07_青い炎と黒い煙
ピピピ、ピピピ。
夢の冷却期間は蒸発し、網膜に直接投影された「起床シークエンス」の光の点滅が、瞼を開かせる。
「……暑い」
空調は、室温24度。湿度40%と完璧に制御されている。だが、身体の芯が熱を帯びている。スマート・スキン(人工皮膚)に浮かび上がる数値を見る。体温、39.2度。”少し”熱っぽいかな。
ベッドを出る。喉が渇いたのでウォーターサーバーへ向かう。サーバーから出てきたのは、最適な栄養素とカフェイン、そして微量の精神賦活剤が調合された機能性飲料だ。
それを一気に飲み干す。食道を通り、胃袋を落ちる感覚。 脳内の霧が晴れ、膨大な”タスクリスト”が視界に流れ込んでくる。
窓辺に立つ。集光タワー、第32層。厚いガラスの向こうには整然とした世界が広がっていた。
東京。純白の集積回路のように無駄がなく、看板も、装飾も、街路樹さえもない都市。
眼下を行き交う群衆。彼らは無言で、一糸乱れぬ速度で、早回しの映像のように歩いている。誰一人として立ち止まらず、雑談もせず、耳に埋め込まれたデバイスデバイスから囁かれる、最適な指示――最短ルート、最適解、次のタスク――を聞いている。
争いもなく、物乞いもいない。まるで、摩擦係数をゼロに近づけた流体運動のように。
『――本日の社会総生産熱量、目標値を0.8%超過』
『――エントロピー処理効率、過去最高を更新』
脳内に流れるアナウンス。 「最大の燃焼」を実現している実績。人類はかつてない速度で進化し、資源を食いつぶし、死んでいる。平均寿命、59.7歳。太く、短く、激しく燃える。ダラダラと100年生きるよりも、高密度な半世紀の方が、宇宙の法則に叶っている。
論理的に完璧だ。私は父の創ったこのシステムを愛している。だが、なぜだか私の指先は、窓ガラスの冷たさを求めている。
「……石になりたい」
無意識に呟いた言葉に、自分で驚いた。なんて非生産的な言葉だろう。石になるなどという、「死」以下の状態を求めるかのような言葉。だが、あの夢の中の静寂が、どうも頭から離れない。
ピロン。思考を遮る通知音。
『重要通知:対象個体ID-##########。処理期限まで、あと72時間』
父だ。かつてこの世界を作り上げ、今は引退し「廃棄区」にいる父。彼にも、平等に時が来た。65歳。生産性の低下分岐点。この社会のルールに従い、彼は自らの意志で退場する。
私は、スケジュールアプリの「父の処理立ち合い」というタスクを確認する。
「……行きましょう」
私は身支度を整えた。鏡を見る。そこに映っていたのは、若くて聡明な管理者の顔だった。
移動は「配送」だ。
高度150メートル。私の身体は、自動航行ドローン(eVTOL)の硬いシートにベルトで固定されていた。窓は軽量化のためにとうの昔に排除された。今は、VRゴーグルが外部の景色を投影している。
機体が急降下する。内臓が浮き上がるような浮遊感。G(重力加速度)の制限リミッターは解除されている。「快適さ」よりも求められるのは、最短距離と最短時間。かつて「航空法」や「騒音規制法」が存在した時代は、空の移動は慎重に行われていたのだろう。だが、父がそれら全ての規制を「非効率な障壁」として撤廃し、空は物流と人流の動脈となった。
眼下に、かつての住宅街が広がる。ドローンは、民家の屋根スレスレを、時速およそ180キロで疾走する。 轟音がガラスを震わる。だが、誰も文句は言わない。「公共の利益」の前で、個人の安眠が必要なら耳船などなんでもすれば良い。
『まもなく、第4特別居住区。着陸態勢に入ります』
機体が強引に姿勢制御を行う。ドンッ!という衝撃と共に機体がアスファルトに叩きつけられるように着陸した。そこは、かつてショッピングモールだった屋上駐車場だ。
ベルトを外し、機外へ出る。次の瞬間、プロペラが爆音を上げて回転し、私が降りた機体は、次の「荷物」を求め飛び去っていった。わずか15秒の滞在時間。
屋上のフェンス越しに街を見下ろす。第4特別居住区。ここは都市の過酷な競争から弾き出された、50歳以上の「低スペック人材」が送られる収容区だ。
空気が澱んでいる。都市部とは違って花粉や粉塵、濃厚な匂いが漂っている。
そこでは、50代あるいは60代の人間が、キビキビと動いている。工事現場で、警備員として、清掃員として。痛む膝を隠して早足で歩いている。白髪を黒く染め、皺を隠すように厚化粧をしている。
私は屋上のエレベーターホールへ向かった。そこにいた清掃員が、私を見るなり直立不動で叫んだ。「いらっしゃいませ! 本日はようこそお越しくださいました!」声が裏返っていて必死な様子が見える。彼女の胸元には、デジタルバッジが光っている。『今月の貢献度:C+(処理ラインまであと0.5)』
ここは「選別所」だ。
「定年」はなくなり「損益分岐点」で管理されるようになった。労働生産性が、生命維持コスト(食費・医療費・介護費)を下回った瞬間、その個体は「赤字」とみなされ、安楽死の対象となる。だから、彼らは必死に「黒字」であると証明する。痛みを隠し、衰えを隠し、都市の若者以上に過剰な「やる気」をアピールする。
ここは「見苦しいあがき」に満ちている。死にたくない。まだ使える。まだ捨てないでくれ。そんな無言の悲鳴が、街全体に充満している。
...はぁ、落ち着かないわ。
地上では、予約していた「地上車」が待っていた。自動運転車ではあるが、運転席には監視役の男が座っていた。50代後半。白髪混じりだが、整髪料でカチカチに固めている。
「お待ちしておりました、お客様! 安全運転で、迅速に参ります!」
男は大声で宣言し、ドアを開けた。その動作は、軍人のように大袈裟で滑稽だった。
車が走り出す。男は運転中も、常に何かをアピールしていた。
「このルートが最短です! 渋滞予測も完璧です! 私は、AIの補助なしでもこれだけの判断ができます!」
車内のカメラ(査定AI)に向かって、独り言のように能力を誇示し続けている。
「……静かにして」
私が言うと、男はビクリと震え、即座に口をつぐんだ。バックミラー越しに見えた彼の目は、怯えていた。都市からの来訪者である私の一言が、彼の査定に響くことを恐れているのだ。
車窓の外では、崩れかけた家屋の屋根を、皆が自力で修理している。業者に頼めば「コスト」がかかる。コストがかかれば「赤字」になり、死刑宣告が近づく。怪我をしても病院には行かない。医療費がかさめば、安楽死の対象となるからだ。彼らは、健康なふりをして、笑顔を貼り付けている。
「なんて非効率な……」
私は溜息をついた。潔く死ねばいいのに。生産性が落ちたなら、速やかに次世代にリソースを譲るべきだ。なぜ、そこまでして「個体」にしがみつく?この見苦しい生存本能こそが、父が最も軽蔑した「バグ」だ。
ズキリ。脳裏に、あの夢がフラッシュバックする。冷たい岩の夢。あの岩は、頑張っていない。無理に輝こうともしていない。ただ、静かにそこに在った。
(……ここの人たちとは、違う)
彼らは岩ではない。消えかけのロウソクだ。消えまいとして、最後にジジジと汚い煙を上げている。都市の「青い炎」と、地方の「黒い煙」。
「着きました! 予定時刻より3分短縮です!」
男が誇らしげに叫んだ。車は、古い別荘地の前に停まっていた。
私は電子決済を済ませ、クルマを降りる。
ここは、かつて父がアジトとした場所。そして今は父が最後の審判を待つ場所。私のポケットにある端末には、冷酷なデータが表示されていた。
『対象個体ID-########## 累積コスト超過 処理推奨』




