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第四章 弔問(2)

 蒸気機関車の二等車両で、車窓から身を乗り出して外を眺める書生姿の少年を、車掌がシャツを引っ張り注意しているのを、少年の向かいに座った若い男が生欠伸(なまあくび)を噛み殺して眺めている。

匡がやっと座席に腰をおろすと与四郎は眠そうに言った。

「そんなに興奮するな。顔出してると(すす)で顔が黒くなるぜ」

「これが興奮せずにおれようか、与四郎殿!なんという速さだ、源氏の騎馬より速い!」

与四郎はくすりと笑った。

「お前、まるでガキだなあ」

蒸気機関車の轟音(ごうおん)で与四郎の言葉は匡には聞こえなかった。新橋から横浜までの五十分間、匡は食い入るように車窓から流れていく帝都の街並みに見入っていた。


機関車が横浜に着くと、停車場の周りには多くの人でにぎわっていた。匡は初めて見る大柄な西洋人に気圧(けお)された。

「あれが南蛮人か。髪と肌と目の色が倭人と違う。それに随分と背が高い!」

「お前、異人を見るの初めてか?じゃあよく見とけ」

与四郎は風呂敷包みをひらき、学帽を二つ取り出した。

「これを被れ。帝大生の証だ」

「ほう、初めてみる烏帽子(えぼし)だ」

匡は物珍しそうに学帽を手に取り、ためつすがめつ眺めた。

「烏帽子じゃねえ、帽子だ。お前は遣唐使かっての」

与四郎は数人の女学生が向こうからやってくるのを視認すると、手に持った学帽を斜に被った。

「さ、では行こうか匡君」

「匡君?」

「僕のことは与四郎君と呼んでくれ給え」

怪訝(けげん)な顔をする匡に与四郎は小声で耳打ちした。

「今どきの学生はこんな風に話すんだ。お前がしゃべるとぼろが出るから黙ってろよ」

匡の背中をバンと叩くと、与四郎は笑って駆けだした。匡はふくれっ面をして与四郎の後を追いかけた。


 清一郎の家はすぐに分かった。地元では有名な資産家らしく、通りすがりの年増に道を尋ねると怪しむこともなく教えてくれた。

「あの鉄道山を上がっていって左に曲がると、ひときわ大きなお屋敷があるからすぐ分かりますよ。それにしてもお気の毒なことでねえ。帝大まで行った自慢の息子が、肺病であっけなく死んでしまうなんて。あんたたちは学生かい?」

「ええ、僕たちは清一郎君の同級生で、これから弔問に行くところです」

与四郎がしおらしく答えると、女は声を落として話を続けた。

「知ってるかい?亡くなった清一郎さんには、妹が一人いるんだけども、このお嬢さんは兄さんが死んで気がふれてしまって、今は巣鴨の癲狂院(てんきょういん)に入っているだそうだよ。息子も娘もこんなことになってしまったから、そのうち新井の旦那様は妾を本宅に入れるんじゃないかって、ここじゃもっぱらの噂なのよ」

与四郎は女に礼を言うと、すたすた歩きだした。

「あの女人が言っていた癲狂院とは?」

「気狂いの人間が入る病院だ。死ぬまで出れねえって言われてる」

坂をのぼりしばらく歩くと、立派な屋敷が立ち並ぶ通りに出た。与四郎は家々の表札を確かめながら、ひと際大きな屋敷の前で立ち止まった。表札に新井と彫られている。

「まるで御殿だな、こりゃ」

中を覗きこんだ与四郎が感心した声をあげた。塗りこめた白漆喰が美しい黒塀の上に、大きな見越しの松が枝を伸ばしている。大きな門の内側には、ひと際立派な瓦葺きの家屋が見えた。

「ここがあの匂いの出所か」

と、匡は大声で叫んだ。

「たのもう!」

「おい!」

与四郎は肘で思い切り匡をどついた。

「痛いぞ、何をする」

「お前は道場破りか!」

「どうれ?」

砂利を踏む音がして、(ほうき)を片手に現れたのは女中だった。匡は得意げな顔で与四郎を見上げた。

「どうも、僕は忌野(いまわの)与四郎といいます。こちらは佐伯匡。清一郎君とは帝大の同級生でした。この度はお気の毒なことで、清一郎君に線香の一本もあげたいと思い伺った次第です」

与四郎が瞬時にしおらしい顔をして、淀みなく口上を述べるのを、匡は一種の尊敬のまなざしで見つめた。

「そうでしたか。先日も何人かご学友の方が弔問にお見えになったんですよ。どうぞこちらへ」

二人は女中の後について屋敷へ入った。


 真新しい位牌に手を合わせた後、二人を案内してくれたのとは別の女中が茶を出してくれた。

「私は女中頭をしておりますキヨと申します。奥様がこのお屋敷に嫁いでこられた時から、こちらに奉公しております。あいにく旦那様はお仕事で留守にしておりまして」

「奥様というのは、清一郎君のご母堂ですか」

「ええ、清一郎様が七つの時に奥様はお亡くなりになりました。せっかくお越しいただきましたのに、ご家族が不在でご挨拶もできず、申し訳ありません」

そう言うとキヨは二人に頭を下げた。

「キヨさん、差支えなければ清一郎君が亡くなった時のことを聞かせてもらえませんか。僕らは清一郎君を見舞うこともできなくて、ずっと気になっていたんです」

与四郎が真面目な顔で頼んだが、キヨは顔を曇らせ言いよどんだ。

「ええ、でも・・・」

「キヨ殿、この匂いでなにか知っていることはないか?」

匡は書状を取り出しキヨの顔に近づけた。

「これは・・・あのお香と同じ匂いです!」

女中は驚いた顔で匡を見た。

「話していただけますね?」

キヨは頷くと、こんな話を始めた。


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