「女友達との仲を怪しむなんて無粋だ」と怒った割に、正しい疑惑だったようですね?
とあるお茶会の席で、マリアンネは婚約者のディートリヒの隣に座り、周囲の視線と耳を集めるリーゼロッテの話に静かに耳を傾けていた。
リーゼロッテはチラチラとこちらを見ながら、小さく微笑んで話をする。
「使用人の少ない小さな別荘で二人ゆっくりと過ごす時間はとてもロマンティックで有意義だったわ。邪魔するものなんてなにもなくて……」
ポッと頬を染めながら、リーゼロッテは話し続ける。
「窓から小さく海が見えて遠くに沈んでいく夕日を眺めながら、未来のことを話したの」
「素敵……」
「わたくしも婚約者と旅行に行きたいわ」
リーゼロッテの話を聞いたお茶会の参加者は彼女の語る光景を思い浮かべて口々に感想を言った。
しかしマリアンネはとても、そんな気分にはなれない。
「是非、行ってみて。誰の目も気にしなくて良い場所だからこそ、あたくしたちはより深くお互いを知ることが出来たから。愛の言葉をささやきあって、深く愛し合って……彼には自分でも知らない位置にほくろがあるのを密かに知ってしまったりして」
「まぁっ」
「あらぁ……」
リーゼロッテは桃色の髪を緩く揺らし小首をかしげてクスクス笑った。
その目は明らかにマリアンネのことを見据えている。
もとより二人のことについては感づいていた、しかし決定打がなかった。
けれどもこれで確定だろう。
彼女が婚約者と旅行に行ったと言っている日、ディートリヒも数日間予定が入っていて連絡を取ることが出来なかった。
それにこの目、明らかにマリアンネのことを見下している。まるで勝者が敗者を眺めるみたいに優越感が瞳に浮かんでいる。
「ちょっ、君な!」
リーゼロッテの言葉にディートリヒが反応して、恥じらった様子でリーゼロッテをたしなめるような声を出す。
しかし彼女は素知らぬ顔でとぼけて返す。
「ええ? どうしてディートリヒが怒るの? あたくしはただ婚約者とのことを話してるだけなのに」
「っ、そうだけれど、そ、その婚約者だって自分のほくろの秘密をばらされたら恥ずかしいだろ、だから止めてやったんだ」
「ふふふっ、ディートリヒったら優しい」
リーゼロッテはコロコロ笑う。
お茶会の参加者達は皆ニコニコとしている。気がついて居ないのかはたまた、わかった上で突っ込まないのかマリアンネには判断がつかない。
しかし、ごまかすにしてもあまりにお粗末だ。
ディートリヒはともかくリーゼロッテは明らかに、隠し通す気が無い。
見かねてマリアンネは口を開いた。
「あら、ディートリヒ。あなたまるで、自分のことみたいに反応するんですね」
「……」
「……」
マリアンネがそう言うと、応接室に居た全員の視線がマリアンネに集まり、誰も口を開かない。
妙な空気がつつむ中、数秒おいてリーゼロッテが言った。
「そうね。本当にディートリヒって昔からこう、優しくて少し抜けてて、でもそこが良いところでしょう?」
「……そうですね」
「あたくし、昔からディートリヒの友人だもの。ディートリヒのことなんでも知ってるわ。ただ秘密を広められてかわいそうなあたくしの婚約者に共感してしまっただけだわ」
「……」
「あなたと違ってあたくしはちゃんとわかってるもの。ね? ディートリヒ」
リーゼロッテはうまく話を運んでいく、その中でも自分がディートリヒのことを深く知っていて、マリアンネよりも理解していることを示すのを忘れない。
問い掛けられたディートリヒも、切なそうな嬉しそうな顔をして「ああ」と感嘆するような声を漏らす。
「君という友人が居てくれて私は幸せ者だな、リーゼロッテ。にしてもマリアンネ、君は……なんというか」
そこで言いよどんで、それから軽蔑するような目をマリアンネに向けた。
「無粋だな。ただの友人なのに関係をむやみに怪しんだりして。そもそもその発想が気持ち悪い」
「……なるほど」
「そんなふうに怪しむなんて、自分は男女の友情をしらない悲しい人間ですって言ってるようなものだぞ」
「仕方ないわよ、ディートリヒ、なんてったって公爵家の跡取りだもの。気を許せる友人なんて一人も居ないのだわ」
ディートリヒの言葉に、リーゼロッテはマリアンネをフォローするようなことを言ったがまったくフォローになっていない。
それどころか貶していた。
「だから、空気も読まずに変な疑いをかけたりするのよ。今度から気をつけた方が賢明ね」
「ご忠告ありがとうございますわ」
「いいえ、これからもディートリヒのことをよろしくね、マリアンネ様」
「マリアンネ様ー、お疲れ様でーす」
マリアンネが自室で読書をしていると、事務官見習いのユリウスが顔を出した。
彼の手には書類の束が抱えられており、マリアンネはパタンと本を閉じて、彼のことを見上げた。
「お疲れ様。調書はまとまりましたか?」
「はい、もちろん。一日の過ごし方から、口癖、体の特徴までバッチリと」
向かいに腰を下ろして、ユリウスはローテーブルに書類を置いた。
それらは相当な量があるが、ユリウスは数日の内にまとめてくれた。
肩書きこそ見習い事務官だが、彼はもう立派にマリアンネの仕事を補佐してくれている立派な従者だ。
さすがは将来、マリアンネの生家であるクラッセン公爵家を支える家臣貴族の出身である。
早速書類を一枚手に取って、目を走らせた。
「……それにしても、マリアンネ様-」
「なんですか」
「これ……ただの平民の証言ですし……正直これってあまり意味が無いようなー……いや、もちろんわかってるとは思ってますけど」
書類に目を落とすマリアンネにユリウスはおずおずと問い掛ける。
ユリウスにまとめてもらったのは、たしかにただの平民の証言だ。
貴族の間の問題に、簡単に買収されてしまう平民の言葉は証拠として能力を持たない。
だからユリウスがそういった疑問を持つのは当たり前だ。
しかし、意味はある。
なんせこれは、あのディートリヒの元で勤めていた上級平民の証言だ。
少々手を回して買収したのである。
「そうですね……ええ。……あなたはお茶会の場にいませんでしたね、ユリウス」
「まぁ、侍女でも、騎士でもありませんし、俺」
「なら、改めて説明しておきましょうか」
「わー、嬉しいです」
ユリウスは間延びした声で喜んで、その素直な反応にマリアンネも気が緩んで話し出す。
マリアンネがやろうとしていることは正直喜ばれるようなことではないので、他人に明かす気は無かったが、彼にならば良いだろう。
そう思えるだけの積み重ねてきた長い時間が二人の間にはあった。
「まず、大前提として私の婚約者ディートリヒとその友人のリーゼロッテはただの友人ではありませんわ」
「そうっぽいって言うのは、証言をまとめてたらなんとなくわかりました」
「ただ、疑うにしても彼らは崇高な友情を盾にして、私の話をとり合おうともしません」
「わー……」
「もちろん話し合いで解決出来るのならばそれが一番でしょう。しかし難しい」
隠そうという気も無いような行動と、マリアンネに対する明確な敵意。
それはきっちりと前回のお茶会で伝わった。
そうなればできることは限られてくる。
一つは正当な手段、証拠を集めて貴族同士の契約をとりまとめている王族に訴えを起こすこと。
二つ目は泣き寝入り。
「だからこそ、行動を起こさなければ解決しない。放置するつもりはありませんわ。さすがに……ね。無粋などと言われましたから」
「無粋? マリアンネ様が?」
「はい。美しい男女の友情を色恋でけがして疑うなどと、無粋だと」
「わぁ……逆ギレですか」
「見事なね」
「見事ですねー……」
マリアンネが皮肉を込めて「見事」だというとユリウスも笑って頷く。
「けれどね、証拠を集めてしっかりと対応するにしてもこちらは酷く労力がかかる。疑われるとわかった上で、私に喧嘩を売っているのだから簡単には証拠を取らせないでしょう?」
「……それでも、公爵家の力をもってすれば、事実を糾弾するぐらい、出来るんじゃ……」
「わかってますわ。でも、なんて言うのかしら」
ユリウスはマリアンネが言葉を言いよどむと、首をかしげてまっすぐにマリアンネの言葉を待つ。
マリアンネはしっくりとくる言葉が思い浮かばなくて顎に手を当てて考えてそれから口にした。
「……全力を出して勝つよりも、片手間で打ち負かしたい」
「……マリアンネ様って案外負けず嫌いですよね」
「嫌ですか? 主がこうでは」
「いいえー、かっこいいです」
「あら、嬉しいです。その言葉に恥じない成果を得られるように、せいぜい奮闘しましょうか」
「お手伝いしますよ」
ユリアンはマリアンネの言葉に小さく拳を握って自分も協力するとアピールした。
彼は昔からこうしてマリアンネの手足となってくれる。マリアンネは実は、自身はあまり性格が良くないと思っているが卑屈になったことは無い。
いつでもこうして、まっすぐな意見を言ってくれる大切な従者が居てくれるから。
間違えること無く前へと足を進められる。
「って、あ! まだなんで、平民から調書を取ったのか聞いてないですよー!」
「そうでした、では私がこれから何をするか説明しますね――」
クラッセン公爵家主催のパーティーにて、前回のお茶会で味を占めたリーゼロッテはまた婚約者の話をし始めた。
ワルツの音色と人々の歓談の声が和やかに響くホールの中で、同年代の貴族達に向かってリーゼロッテは美しい笑みを浮かべている。
「男性の髪って、思ったより柔らかいんだってあたくし最近知ったのよ。あたくしの婚約者はキレイな金髪をしていてね。でも男の人だものきっと自分の髪とは髪質も違うと思ってた」
婚約者のことを語るリーゼロッテ。金髪なんてありふれた髪色だ。実際にリーゼロッテの婚約者の髪色は金だが、ディートリヒの髪色もまた同じ金色をしている。
「でも触れてみれば細く柔らかくてつやがあって、なんだかそのことに妙にときめいちゃったりして」
「あら、素敵」
「髪に触れるなんて、相当仲が良いのね」
仲睦まじいエピソードに女性陣は以前同様、好感触だ。
婚約者ならばそのぐらいは素敵な話、むしろ浮気や不倫ドロドロとした不祥事、本当かもわからない噂話が飛び交う社交界ではほのぼのできる良い話題ですらある。
「なにか特別なケアをしてるのかって話で盛り上がったりして、ふふっ、なんだか女友達みたいだなって、でも手に触れればわかるのきちんと男性なんだなって」
「まぁ、なんだかこちらまでドキドキしてしまうわ」
「ね! 本当に」
同年代の貴族達の反応に、リーゼロッテは満足げに笑みを深めて、チラリとマリアンネのことを見た。
それからディートリヒへと目をやる。
その瞳に合わせるようにマリアンネもディートリヒのことを見やった。
「っ……まったくかわいい奴」
照れたように頬を染めながらつぶやくディートリヒの言葉は、隣に座っているマリアンネにだけ聞こえていた。
それを見てからマリアンネはリーゼロッテに目線を戻した。
「あたくしを見る熱い目線で、どんなに深い思いがあるのか心で感じることができるの」
リーゼロッテはまっすぐにマリアンネを見ながらそう言った。愉悦に歪んだ笑みを浮かべながら。
そんな彼女に、マリアンネはやっと口を開いた。
「素敵ですね。リーゼロッテ様……私は以前、あなたと自分の婚約者のことを疑ってしまった……それがずっと心の中で引っかかって居たんです」
マリアンネが話を切り出すと、リーゼロッテは少し意外そうな顔をしながらも「そうなの?」と小首をかしげて問い掛けた。
「ええ、リーゼロッテ様はこんなに婚約者様のことを愛しているのに私ったら情けない。自分の中の不安に駆られて二人を疑ってしまった。申し訳ありませんでした」
「いいのよ。マリアンネ様、わかって、くれたなら」
それからきっちりと謝罪を口にする。リーゼロッテは、困惑した表情ながらもマリアンネの謝罪を受け入れる。
なぜ、唐突に謝罪をしたのか、窺っている様子だ。
さすがにディートリヒに無粋と言われたぐらいで折れて、考えを改めるほど気弱な人間だとは思われていないらしい。
しかし、同時にマリアンネが何を考えているのかまでは、リーゼロッテはわからない。
意図がわからない謝罪に警戒するようにリーゼロッテは黙った。
そうしてマリアンネは頬に手を添えてうっそりと笑った。
「私はもう、心の安定を手に入れたもの。だから今はあなたの言う、婚約者様との素敵な交流の話も心穏やかに聞けます。私には私を今、選んでくれている人が居る」
「……どういう意味?」
「そのままの意味ですわ。リーゼロッテ様」
言いながら、マリアンネは隣に居るディートリヒの手を取った。
ディートリヒは驚いたが手を振り払うようなことはしない。
ディートリヒはあくまでマリアンネの婚約者だ。
二人は隠して関係を持っている。マリアンネに対する優位を取りたい気持ちで隠しきれていないだけで、婚約破棄なんかは望んでいない。
だから彼は、マリアンネを公の場でないがしろにすることはできない。
「私の婚約者も、リーゼロッテ様のお話のように優しくて紳士で私を大切にしてくれる。偶然、私の婚約者にも彼自身が気が付かない位置にほくろがあるんです」
身を寄せて、その肩にこてんと頭を預けて甘えた声を出した。
「右肩の後ろ側、ちょうど後ろから抱きしめたときにキスをしたくなる位置に」
マリアンネが言うと、リーゼロッテは途端に表情を凍り付かせた。
「彼ったらそうすると、くすぐったいと言うけれど内心喜んでいるんです」
「まぁ!」
「聞いてるだけで照れちゃうような話だわっ」
令嬢達が色めきだって口元に手を添えて頬をピンクに染める。
しかしリーゼロッテは、ぐっと眉間にしわを寄せてマリアンネのことを見つめている。
(信じられないって顔ですね。リーゼロッテ。でも否定できないでしょう?)
なんせ、マリアンネが言っているのは真実だ。ディートリヒの体には確かに右肩の後ろ側にほくろがある。
そしてその部分に後ろから抱きしめたリーゼロッテがキスをして……という話は、数人の買収した屋敷の使用人から聞いた話だ。
二人は若いながら淫らな交流をしていたらしく、平民相手には気を配っていなかったそうだ。
もちろん、使用人からの証言は証拠にならない、けれどもまったく使い所が無い訳ではない。
「髪はカメリアオイルで保湿するのがディートリヒのこだわり、柔らかくてさらさらで、男の人だってたしかに忘れてしまうぐらい、さわり心地がいい」
「っ」
「私に愛をささやくときは、いつも子猫ちゃんって呼びかける。キスは軽い方が好き、手をつなぐのが好き、でも見つめ合うのは少し苦手」
「…………」
「爪は短く切る方でいつも女性のことを考えてくれている、ディートリヒ自身も女性の髪を触るのが好き、ディートリヒが贈る詞にはいつも花の例えがある」
「………………」
「朝はいつも濃いめの紅茶に砂糖とミルク、でも朝食は取らない、私は取る方だから少し食いしん坊みたいで恥ずかしいのですけどね」
マリアンネはありもしない朝の出来事をねつ造し、次から次へとディートリヒの情報を開示していく。
ディートリヒはぷるぷる震えながらマリアンネの方をゆっくりとやる。
彼と少し離れてマリアンネはにこりと笑った。
ディートリヒの顔から血の気が引いていく。
「でも同時に愛も感じている、私のことを誰より何より大切にしてくれるたった一人の私のナイト。……それなのに私は疑ってしまった。たかが友人、一緒に居た期間だけが自慢のただの女友達なんかに嫉妬して」
「っ、なっ」
「ふがいないです、自分が。彼は今、私のこと以外眼中にないのに。ただの友人を疑うようなことをして、ごめんなさいね。あなたは、彼に取って、ただの長い付き合いの他人なのに」
「は? はぁ??」
「あなたが、私たちの間に入り込む隙間なんてどこにもないのに。どうぞ、婚約者様とこれからも仲睦まじく過ごしてください。その方の背中にほくろがあるかは知りませんが」
マリアンネはゆるりと笑って、リーゼロッテに言った。
彼女は、目を見開いてマリアンネを見つめている。
拳を強く握って、ブルブルと震わせながらゆっくりと立ち上がって、なんとか堪えようとしながらも、崩壊し大きく手を振り上げた。
バシンと響く音が鳴る。
力一杯の平手打ちに、ディートリヒの顔が思いきりそれて「んガッ!」と声を上げる。
「うわ、うわきっ、浮気者!!! 嘘つき! 嘘つき!!」
「お、おいおい、待て待て待て、待ってくれ!」
「この女のこと抱いたんじゃない!! あたくしだけだって言ったのに!!」
「うっ、ちが、違うんだっ、おい、やめろ!! リーゼロッテェ! やめてくれ!」
そうしてリーゼロッテは力の限り叫んだ。
異変を察した舞踏会の参加者からの視線が集まる。
「愛はあたくしにあるって言ったのに、この女のことを抱くのは初夜の一度だけだと言ったくせに!!」
「違う、違うんだ!!」
ディートリヒは周りを見渡しながら何に対してかわからない訂正を叫ぶ。
リーゼロッテは止まらない。
マリアンネは「あら、『女友達との仲を怪しむなんて無粋』と怒っていた割に、正しい疑惑だったようですね」と言って少し笑った。
それから、彼らの言い争いをゆっくりと眺めたのだった。
自爆した彼らの証言を聞いた貴族は大勢居た。
それはもう、浮気の疑いで婚約破棄のための訴えを起こすと言うレベルのものではなく社交界の中では事実として認識された。
そうなれば後は早い、体裁を考えたディートリヒの両親はクラッセン公爵に婚約解消を願い出て和解金を支払った。
晴れて、マリアンネはどうしようもない浮気をする婚約者から解放され、両親は新しい相手を探している。
マリアンネはいつも通り跡取りとして仕事をしたり、読書をしたりのんびりと過ごしている。
「あのー……マリアンネ様」
ふとマリアンネの執務机の向かいに立ってユリウスが声をかけてくる。
マリアンネは書類から顔を上げて、ペンを持ったまま問い掛けた。
「なんでしょうか」
夕暮れの書斎、父から任せられた課題でもある仕事をぼちぼちユリウスと協力しながら進めていた。
本来今日やらなくてもいいものなので、空気は昼に仕事をしていた時よりずっとゆったりとしていて、マリアンネは少しだけ眠たくてぼんやりとしていた。
「俺、マリアンネ様に言わなくちゃいけないことがあるんです……」
ユリウスは少しバツが悪そうに目をそらして切り出す。
なんだか後ろめたいことでも話そうとして居るみたいなそんな雰囲気だった。
「言わなくちゃいけないこと?」
続きを促すみたいにマリアンネはユリウスの言葉を復唱した。「はい」と短く答えて、それから彼はマリアンネを見て執務机に手を置いた。
「……実は、クラッセン公爵が俺をマリアンネ様の婚約者にするって決めたらしくて」
「……」
マリアンネは突然話題に驚き、眠気が吹っ飛んで、目を見開いてパチパチと瞬きした。
「それは……あなたが不服だという話かしら?」
「いやっ、あー……違くてですね、俺、新しい婚約者の選考に立候補してて……」
「……初耳ですが」
「初めて言いましたからー……」
「……」
彼は照れ隠しみたいに頬をカリカリと掻いて少し笑ってマリアンネの言葉に返す。
男性にしては長いユリウスの金髪がさらりと揺れる。
「……」
「……」
(なぜ、立候補を? 公爵配偶者の地位が欲しかったのですか?)
彼が何を言いたいのか、何をしたいのかもわからないが一応仮説を立ててみる。
しかししっくりこない。ユリウスは出世欲があるタイプではないのだ。
では一体なぜ、そんなことをしたのか。その結果、彼とは婚約者となるらしい。
「……」
「……俺、あなたが好きなんです。このチャンスを逃したくなかった」
「……初耳ですが」
「初めて言いましたから」
そうしてマリアンネとユリウスはこれまたまったく同じ言葉を交わす。そしてユリウスは、小さくうつむくように頭を下げた。
「申し訳ありません。……こんな自分の感情は、マリアンネ様が俺に向けてくれる美しい主従愛を汚す……それこそ無粋だとわかっています」
「無粋、ですか」
「はい。……それでも、抑えられなかった。だから、せめて自分の口で言うべきだと思ったんです。自分で当たって砕けたかった」
「……」
たしかにユリウスはこのまま、何も言わずに、マリアンネが父から新しい婚約者を言い渡されるのを待っても良かったはずだ。
この場で二人の時に言えば、振られるなんていうリスクもある。
それでも、ユリウスはマリアンネに告白して、その後行動が出来る選択肢を残してくれた。
「……気持ちを伝えたかったんです。マリアンネ様。自己満足でごめんなさい」
そう言って、ユリウスは一歩後ろに下がる。
なにか言わなくては、そうマリアンネは思うが驚きから言葉が出てこない。
とにかく立ち上がって、ユリウスの手を取った。
「っ、勝手に、私の返答を決めつけないでください」
「でも、嫌でしょう? 幼い頃から信頼している従者の恋心など……」
たしかに、そういう人も居るだろう。嫌かもしれないし、それは無粋な感情なのかもしれない。
彼の主張もわかる。
でも同時に、マリアンネもそうかどうかは別の話だと、即座に思った。
だから手を離さない。
「嫌だなんて、いつ言いましたか。たとえそれが無粋だったとしても、私は嬉しいです。少なくともあなたは好かれて嬉しくない相手なんかじゃない」
「……」
「関係の進展の仕方に善し悪しなんてありません。人を傷つけない範囲でなら自由で良いでしょう。そのはずです。ユリウス」
「……そう、でしょうか?」
「ええ、だからしっかりと話をしましょう。私はあなたが私を好いてくれたこと……嬉しいです」
どこの誰だろうと、主従だろうと、友人だろうと、人を愛することに枷など本来ない。
ただ、誠実さを掻いてはいけないと言うだけだ。
そうすることで今までなしえなかった形の幸福を手に入れる可能性だってあるだろう。
「う、嬉しいんですか」
「はい。純粋に」
「あー、絶対振られると思ってたのに……」
「あら、その方が良かったんですか」
「ちがっ、全然、違います!」
「ふふっ、必死ですね」
マリアンネはユリウスと手をつないだまま、笑ってまずはどんなことから話し合おうかと考えたのだった。
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