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第九章 調伏(2)

 口寄せが終わると、与四郎は大欠伸(おおあくび)をした。

「つまり、黒い糸は清一郎の母親だった。お前が冥府で黒い糸を切った後、しがみついていた白い糸、つまり清一郎は死んだ。母親は次に娘の佐緒里に取り憑いた、ってことか。なんとも執念深い母君だなあ」

「なぜ、佐緒里殿の嫁入りに執着するのだろう。草葉の陰から見守ればよいものを」

「そこが肝なんだろ、現世に執着する理由のな」

与四郎はもうひとつ欠伸をした。

「・・・俺は帰る」

そう言うと与四郎は壁の中に姿を消した。

 その後、匡は床に入ったものの、まんじりともせず朝を迎えた。ぼうっとした頭のまま井戸で顔を洗い、茶の間で治三郎が用意した膳の前に座った。そして清一郎が語ったことを思い返した。

「匡殿、御御御付(おみおつけ)が冷めますよ」

治三郎が声をかけたが、匡は箸と飯椀を手に、物思いに耽っていた。

「た・す・く・ど・の!」

匡は大声にびくっと肩を震わせ、治三郎を見た。

「匡殿、まず朝餉を済ませて、それから考え事をしなされ」

治三郎はお櫃から自分の飯椀に三杯目の麦飯を盛りつけた。

「匡殿もたんと食べなされ」

「あ、ああ」

生返事をして匡は冷めた麦飯を口に入れた。その時、電話が鳴った。

「朝から誰でしょうね」

治三郎は箸を置き、廊下に出て行った。少しして治三郎の呼ぶ声がした。

「匡殿、横浜の新井様宅から電話です」


廊下に出た匡は、電話機を前に固まった。

「治三郎殿、この箱は何だ・・・人の声が聞こえてくる・・・呪物か?」

「電話機ですよ。この受話器をこう耳にあてて、ここに向かって話してください」

「?・・・もし・・・」

治三郎が電話の使い方を教えてくれたが、緊張でうまく話せない。突如、横からにゅっと腕が現れ匡から受話器を奪うと、与四郎が電話機の前に陣取った。

「もしもし、与四郎です」

「忌野様でいらっしゃいますか。新井家の女中頭のキヨでございます。ご連絡差し上げましたのは、佐緒里様が巣鴨の病院を退院して、昨日お屋敷に戻られたことを、林先生から帝大の二人組に知らせて欲しいと頼まれました。きっと忌野様と佐伯様のことだと思いまして」

「ハハハ、そうでしたか。で、佐緒里さんの具合はいかがですか」

「錯乱が治まり、お屋敷で療養することになりました」

「話はできるのですか」

「あの、実はずっと眠ったままなのでございます」

「そうですか。後で見舞に行きます」

そう言うと与四郎は受話器を置いた。

「与四郎様、いつお出でになったのですか」

治三郎が嬉しそうに与四郎に聞いた。

「今来たところだ。俺も朝餉をもらおう」


 茶の間で与四郎は匡の隣にあぐらをかくと、匡の膳から沢庵(たくわん)をひょいとつまみ、口に入れた。

「佐緒里が眠りっぱなしということは、怨霊が取り憑いて衰弱しているのだろう。早く手を打たないと佐緒里の命にかかわるな。飯が終わったら横浜に行くぞ」

「承知した」

「お前、巣鴨の病院で佐緒里の病室に入った時、自分の名前を言ったか」

「無論、名乗った」

「では佐緒里の母親は、お前の顔と名前を知っているんだな」

「そうだ」

与四郎はふん、と鼻を鳴らした。

「佐緒里から他の物へ、怨霊を乗り移せられるか?これ以上、佐緒里の身体に負担がかかるとまずい」

形代(かたしろ)を用意する」

匡は麦飯と冷めた味噌汁を流し込むと、治三郎に向かって

「御馳走様でしたッ」

と言い残し、自室へ入って行った。

与四郎は治三郎が持ってきた味噌汁をすすり、麦飯を頬張った。少し考えてから、治三郎に尋ねた。

「お前、匡の髪を切ったよな?あいつの毛はまだあるか」

「ええ、取ってあります」

「少し持ってきてくれ」

「分かりました」

治三郎は匡と自分の膳を持ち、台所へ入っていった。少しして反古紙に包んだ髪を与四郎に手渡した。

「こんな物が役に立つのでしょうか」

「さあな。あいつの腕次第だ」

与四郎は紙を小さく丸めると、ポケットに入れた。


 新橋から蒸気機関車に乗り込み、座席に落ち着くと与四郎は匡に尋ねた。

「陰陽師が怨霊を(はら)うには、どうやるんだ」

「調伏の方法はいくつかある。依童(よりわら)に問題がなければ、そのまま術をかける。依童が弱っていたり人質にされた場合、罠を仕掛けたり、形代に乗り移らせた上で術をかける。当然、怨霊は反撃してくるゆえ、強力な術でねじ伏せ、冥府へ送る」

「力で敵わない場合はどうする」

「条件を示し、冥府に行くよう交渉する。ただし、こちらが有利な手を持っていなければ交渉はできぬ」

「まあ、そうなるな」

匡は何ごとか思案していた。与四郎はそれ以上何も聞かず、機関車に揺られているうちに二人は横浜に着いた。


 新井の屋敷まで来ると、匡は門をくぐり、玄関とは別の方向へ歩き出した。

「どこに行く」

「まず霊符を屋敷の四隅に埋め、結界を張る。与四郎殿は屋敷に入り、家人の注意を引きつけてほしい。私は折を見て、佐緒里殿のいる部屋に踏み込む」

「分かった。うまくやれよ」

匡は頷くと、身体を低くして屋敷の裏手にそろそろと進んで行った。


 与四郎が玄関で佐緒里の見舞いに来たことを告げると、応対に出て来た女中はあからさまに迷惑そうな顔をした。キヨを呼んでくれと頼むと、女中は屋敷の奥に入っていった。

しばらく待たされた後、キヨが玄関に出て来た。

「佐緒里さんの様子が気になっていたので、見舞に伺いました」

与四郎が申し訳なさそうな表情で関内の洋花店で買った花束を差し出すと、キヨは疲れた顔に少し笑みを浮かべて礼を言った。

「わざわざお越しいただいて、ありがとうございます。どうぞこちらへ」

さすがに病床に臥せった嫁入り前の娘の部屋に通されるはずはなく、以前と同じ応接間に通された。出された茶を前に、与四郎は額の汗を拭った。

「それで、佐緒里さんの具合はいかがですか」

「前のように錯乱して暴れることはなくなりました。ただ、ずっと眠っておいででして・・・」

「ずっと、ですか?」

「巣鴨の病院を退院する三日程前から、暴れることがぱたりと止み、それから眠りどおしで一向に目を覚ます気配がありません。お医者様からは、錯乱が治まったので退院して良いとのことで・・・あのような病院に長く入院していると、将来に障りがあるだろうと配慮して下さったようです」

「ああ、成程」

林医師は将来来るであろう佐緒里の縁談話を考慮し、実家に帰したのだろう。良家の子女が癲狂院に入院しているなど、確かに外聞の良くない話だった。

「キヨさん、差支えなければ、清一郎君の母君がどんな方だったか話してもらえませんか。以前、清一郎君から父上を大変尊敬している、という話を聞かされましてね。あのような聡明な男を育てた母君はどんな方だったのかな、と。まあ好奇心です」

清一郎は笑ってキヨに水を向けた。

「ええ、清一郎様は旦那様を尊敬なさっていました。旦那様がお屋敷に帰ってくることはまれでしたけれど、よく外でお二人で食事をしたり、旦那様の取引先との会食に清一郎様を連れて行かれることもあったようです。

「鶴子様は、亡くなられた奥様でございますが、新井家が融資をお願いしていた銀行の頭取の三女で、先代が数年がかりで頭取を口説き落として、どうにか縁談に漕ぎつけたと聞いたことがあります。鶴子様は十六才で新井家に嫁入りされました。女学校を中退して新井家に入られたので、当時はまだまだ娘気分の抜けきらないお嬢様でいらっしゃいました。

「鶴子様にはなかなかお子様ができませんでした。先代が病で臥せっている時に、やっと鶴子様が身ごもられ、清一郎様がお生まれになると、安心されたのか間もなく先代はお亡くなりになりました。

「請われて嫁入りしたはずが、旦那様は妾を囲って帰って来ないことに、気位の高い鶴子様は余程、腹に据えかねたのでしょうねえ。一度、鶴子様は清一郎様を連れて実家に帰る、と女だてらに旦那様に離縁を突き付けたこともございました。旦那様は銀行との繋がりが切れぬよう、鶴子様をどうにかなだめ、まもなく鶴子様は佐緒里様を身ごもられました。佐緒里様を出産された後、鶴子様は高熱が続き、しばらく床から起き上がれない状態でした。腹痛や出血を訴えられ、しばらくて入院されていましたが、佐緒里様が一才になる前にお亡くなりになりました・・・あらま、私ったら言わなくてもいいことまでお話ししてしまって」

キヨはばつが悪そうな顔をした。

「何はともあれ、清一郎君はご両親から大事に育てられたのでしょう」

与四郎はちらと廊下の奥を見やった。

「便所をお借りできますか」

「はい、そこの廊下をまっすぐ行った突き当りにあります」

「では失敬」

与四郎は立ち上がると廊下を進んで行った。

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