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12_白い種

 扉が開いた瞬間、窒息しそうになった。



 ここは集光タワー、統括コマンドルーム。


 世界の脳とも呼べる場所だ。壁一面の巨大モニターには、世界中から吸い上げられた「生産性データ」が、美しい光の川となって流れている。


 『――エリアD42、目標値達成』


 『――エリアF26、不要在庫の廃棄完了』


 完璧だ。数時間前までいた「廃棄区」の、あの澱んだ空気とは雲泥の差だ。本来なら、私はこの清浄な空間に安らぎを感じるはずだった。



 だが、今の私には、この光景が「止まっている」ように見えた。


 高速で回転するコマは、静止して見える。それと同じだ。この社会は、あまりにも最適化されすぎている。誰もが同じ正解を選び、同じルートを通り、同じ速度で生きている。  そこには「揺らぎ」がない。「未来」がない。


 「……気持ち悪い」


 ここは「楽園」ではない。父が変化への恐怖から逃げるために作った「閉じた箱庭」だ。


 ズキリ。脳裏に、あの「岩の夢」がフラッシュバックする。冷たい宇宙に浮かぶ、動かない岩。父は「熱(動)」を求めたが、結果として生み出したのは「冷(静)」だ。どちらも、変化を拒絶している。岩は「頑固」に。都市は「最適化」によって。どちらも、外部からの入力を受け付けない、完結した死の世界だ。



 私はマイクのスイッチを入れた。接続先は、さっきまでいた和室。死を待つ父だ。


 「……テストを開始します。」


 『ああ、いつでもいい』


 父の余裕に満ちた声。


 『手加減は無用だ。お前が思う「最強のバグ」で、この城壁を叩いてみろ』


 父は笑っている。私がこれから何をするか、想像もついていない。

 父は、私が「外部から」システムを攻撃すると思っている。だが、私はハッカーだ。一番の脆弱性がどこにあるかを知っている。 それは、**「父が私を信頼しすぎていること」**だ。


 私はモニター上の完璧なグラフを見つめながら、静かに告げた。


 「お父様。あなたの理論には、致命的な欠陥があります」


 『ほう?』


 「あなたは、現在の環境データだけに特化して、人類を最適化しすぎました。今の気温、今の資源、今のウイルス。これらが続く限り、この社会は最強です。ですが……もし、パラメータが一つでも変わったら?」


 『……何が言いたい』


 「未知のウイルスが流行ったら? 気候が激変したら? あなたの作った『均一な人類』は全滅します。全員が同じ遺伝子戦略、同じ行動原理を持っているからです。誰も『違う行動』をとらない。だから、誰も生き残れない」


 私は、廃棄区で見た光景を思い出した。壊れた改札を叩く駅員。無意味に歩き回る老人。 彼らは無駄で非効率だ。ノイズだ。 ……だが。


 「『廃棄区』の人々。彼らは、それぞれ勝手なことをしています。右に行く人もいれば、左に行く人もいる。もし、右の道が崩落した時、生き残るのは、非効率にも左へ行った彼らです」


 「あなたの愛したこの都市には、左へ行く人間がいません。全員が最短ルートで、右の崖へ落ちていくでしょう」


 沈黙。やがて、父の乾いた笑い声が聞こえてきた。


 『ククク……。なるほど』


 父の声に動揺はない。むしろ楽しんでいるようですらあった。


 『だが、それがどうした? 全滅するならすればいい。環境に適応できずに滅びるのもまた、熱力学的な必然だ。ダラダラと生き延びるより、最高速度で壁に激突して砕け散る方が美しいとは思わんか?』


 父はまだ「美学」を語る。


 「いいえ、思いません」


 私はきっぱりと言った。


 「それは『思考停止』です」


 『ふむ……』


 「あなたは変化し続ける宇宙の複雑さに耐えきれず、簡単な『死』という安定に逃げただけです。あなたは熱を求めているようで、実は、永遠に変わらない静寂を求めていた。」



 私はコンソールに手を置いた。管理者権限(Root)でのアクセス。


 父は私を「最高傑作」として育てた。だからこそ、このシステムは、私の生体IDからのコマンドを「絶対正義」として無条件に受理するよう設計されている。  父の愛ゆえの、最大のセキュリティホール。



 「私はこれから、このシステムに不純物を混ぜます。摩擦を起こします。あなたが排除した『無駄』を、もう一度この世界に注ぎ込みます。効率は落ちるでしょう。美しくもないでしょう。でも、それが『生きる』ということだと思っています。」



 父の溜息が聞こえた。それは失望の色を帯びていたが、どこか諦めに似た響きがあった。



 『私が作ったこの堅牢なシステムが、お前の小さなノイズごときで揺らぐものか。およそ72時間後。私が死ぬ瞬間まで、世界がまだ回っているか、試してみろ。』



 プツン。通信が切れた。


 「……やってやる」


 私は、コンソールに向かった。私は、システム最深部にある「環境設定(config)」へアクセスし、たった一行のコマンドを打ち込んだ。


 『パラメータ”遅延許容”:許可』


 父は、人間が迷う時間をないものとして扱うように設定していた。人々は反射的に正解を選ばされていた。私は、そこにほんの少しの「遊び」を持たせる。人が立ち止まり、怒り、迷うための、ほんのわずかな隙間。それを許容するように。


 エンターキーを叩く。


 『――Error.』


 無慈悲な赤文字。警報音が鳴り響く。


 『警告:当該変更は「総生産効率」を著しく低下させる要因となります。基本原則に基づき、設定は却下されました』


 弾かれた。


 父の作ったこのシステムは「効率化」こそが神だ。管理者権限を使おうとも、その教義に反する命令は「自殺行為」とみなされ、拒絶される。



 「……想定内よ」


 私は、次のコードを入力する。


 真正面からの書き換えが無理なら、「定義」を変えればいい。私は、さっき見た父の記憶をたどり、父がシステムの根幹に刻み込んだ「目的関数」を呼び出した。


 『目的:エントロピーの最大化(宇宙への熱還元の加速)』


 父は、この目的のために「効率スピード」を選んだ。だが、私は理解した。スムーズに流れる電流よりも、抵抗のある回路を無理やり通る電流の方が、遥かに高い「熱」を発する。真に静止しない環境は、効率だけでは成されないということを。


 私は、AIに対して新たな論理を提示する。


 『定義変更:人間の「迷い・葛藤」を、「無駄」から**「燃料」**へ再分類せよ』


 AIが沈黙する。超高速の演算が行われている。「迷い」が生むタイムロスと、「迷い」が生む感情的な熱量。どちらが宇宙にとって「美味しい」か。AIが天秤にかけている。


 『……シミュレーション結果:推定熱量は増大』


 通った。父が求めた「燃焼」を突き詰めれば、父が愛した「秩序」こそが邪魔になる。AIは冷徹に計算し、父の美学よりも、物理的な熱量を選んだのだ。


 『承認:新たな設定を受け入れます』


 緑色の文字が浮かんだ。システムは、自らを焼き尽くすための毒を、新たな栄養剤として飲み込んだのだ。


 種は撒かれた。あとは、芽吹くのを待つだけだ。



 「あなたの完璧な世界が、ノイズで窒息していく様を……特等席で見ていてください」

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