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第九章 調伏(1)

 その後も面会を試みたが、佐緒里に会うことは叶わなかった。強い日差しが照りつける昼下がり、宿舎の部屋で匡は与四郎に言った。

「清一郎殿を呼び出そうと思う」

「清一郎になにを聞くんだ」

治三郎が切ってくれた西瓜にかぶりつきながら、与四郎は言った。

「おそらく清一郎殿は黒い糸の正体を知っている。佐緒里殿に面会できない以上、清一郎殿に尋ねるよりほか手だてがない」

「黒い糸が何者か、お前だっておおよそ見当はついているんだろ」

与四郎は食べ終えた西瓜の皮と、ぷっと吐き出した種を盆に置いた。

「確証がない。それに黒い糸の主が佐緒里殿に取り憑いている以上、放っておく訳にはいかぬ」

「分かった。晩にまた来る」

与四郎は盆に残った西瓜をぱっと掴むと、壁の中に片足を入れた。

「それは、私の!」

匡は抗議したが、壁に消えた西瓜が戻ってくることはなかった。


 その日の子二つ時、再び与四郎が壁から現れた。

「準備はできてるのか」

目をこすりながら、眠そうな声で与四郎が言った。

人形(ひとがた)を用意した。元々この宿舎には強い結界がはられているゆえ、問題なかろう。与四郎殿は少し離れておられよ」

「おう」

与四郎は部屋の隅にあぐらをかいた。


 匡は部屋の中央に座り、人形を目の前に置いた。手印を結び、呪文を唱え始める。

「オン アミリタ テイセイ カラ ウン・・・・・・・・・・・・・・・」

匡の淡々とした声だけがしばらく聞こえていた。

 しばらくすると、人形がゆらりゆらりと動き出し、暗い部屋にぼう、と人影が浮かび上がった。匡は呪文を唱えるのをやめ、語りかけた。

「新井清一郎殿。私は冥府の陰陽師、佐伯匡と申す。おぬしに尋ねたいことがあり、お呼び出てした」

・・・・

「尋ねたいこととは清一郎殿の生死に関わった者のことだ。佐緒里殿に取り憑いている怨霊は、もとはおぬしに憑いていた。それが誰か分かるか」

・・・母だ

「なぜ母君がおぬしや佐緒里殿に取り憑くのか」

・・・七つの時に母が亡くなって以来、常に母の気配を感じていた。それがおかしいと思わなかった。母は僕と佐緒里を見守っているのだと・・・自宅で療養するうち、母の声が聞こえることがあった。病で精神がおかしくなったのかと自分を疑った。ひどく喀血するようになった頃、自分の死期を悟った。その時、母の声がはっきり聞こえた。母が僕を生かす、と。それは拷問に等しかった・・・食事も摂れず、血を吐き、酸欠で四六時中、胸が苦しく、喉を()きむしる。やがて背骨が痛み、座る事ができなくなった。(かわや)まで歩くこともできず、糞尿を垂れ流したまま、もがき苦しんでいても、母は僕を死なせようとしなかった。佐緒里が嫁いで幸せになるまで、母は僕の身体が必要だと言う。一秒でも早く、この苦しみから逃れたかった・・・その時は不意に訪れた。ぱちん、と何かが切れる音がした。とたんに身体が軽くなり、すべての痛みが消えた。追いすがる母と自分の身体があっという間に見えなくなった。気がつくと三途の川を越え冥府にいた。苦しみと母から解放された・・・・

「なぜ母君は佐緒里殿が嫁ぐまで現世に留まりたいのか」

・・・分からぬ。母は、父に妾がいることをよく思っていなかった。僕は父を尊敬していたので妾など何とも思わぬ。百余名の従業員を抱え、列強諸国と交渉するのは才覚がなければできぬことだ。蔦子さんと見合いした後、父は気にいらなかったら断れと言った。添い遂げる相手は自分で選べ、と。父は家業のため、母との縁談を受けた。跡継ぎとなる自分が生まれると、父は初恋の幼馴染を囲い家に帰って来なくなった。自分に思いつくのはこれより他にない・・・

「清一郎殿、心残りはあるか」

・・・父より先に死ぬ親不孝と、長子としての役目を果たせぬことが不甲斐なく、申し訳ない。佐緒里には自分の分も長生きして欲しい。蔦子さんには申し訳ないことをした。あの人が幸せになることを願っている・・・・・

「礼を申す、清一郎殿」

匡は清一郎に頭を下げ、謝意を示した。そして再び手印を結ぶと呪文を唱えた。清一郎の姿は次第に薄くぼやけていき、人形だけが畳の上に残った。

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