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「取り乱す」ことの価値

作者: 鈴木美脳
掲載日:2026/04/19

「取り乱す」ことは、悪いことだと見なされている。つまり、感情的になって合理的な安静を逸脱し、社会的な対人関係においても調和を不当に乱すと見なされている。しかし、それは一面的な見方ではないだろうか? 実際には、「取り乱す」ことにこそ最高の価値があるのではないか?


技術発展によって人工知能の知的水準が人々の理解の追随を許さない速さで進歩しつづける現代にあって、あるいは同時に、国際的な軍産複合体による罪のない人々への大量虐殺に対する政治的な正当化がアカデミアなどによって強固に洗脳されていくなかにあって、「人間である」ことをどうやって証明できるだろうか?


人間脳は理性と感情に2層からなるアーキテクチャであり、理性自体は「意味」つまりゴールや価値をスタートしない。模範的な現代人であっても、それは個人主義的で物質主義的な拝金主義によって駆動されているだけであって、資本主義の歯車として組み込まれ波風を立てない意味で「取り乱す」ことがないにすぎず、実際に自分や家族のお金や健康や命が絶望的な危機に晒されれば彼らや彼女らは自然と「取り乱す」。一方、常態化した大量虐殺について(それが遠い位置・時間で起きても)「取り乱す」人々もまた、そのような大量虐殺が行われなければ「取り乱す」ことがない。


一部の利己心と欺瞞に満ちた不正義な暴力によって公共心や誠実さを備えた正義な民衆が惨殺されていくとき、倫理的に優れた能力を備えた人々は共感して例えば涙を流す。それは感情であり、共感においては、理性ではない感情のレイヤーへの情報の行き来が見られるということだ。人工知能について人間幸福や身体健康への加害をネガティブなポイントとしてプログラムすることは可能だが、現時点でのそれは、人間の感情という現象とただちに等価ではない。


人間は理性で他者を観測し、腕を切り落とされた人の痛み、子を殺された親の悲しみを自らの肉体の上に仮想的に再現することができる。一部の先天的な異常者などにおいてこの機能の著しい欠損が見られることから逆に、このようなシミュレーション機能とその性能が半ば先天的なモジュールとして人間の脳機能に組み込まれていると証明される。言ってみれば、人間脳はそれに伴うハードウェアである全身について、仮定的な状況に置かれた場合の「夢」を見るのだ。


したがって、任意の正義、すなわち公正な公益性の追求は、「取り乱す」ことにスタートしている。平等な人権といった何らかの教条が論理の絶対的な始点だという現代思想は、国際資本という巨大権力を背景として近代西洋で生まれた啓蒙主義、すなわち邪悪な洗脳構造にすぎない。理性から道徳は生まれない。最大多数の最大幸福という功利主義は実際は妥当だが、それへの支持の共有と実践のメンテナンスは、民衆や為政者の感情に発していなければならず、自動的なマシンとして構成することは不可能だ。しかしそれは巨悪による搾取のために不都合であるから、国際的な自由市場原理への信任という洗脳が軍産複合体によって徹底されたのである。


古代社会の世界観で見るなら、「取り乱す」とき、人は神になる。感情の優越によって既存の理性を破壊することは時として正義だ。もちろん、ある感情が社会的に局所最適つまり利己性や愚劣にすぎず全体的な正義に適わない場合もありうるが、その事実は、全体的な正義もまた感情に依存しているという事実を隠蔽する詭弁としては論証的に弱すぎる。そして、人類における人々の脳が力の世界的な序列を頂点として惰弱な自己正当化に溺れ洗脳されきったとき、それが自称する「調和」は実は倫理的な正当性つまり正義の指標として有効どころか、ネガティブに相関する。


そしてそうだから、「取り乱す」ことは、悪いことだと見なされている。この説明は、通俗的な世界観よりも遥かに現実に精度よくフィットする。その意味で、「取り乱す」ことにこそ最高の価値があることが証明された。

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