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08_赤い夕暮れ

 門をくぐる。足元の枯れ葉が、カサリと音を立てた。その乾燥した音に、私は奇妙な既視感を覚えた。



 庭は荒れていた。荒れ放題の雑草。蔦は外壁を侵食している。そこは、あるがままを受け入れていて、とても静かだ。




 玄関の引き戸は、少し開いていた。セキュリティ・ロックはない。この家には、盗まれて困るような「資産」など、もう何もないのだろう。






 「……入りなさい」




 奥から声がした。私は、廊下を進んだ。床板が軋む音が、静寂の中でやけに大きく響く。



 一番奥の和室。海に面した縁側に、彼は座っていた。



 父。この国のシステムを根本から書き換えた革命家。私のデータベースにある彼のポートレートは、眼光鋭く、自信に満ち溢れた40代の姿だ。




 だが、目の前にいるのは、「老いた個体」だった。




 白髪で、顔には深く刻まれた皺。痩せ細った首筋。だが、この廃棄区においては平均的といえる。




 「……久しぶりだな」



 父がゆっくりと振り返った。その瞳には怯えがない。査定を気にする色も、私のご機嫌を伺うような卑屈さもない。複雑な計算式を解き終えた後のような、満足感に満ちていた。




 「予定時刻通りよ」



 私は管理者として定型文を口にした。





 「都市はどうだ?」


 父が問う。


 「順調です。総生産熱量は右肩上がり。平均寿命は59.7歳まで短縮され、世代交代のサイクルは加速しています。あなたが設計した通り、最高効率で燃焼しています。この地区を除いて、ですが。」




 私は、最新の統計データを要約して伝えた。父は目を細めた。



 「フッ、ここは仕方ないさ。燃えカスの掃き溜めだ。多少の煙は出る」




 続けて、父は独り言のように呟く。


 「人類はついに、感情という名の抵抗を克服し、超伝導のような社会を手に入れた」




 父は立ち上がり、私の方に向き直った。その眼差しが、私の全身をスキャンするように動く。それは、久しぶりに会った娘を愛しむ父親の目ではなかった。完成した精密機械の仕上がりを確認する、エンジニアの目だった。




 「そして、お前だ。」




  父は私の顔を覗き込んだ。




 「お前を見ればわかる。私の設計が正しかったことが。肌艶、瞳の輝き、無駄のない筋肉の動きそして何より、その冷徹な眼差し。お前は、私が作った最高傑作だ。『愛着』や『未練』といったバグが、一切見当たらない」




 父は満足げに頷いた。私は、その視線に奇妙な居心地の悪さを覚えた。彼は私を褒めている。だが、その言葉は私という「人格」に向けられたものではない。私という「成果物」に向けられたものだ。




 私は、ポケットの端末を握りしめた。ここに来た目的を果たさなければならない。私は、事務的に切り出した。






 「今日は、行政局からの通達により参りました」




 私は端末を操作し、ホログラム・ディスプレイを空中に投影した。そこに表示されたのは、父の最新のバイタルデータと、冷酷な計算結果を示す赤いグラフだった。




 『対象ID-########』




 『直近3ヶ月の労働生産性:基準値の62%』




 『今後の医療・介護予測コスト:基準値の128%超過』


 


 そして、最後に大きく表示された結論。




 『判定:累積赤字拡大。処理推奨』






 私は、その文字列を読み上げた。




 「あなたの個体としての維持コストは、社会への貢献度を上回りました。規定に基づき、72時間以内の、安楽死プロセスの実行を通告します」




 私は父の反応を待った。父は、動じなかった。眉一つ動かさず、その赤い文字を見つめていた。そして、ゆっくりと口を開いた。




 「……そうか。計算通りだな」




 声は、驚くほど穏やかだった。




 「先月から関節の痛みが酷くてな。思考の速度も落ちた自覚がある。若者たちのリソースを食いつぶすだけの害悪だと実感したよ」




 父は、まるで他人の診断結果について話すように、淡々と言った。そして、私を見てニヤリと笑った。




 「お前は今、私を哀れだと思っているか?」




 「……いえ。規定通りの処理です」


 私は即答した。そう答えるようにとされているからだ。




 「ハハハ、素晴らしい!」



 父は声を上げて笑った。




 「そうだ、それでいい。 自分の親に死刑宣告を突きつけておきながら、眉一つ動かさない。完璧な効率主義者だ」




 父は狂気的な熱を帯びた瞳で私を見据えた。




 「これこそが、私の勝利の証明だ。私は、自分自身さえも例外なく切り捨てるシステムを作り上げたのだ。『私情』を挟まない。それこそが、この社会の最も美しい到達点だ」




 私は端末を取り出し、父に向ける。




 「あなたの生体活動停止に伴い、『マスター権限の委譲』を行う必要があります」




 父は都市の設計者であり、彼自身の生体情報が、都市システムの中枢ロックになっている。彼が死ぬ前に、その権限を娘の生体情報へと書き換えなければ、都市の管理システムにアクセスできなくなる領域があるためだ。



「……私の脳を、お前に明け渡す時が来たのだな」






 私は父のこめかみに、電極をつける。




 「同期を開始します」



 転送が始まる。無機質なプログレスバーが進む。 だが、途中でエラーの画面が表示される。




 「……エラー?」




 ホログラムが赤く点滅している。




 『警告:ルート権限の移譲には、管理者レシーバーとの双方向リンクが必須です』




 セキュリティ・プロトコルの変更か。そんなこと聞いていなかったが、最高権限の譲渡となれば、生体認証レベルでの相互同期を要求されるものだろう。




  私は予備の電極を自らのこめかみに取りつけた。これで文句はないはずだ。





 その時、




「娘よ、管理コードだけではダメだ。『重み』を知らない者に、ハンドルは握らせん」




 父の瞳が、狂気を帯びてギラリと光る。




「これが、私が焼き払ったものの『コスト』だ」




 父が、端末のボタンを素早く押した




 ドクン!!




 私の脳内に、逆流した膨大なデータが雪崩れ込む。 それは整理されたログではない。父の五感が記録した、生々しい「痛み」と「熱」の奔流。




 「ああああっ!!」




 私は膝をつく。視界がノイズに染まり、意識が飛ぶ。


 青白い現在が消え、泥臭く、熱気に満ちた「あの時代」へと、意識が強制ダイブさせられる。


挿絵(By みてみん)


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