第二章 明治の御代
明治三十四年八月五日。帝都小石川区に旧民部省の借り上げ宿舎がある。その四畳半の一室に冥府民部省戸籍課零係の佐伯匡は寝転がっていた。
どうにも慣れないと思う。自分が生きていた頃とはすべてが様変わりしている。巨大な煉瓦造りの建築物。男は南蛮渡来の衣を着て、弓も太刀も持たず、不格好なざんばら頭をしている。女人は派手な色彩の着物を着て、奇妙な髪型をしている。みな聞きなれないことばを話す。獣肉、それも牛を鍋にして喰うらしい。往来は行商人やら馬車やら荷車の音で騒々しい。果ては蒸気機関車なるものまで走行している。自分が生きていた時分、牛車はおろか駕籠にすら乗ったことがないというのに!そしてこの蒸し暑さ。冥府では気温など気にしたことがなかった。先ほどから、なにかしきりに額から流れ落ちてくる。背中も腋もじっとりぬれて気持ちが悪い。ああ、汗だ。暑くて汗がでる。ということは、今は夏か。冥府には朝も晩もなく、季節もない。眠いことも、腹が減ることもない。与えられた職務をただ粛々とこなすのみ。思い返せば、なぜ自分が冥府で官吏をしているのか・・・十五で元服する直前、病で死んだのが建久六年。死有の際、小野篁様より陰陽道の使える者が所轄にほしいといわれ、中陰の間、冥府で官吏をすることになった。それから数え切れぬほどの御代替わりがあり、ここは明治の御代。一体、自分はいつ生有を得るのか・・・匡がよしなしごとを考えていると、廊下から足音がした。
「お久しゅうございます」
襖をあけたのは冥府民部省宿舎の世話係、治三郎だった。匡は飛び上がるように上体を起こした。
「治三郎殿、久しいな!達者か」
「お陰様で息災にしております。して、今回の出張は何日ほど逗留なさいますか」
「課長に事の真相が判明するまで、戻ってくるなと言われた」
「さようですか。それでは市中を出歩くことになりますね。当世の衣をお持ちしましょう。それと、この明治の御代には銭湯なる施設がございます。そちらにも行かれてみては」
「蒸気風呂か」
「いえ、匡殿の頃のものとは少々趣が変わっております。身体を洗い清めた後、湯をためた大きな桶につかるのです。ずいぶんと汗をかいておいでですから、行かれてみてはいかがでしょう」
「では、ぜひその銭湯とやらに行ってみよう」
匡はぱっと顔を輝かせ、すっくと立ち上がった。
「その前に、匡殿にお伝えしておかなくてはならない事がございます」
「なんだ?」
「明治に御代替わりして四年目に、散髪脱刀令なる法律ができまして、匡殿のように長い髪の男子が表を歩いておれば即刻、捕らわれることになりましょう」
「それは困る。どうすればよい」
「わたくしめが、匡殿を当世風の髪型にしてさしあげましょう」
「私の頭を、あ、あのようなみっともないざんばら髪にするというのか」
匡は両手で頭をおさえ、後ずさった。
「これもお役目のためでございます。なにも剃髪する訳ではありませぬ、心配召されぬな」
大柄な治三郎は、はっはっと笑い、大きな鋏を後ろ手に匡の前に立ちふさがった。
匡に逃げ場はなかった。
広げた反古紙の上でジャキジャキと髪を切られること四半時。それから治三郎が用意した白いシャツを着て袴を穿いてみる。釦というものがなかなかに難しい。
「どこからどう見ても、一端の書生ですな」
治三郎は満足げに言ったが、匡はぶすっとむくれて、姿見に映る自分を見つめた。
「こんな頭を見たら、父上や兄上はなんとおっしゃるだろう・・・」
「お父上が匡殿のお姿を見ることなどございませんよ。まだ外は暑いですから、日が暮れてから外出されるとよろしいでしょう」
治三郎は切った髪を反古紙ごとまるめ、匡の水干を手際よくたたむと立ち上がった。
「それに、そろそろ参る頃でございますよ」
軽く会釈をして治三郎は部屋を出て行った。




