09_黄金の託宣
ドクン!!
脳内に衝撃が走った。
視界がホワイトアウトする。父が強引に流し込んできたデータ。それは、父の記憶。父の五感だった。
私の意識は、強制的にその時代へとダイブさせられた。
***
熱い。
安っぽいアパートの一室。排熱ファンの唸る音がう聞こえる。複数のモニターに囲まれ、若き日の父――は、コードを書き殴っていた。
私は、父の「網膜」を通して世界を見ていた。父の五感を共有しているのに、意識だけは観客席にいるかのような、奇妙な乖離を感じる。
窓の外の東京。父の目には、そこを歩く人間たちが「エネルギーの淀み」として映っていた。
(……あまりに遅い)
父の思考が響く。
(彼らは金を持っているのに使わない。時間があるのに動かない。才能があるのに挑戦しない。)
『……見ろ、あの星を』
父の脳裏に、「紅い巨星」のイメージが重なる。自らの質量を燃やし尽くし、猛烈な勢いで宇宙へ熱を還元し続ける星。父にとって、それこそが「善」だった。宇宙は、物質がエネルギーに変わる、”散逸”を望んでいる。だというのに、人類は、「不安」や「保身」という名の殻に閉じこもり、そのプロセスを堰き止めている。
「これは罪だ」
父は呟いた。
「宇宙に対する、怠慢だ」
人間が愚かなのではない。複雑化した現代社会において、人間の脳は処理能力の限界を超えている。だから「迷う」。だから「立ち止まる」。それが、膨大なエネルギー損失を生んでいる。
「なら、アップデートしてやるしかない」
人類の「思考回路」を外付けにしてやる。彼らよりも遥かに賢く、冷徹で、効率に忠実な「神」を、ポケットに入れてやればいい。
私は理解した。父は、金儲けや支配欲で動いているのではない。彼は本気で、「人類を、エネルギーを効率よく燃焼する燃料」だと考えていた。
エンターキーを叩く。
アップロード完了。アプリ名:『Burn』。
そこからまた意識に歪みが生じた。時間が早送りにされるように、断片的な情報と記憶が流れ込んでくる。それは父の歩んだ軌跡であった。
リリース当初、その機能は端的に言えば「AIによる超高速・資産運用」だった。ユーザーは、口座の権限をAIに委譲する。AIは、秒単位で資産を回転させる。人間には不可能な速度で、金を循環させる。
最初は、皆が「怪しい」「詐欺だ」と言った。だが、「結果」が全てを黙らせた。『資産が倍になった』『寝ている間に儲かった』と、SNSで口コミが広がり、若者たちはこぞってアプリをダウンロードした。
そして、次のカードを切った。バージョン2.0。名目は「人生のポートフォリオ管理」。金だけでなく、時間、人間関係、キャリア。人生のすべてをAIに委ねさせる。
『今の会社は将来性ランクDです。明日、辞表を出してください』
『その恋人との交際は、精神的コストに見合いません。別れてください』
そういったアドバイスを守ると、皆うまくいった。
「自分で考えるより、ずっとうまくいくじゃないか」
人々は気づいてしまった。
自分の頭で悩み、迷い、失敗することは、人生最大の「無駄」だと。思考を放棄し、AIに身を委ねる快楽。
歪みが減り、意識が着地する。さっきいたサーバールームと同じ場所。おそらく、数年ほど時間が経っているのだろう。そして、隣には女性がいる。私はこの人が母だと直感で認識した。私の面影を感じる。
「……うまくいったわね」
隣で、彼女がモニターを見つめている。だが、その顔には微かな不安が浮かんでいた。
「でも、これ……大丈夫なの? AIの指示、倫理的に危ういものがあるわ」
彼女が指差したログ。
『親の介護はコストパフォーマンス最悪です。施設に預け、面会頻度を減らしてください』
『ライバル企業の不祥事データをリークしろ』
「……ああ、気にするな」
俺は冷たいコーヒーを飲み干した。
「それが『最適解』だからだ」
俺は、彼女にも隠していることがあった。
このアプリのコア・アルゴリズムには、俺が意図的に植え付けた「パラメーター」がある。
『倫理感を“Null”とせよ』
AIの判断基準から、「道徳」や「感情」といったブレーキを、意図的に削除したのだ。あくまでも上手く刷り込める範囲で。
なぜか?倫理が「社会的な摩擦」だからだ。
親を見捨てるべきか? ライバルを蹴落とすべきか?
そこでの悩み・葛藤は、数千万人の規模で積み重なれば、巨大なエネルギーロスになる。
宇宙は、善人を求めていない。宇宙が求めているのは、「よく燃える薪」だ。ならば、湿った倫理など焼き払うのが、俺の責務だ。
「欲求が満たされるならば、老後の心配? 死んだ後の評価? そんなちっぽけな人間のルールで、この美しい代謝を落とすなんて、許されない」
画面の向こうで、何千万人もの人間が、俺のAIに従って動いている。彼らはもはや、自分の頭で善悪を判断していない。「効率的か、否か」。判断基準はその一点。
「見ろ……この一体感を」
誰も迷っていない。全員が同じ方向に向かって、全速力で走っている。バラバラだった人類の意思が、AIによって統一され、一つの巨大な物理現象へと進化しようとしている。
「これが、俺たちの革命だ」
俺は彼女の手を握った。彼女の手は冷たかったが、その瞳には、俺と同じ「狂気」の火が灯り始めていた。
記憶の中で、私は立ち尽くしていた。父は、独裁者になりたかったわけではない。彼は、自らを物理演算の「指揮官」だと信じていたのだ。人類の幸福よりも、物理法則の遂行を優先する。
その純粋すぎる信念が、あの世界を生み出したのだ。




