第十章 帰任
調伏から数日が経ち腕の傷も癒えてきた頃、匡は与四郎に誘われて横浜の久保山墓地へ赴いた。そこには新井家の墓があり、清一郎と鶴子が埋葬されている。高台の墓所からは横浜の港が一望できた。
「清一郎、鶴子。佐緒里は順調に回復しているから心配するな。キヨが献身的に世話してくれている。阿片中毒にはならなかったようで良かった。身体が治ったら、寄宿舎のある女学校に入るらしいぞ。新しい環境で友人を作り、勉学に励むそうだ。お前の妹だから佐緒里もきっと勉強ができるだろう。二人とも、冥府から佐緒里を見守ってやってくれ」
与四郎は墓に向かって語りかけると、手を合わせた。
「お前も清一郎に何か言ってやれ」
与四郎が後ろに回ると、匡は墓前に立ち線香を置いた。
「清一郎殿のお陰で、無事に任務を全うすることができた。冥府で会えるか分からないが、ぜひ極楽とやらに行ってみてくれ。なんでも大変いい所だそうだ」
「変な挨拶だな。お、」
与四郎が向こうからやってくる人影に気が付き、小声で言った。
「俺たちは邪魔だ、行こう」
与四郎と匡は墓前から離れ、次の参拝者に道を譲った。現れたのは、白百合の花束を抱えた蔦子だった。与四郎が蔦子に会釈し、二人が立ち去ろうとした時、蔦子が言った。
「あの・・・どこかでお目にかかったことがありましたか?」
与四郎は振り返ると笑って言った。
「いいえ、人違いでしょう。こんなに美しいお嬢さんにお目にかかっていたら、忘れるはずなどありません。なあ、匡君?」
匡は無言で頷くと、そそくさと与四郎の脇をすり抜け、足早に歩き出した。顔を赤らめた蔦子に会釈すると、与四郎は匡に追いつき、背中を小突いた。
「お前、早いとこ戻ってこないと、蔦子が婆さんになっちまうぜ」
「なんてことを言う!さては、蔦子殿が来ると知ってて誘ったな」
「ハハハ、顔が赤いぞ」
「・・・赤くない」
「アイスクリンを買ってやるから、まあそんなにむくれるな」
「え、本当か?」
「食い物で機嫌が直るなんて、ガキだなあ。ハハハ」
「うるさい」
二人の後ろ姿を見て蔦子は呟いた。
「ここは墓地なのに・・・あの人たち、まるで子どもみたい」
蔦子は気づくと、ふふ、と笑みをもらしていた。墓に花を手向け、蔦子は心の中で清一郎に話しかけた。
『清一郎さん、どうか安らかに。佐緒里ちゃんのことは心配しないで。私たち、きっと前を向いて歩いていきます』
振り返ると、港の水面が太陽に照らされ、きらきらと輝いているのが見えた。
ついに匡が冥府に帰る日になった。
「とうとうお戻りになるのですね。本当にあっという間でした」
匡が水干に着替えるのを手伝いながら、治三郎はしんみり言った。支度を終えると、匡は治三郎の前に端座した。
「治三郎殿、この度は大変お世話になった。お陰で任務を無事に終えることができた」
そう言うと深々と頭を下げた。治三郎は慌てて言った。
「どうか顔を上げて下さい。冥府民部省の皆様がたのお世話をするのが、この治三郎の役目なのですから」
その時、玄関から大きな声がした。
「治三郎、いるか」
与四郎の声だった。治三郎はすっと立ち上がると廊下に出て行った。
「与四郎様!ようこそお出で下さいました。さあさあ、どうぞお上がり下さい。すぐに茶を用意します」
匡が廊下をのぞくと、与四郎が大きな包みを手に土間に立っていた。治三郎は与四郎から包みを受け取ると、喜々として台所へ入って行った。与四郎は下駄を脱いで式台に上がると、匡に声をかけた。
「大福を持ってきた。皆で食おう」
与四郎は茶の間に入ると座布団の上にあぐらをかいた。シャツの釦を外すと卓袱台の上にあった団扇で首元をあおぎ始めた。匡は与四郎の隣に座った。与四郎は何も言わなかった。匡も何も言わなかった。しばらく与四郎のうちわが空を切る音だけがしていた。
そこへ治三郎が盆を手に入って来た。卓袱台の前に膝をついて、与四郎と匡の前に小皿と茶の入った湯呑を置くと、紙包みを二つ開いて卓袱台の中央に置いた。
「随分たくさんありますなあ」
「貰ったんだ。遠慮せず食ってくれ」
言うや否や、与四郎は手を伸ばすと豆大福を頬張った。
「うまい。餅がまだ柔らかい。治三郎も食ってみろ」
「では、ご相伴にあずからせていただきます」
治三郎は嬉しそうに大福に手を伸ばした。
「餡の甘さがいい塩梅だろ?」
「これは美味しゅうございますね。ごくり、ではもうひとつ」
「おい匡、早く食わねえと治三郎が全部、食っちまうぞ」
「なにをおっしゃる、もご、与四郎様こそ、もう三つ目ではありませんか」
「俺は腹が減ってるんだ。お、こっちは茶饅頭か」
「どれ、私も一つ。こちらは漉し餡ですな。ああ黒糖の皮がもちもちとして、なんとも美味しい」
「沢庵みたいに饅頭を食うな!味わって食え」
「与四郎様こそ、もご、茶饅頭はいくつ目ですか」
「まだ三つだ」
与四郎と治三郎が競い合うように大福と饅頭を食べるのを、匡は黙って見ていた。朝餉を済ませてから一刻は経っている。なんだか腹が空いてきたような気もする。
「匡殿、美味しい豆大福と饅頭でございますよ。冥府に戻られる前に、どうぞ、むしゃむしゃ、食べて行って下さい」
「おい!治三郎、どんだけ食うんだ。もうほとんどねえぞ」
匡は豆大福に手を伸ばしかけたが、躊躇して手を引っ込めた。治三郎は食べる手を止め、怪訝そうな顔で匡を見た。
与四郎は茶饅頭をひとつ手に取り、それを半分に割った。片方を自分の口に入れ、もう片方を匡の前の小皿に置いた。匡は小皿の上に置かれた饅頭を見、それから与四郎を見た。与四郎は饅頭をゆっくり飲み込むと、笑って言った。
「毒なんか入ってねえ。安心して食ってみろ」
匡は饅頭に手を伸ばした。身体が小刻みに震えているのが、自分でも分かった。口の中がカラカラに渇き、胃液がせり上がってくる気がした。
「もし毒が入っていたとしても、俺たち冥府の者はどうにもなりゃしねえ。もう死んでんだからな」
与四郎はそういうと、最後に残った豆大福をぽい、と口に放り込んだ。
「あ、最後の豆大福!私が頂戴しようと思っていたのに!」
「ハハハ、油断したな」
匡は大福を取り合う男二人を見て、可笑しくなった。そうだ、私はもう死んだ身だ。今更毒を喰らったところで、もう死ぬことはないのだ。そう思うと気持ちが軽くなった。饅頭をつまみ上げ、思い切って口に入れた。もちっとした甘い皮の食感と、餡の甘さが口の中に広がった。
「・・・おいしい」
「だろう?もっと食え」
匡は茶饅頭をひとつ手に取り、頬張った。おいしい。ただの、おいしい饅頭だった。
「ハハ、饅頭食って泣く奴があるか」
与四郎は笑って、匡の目からこぼれ落ちる涙を拭ってやった。
始めて書いた小説なので、いろいろわからないまま、うまく書けないまま、最終章になりました。
読んで下さった方に感謝します。ありがとうございました。




