第三章 篁の従者
それが匡の部屋に現れたのは、治三郎が襖を閉めた直後だった。
気配を感じて匡が背後を振り返ると、壁の中から黒い腕と肩がにゅうと突き出た。次の瞬間、黒い大きな塊が目の前にいた。
「お前が冥府の陰陽師か」
快活な声だった。黒い塊は瞬く間に男へと姿を変え、匡の前に立った。年のころは二十半ばといったところか。長身の痩せた体躯に縦縞のシャツと、黒い異国の細い袴のようなものを身に着けている。薄い褐色の大きな目に、薄い唇。異様に白い肌と、肩で切りそろえた黒い髪。柔和な表情の、総じて美男子と呼べる相貌だった。
「冥府民部省戸籍課零係の佐伯匡と申す」
匡は男をじっと見た。まるで邪悪な気配がない。下級の使い魔でもない。この者は自身の意思で篁様に仕えているのだろう。
「俺は与四郎だ。時代錯誤の坊の世話をするよう、篁様より仰せつかった」
「坊・・・よろしくお頼み申す、与四郎殿」
匡が頭を下げると、与四郎はふん、と鼻を鳴らした。
「お前は神職の血筋の者か?そこらの人間より霊力が強いな」
匡は驚いた。素性を言い当てるとは、なるほど小野様がこの鬼を従者にしたのも合点がいった。
「佐伯家は代々神職を務め、父は神官であり陰陽師でもあった。母は神主の娘だった。私は十五で死ぬまで、幼いころより陰陽道の修行をしていた」
与四郎は興味なさげにふぅん、とあくびともつかぬ返事をした。それからおもむろに壁に片足をつっこんだ。
「じゃ、明後日の晩また来るから、それまでに手がかりを集めておけよ」
そう言うと与四郎は壁の中に消えた。
突然の訪問に多少あっけに取られたものの、匡は少なからず心強くも感じていた。あの者は鬼ではあるが、身なりからして世事に明るそうだ。篁様の従者であるのなら、きっと真相究明の助けとなるだろう。
額の汗を拭い、文机の上の紙束から半紙を一枚抜き取る。三つ折りにしフッと息を吹きかけると、半紙は生き物のように左右にくねりだした。やがて子犬ほどの大きさの、黒い獣の形になり畳の上に四つ足で立った。
匡は文机から書状を取ると、式神の上でひらひらと振った。蒸し暑い四畳半の部屋に、甘酸っぱい匂いがむわ、と広がる。
「この匂いをたぐれ」
「・・・御意」
式神はすう、と床に吸いこまれて消えた。
もう暮れ六つ時だった。
「さて、銭湯とやらにでかけるとしよう」
匡は下駄をつっかけ、治三郎が用意してくれた手ぬぐいを手に外へ出た。




