンを持ったまま固まっていた。
転校二日目で告白とかって,ありえないだろう。
でも俺は,何も考えてなかった。
男として夢のような展開の先に待っているオチに,気づく事は出来なかった。
いや,誰も判らないだろう。
彼女の本心も,俺がこの私立誠真館高等学校に転校した意味も。
例えば,だ。
面識のない美少女から告白されるのと,気の合う幼馴染だけど好みじゃない子から告白されるのと。どっちが幸せなのか。
思いっきり殴られるの覚悟での質問をすると,大きな目をさらに大きく見開いた。
「贅沢な悩みだな。オレなんかどっちもOKだぞ」
「大塚ん家は寺だって聞いたぞ。宗教を職業と志す若者がその答えは如何なものか」
「妹が婿養子を取ればすむ話だ。オレはロマンを求めるぜ」
大塚はそう宣言して拳を握り,スキンヘッドに爽やかな朝日を反射させる。
大川駅東口から続く深緑の制服集団の中,オレは昨日の衝撃的出来事の相談をしていた。
転校直後に偶然に口ずさんだオレの鼻歌が,偶然にも席が近かった大塚の好きなバンドの曲だった。ただそれで昼食を取っていた仲だったのに。いや,右も左もわからない俺に同情して一緒にいてくれただけなのに。そのひと時に乱入してきたのが,河村歩美の怒涛の告白。
直後の大混乱で,河村歩美という少女が「学校で知らぬ者はいない美少女」であり「人柄もよろしく」「吹奏楽部の部長」である事を知った訳だ。
男どもの憧れを集め,同性からの受けも良い,そんな出来すぎた少女が突然に正体不明の転校生に告白したのだ。
悩むよ。色々と。
その場に居合わせた縁で,スキンヘッドにすがり付いて今にいたる。
「とりあえず,付き合ってみたら」
「他人事だと思ってるな。他人事だけど」
「いや,本当に付き合えたらラッキーじゃん」
やっぱり他人事と思っているのだろう。
朝の寝ぼけた空気を強制的にたたき起こす駅のアナウンスを右から左へと聞き流しながら,駅構内を横切っていく。
真新しい駅の改札口から吐き出される深緑の集団と合流しながら,俺は胸に抱えていた疑問をぶつけてみた。
「俺さ,一応転校生だから内部事情に疎いから聞くぞ。あの河村って振られたばかりなのか? 」
「入学から付き合ってる噂は聞いた事ない」
「じゃあ,実はとてつもなく性格が悪いとか」
「ありえん」
東口から西口へ駅を抜けた俺達を,朝日を受けて輝く天守閣と城下町が迎えてくれる。
引越し前にネットで調べた観光サイトの「小京都な街 大川市」という文句は洒落じゃなかった。
駅を挟んで現代的な東側と,白壁と瓦の武家屋敷と町家が並ぶ西側。まるで過去にタイムスリップしていくような通学路を歩きながら,唸ってしまう。
そんな俺を横目で見ながら,大塚はスキンヘッドを一撫でして注釈を入れた。
「かなり疑ってるけどな。オレも吹奏楽部だぞ。河村は部長だし」
「うん」
「真面目に部活やってる。今時珍しい良いヤツだ」
「そんな良いヤツが,何で面識のない俺に告白するんだ」
「とりあえず,このハンパな時期に転校してきたヤツだからとか」
「……親の都合だよ」
「そんな事情は知らん。でも,告白されて嬉しいだろ」
「だから,知らない人に告白られても」
「モテ期,きたんじゃね? 」
「……さぁ」
そりゃ,オイシイ展開だけど。戸惑いの方がはるかに大きい。
こういう時ほど,両親と数万キロ海の彼方へ別れた事を後悔しない事はない。
いきなり父親の海外赴任。訳あって同行を拒否した俺は,母親方の祖父と同居を条件に出された訳で。
生まれてから両手で数えられる程しか会ってない祖父は,俺を家から近い私立誠真館高等学校に通学する事を望んで勝手に手続きしてしまうし。
高校二年で転校って,ありえん。
「それに,児嶋って苗字だし」
「それ。初日から言われてる。偶然同じ苗字で無関係だぞ」
「本当に関係ないのか? 大川市で児嶋って言えば,有名だし。寺にもあるんだよ。児嶋家の墓。すんげーデッカイんだ」
墓のデカさを語られて,俺はどうしろというんだ。
「だから,無関係の過去の人の事言われても困るんだよ」
「誠真館高校も元々は藩校だったのを児嶋家が私財を投げ打って創ったらしくてさ……」
オレの困惑を無視して,大塚は熱く児嶋家の歴史とこの街の歴史を語りだす。
郷土愛溢れた言葉を聞き流しながら,城下町の次に立ち並ぶ昭和のニオイ漂う商店街から顔を出した煉瓦の時計塔を見上げた。
新緑の蔦が絡まる西洋風の時計塔と鉄筋コンクリートの校舎。
一ヶ月前まで知らなかった,まったくご縁のなかった俺が,通う事になってしまった巨大な檻。
微妙な高二の転校だから,目立たずこっそり過ごそうと思っていたのになぁ。
毎週水曜日 朝8時に更新予定です。
後書きで次回更新日を予告していきます。
この作品にいくつかの地名やら出てきますが,完璧にフィクションです。知っている地名や良く似た場所が出てきても偶然です。念の為。
次回,5月4日 水曜日に更新予定です。
よろしくお願いします。