第二章ー①
「お父さんね。晴人くんのことすごく気に入ってたから」
その日のバイトで僕は出勤を大幅に減らしたい旨を伝えた。マスターには本当によくしてもらったから心苦しい。客の退店も早く閉店時間を待つのみとなった店内で、僕は渚さんと二人きりになっていた。
「覚えがよくて、礼儀正しくて、昨今の若者はなんていい子なんだ、って感動してたよ。晴人くんが特別よくできた子なだけなのにね」
「そうですね。僕が優秀なだけだと思います」
「照れなくてもいいのに~」
渚さんの指が僕の頬をつっつく。そんなにわかりやすかっただろうか。
「マスターには感謝してもしきれません。こんなわがままも聞いてもらって」
学生バイトなのに厨房に呼んでくれて、料理を一から叩き込んでくれたことは特に。
厳しくも優しい、父親のような存在だった。
「わがままだなんて思ってないよ、絶対。むしろこんな時期まで付き合わせて悪いなって言ってたし」
バイトから距離を置くのに受験は好都合だったから使わせてもらった。だけど実際、勉強に集中するわけではないので罪悪感が残った。
「成績いいんでしょ。どこ志望なの?」
「なるべく上の方ですかね。決まったら教えますよ」
また誤魔化すしかない。これだけお世話になった人々にさえ、言えない。
「……大学入ったら、合コンしようよ」
僕がいい大学に入るのを期待してか唾をつけてきた。
「なんか取って食われそうだな……」
「え~そんな乱暴しないよぉ。綺麗なお姉さんと遊びたかったら声かけてってこと」
猫なで声に背筋が戦慄く。でも、自分で言っても嫌みじゃないくらい綺麗なお姉さんではあるのよな。
「渚さん、僕が大学生になる頃ちょうど就活では?」
「さっさと内定とって来年の今頃は遊びまくる予定だから」
「プラジュは継がないんですね」
「あーお父さん、よく晴人くんみたいな息子がほしかったって、あたしに言ってくるのよ」
「料理に興味持ってほしかったんじゃないですか?」
「それもあるのかな。もしくは、あたしと晴人くんができちゃえば、跡取り息子の完成……とか考えてたかも」
顔を赤らめながら普段とはかけ離れた真剣な声音。もし僕が何の経験もない純朴な青年で、バイト先の綺麗なお姉さんとこんなシチュエーションになったら即座に恋に落ちてしまうだろう。
「どう思う?」
「どうって……ごめん。好きな人いるから、渚の気持ちには応えられない」
脇腹を殴られた。
「んだよ。この前の仕返ししようと思ったのに、ちょっとは動揺しなさいよ」
「やっぱり渚さんあのとき動揺して--」
二発目は太ももに来た、傷跡が服で隠れる位置を殴ってくるあたりこの人、慣れていやがる……。
「あのね、晴人くんごときにあたしが靡くわけないでしょうが」
「じゃあ合コンの話はなかったことに……」
「うそうそ。お姉さん、結婚するなら君みたいな真面目で誠実な人がいいって思ってたのよー」
言ってることも表情もころころ変わる。この人が隣にいたら毎日楽しいだろうな。自然に笑顔になっていた。
「だからなるべくランクの高いところ受かってね」
「期待に沿えるか、わからないけど」
前向きに、未来のことを思案する。大学生になれたら、もっと人と関わる生き方をしよう。たくさんの出会いを、遠ざけることなく受け入れようと思う。
「いや、ほんとに……違うってそういうの」
「黙れ。僕がそうするって決めたんだ」
「やーめーて。わたしのなんだから」
「レジの人困ってるでしょうが。いいからどけ」
強めの口調で制するとひなたは不満そうだった。どうせなら嬉しそうにしてほしいもんだ。
家電量販店に来ていた。イヤホンが欲しい、と彼女が言ったから。
ひなたに物欲が芽生えたことに僕は驚愕し、急いでATMで金を用意しその日のうちに連れてきたのだ。
化粧品も服も最低限しか持ってないのに。自分の境遇で贅沢は許されないと考えている節があって、望んで質素な暮らしをしている彼女が、わざわざ欲しい物があるというならそれはもう僕が何でも買ってあげるよという気分にもなる。
目的があって貯めた金だが、僕が二年間働きづめで得た収入はほぼ手つかずで口座にある。この程度の出費痛くも痒くもない。ひなたも同様に纏まった金はあるから、もちろん自分で払う気だったのだろうが。
「イヤホンだけでいいの? 専用の再生機とかいらない? 音質とかこだわるんならさ」
知識がないためとりあえず高くてノイキャン搭載で性能のよさそうな奴を購入した。
「スマホで聴くから、平気」
店員さんが梱包してくれたブツをひなちゃんへ渡す。やっぱり納得いってなさげだな。
「……なんでぜんぶくれちゃうの」
「やだった?」
「ちがう。だって、わたし何も返せないから」
この子は勘違いをしている。僕はすでにたくさん受け取っている。それを伝える言葉は見つからないけど。
「……もらってばっかりで、奪ってばっかりだもん」
負い目になってほしくない。こんなの無償の厚意で、プレゼントして喜んでくれればいいなってだけの話で。
「ひなた、僕もうすぐ誕生日だけど」
「うん」
「18歳の。誕生日だけど」
「わかってる。考えてるから」
「楽しみにしてるよ」
別に物なんか何もいらない。一緒に祝うことができればそれで。
ついに18歳になる。ひなたも僕の一ヶ月遅れで、なる。約束の時が近づいている。
「イヤホン開けていい?」
帰り道、公園を指さして言う。家まで待ちなさい、って台詞は飲み込んだ。自由にさせる。
ベンチに腰掛け箱から充電ケースと本体を引っ張り出し、スマホを操作しながらブルートゥースペアリング。いつの間に契約していたのか、定額音楽配信アプリを立ち上げサムネイルをタップする。
「……おぉー」
外からは何が起こってるかわからない。
「どう? 音質どう?」
「…………」
ひなたは目を閉じて音の海へとダイブしている。リズムをとっているのか小刻みに揺れる幼なじみは新鮮でめちゃくちゃ可愛かったんだけど、僕の声はノイズとしてキャンセルされているようだった。
「おーい」
そもそもなんでイヤホンを欲しがったのかというと、クラスで行ったカラオケで何も歌えずに終わったからのようだ。僕はそれに呼ばれてもいなかったから詳しくは知らん。
「一人にしないでよ」
「…………」
あ、これやべえな。通学時間とか僕との会話より流行の音楽を優先されちゃうわけでしょう?
「いあっ」
僕は強引に奴の片耳からイヤホンをもぎ取って自らの耳へ。もちろん僕はその曲を知らなかったが。
「……こういうのが人気なの」
「わかんないけど、らしい。だから聴いてみてる」
彼女が興味を示しているなら、共有してみよう。流れていく音楽は、CMなどでちょろっと耳にしたことあるものを除けば、ほとんどが初めて出会う曲達。
「僕たち、世界を知らなすぎるね」
「うん」
「知らないだけで、楽しいことや美味しい物や素敵な景色が、いっぱいあるんだろうね」
片耳ずつなら会話もできた。無線であるのに自然と肩も触れあう距離に。手に手を重ねる。
「そうだね。そうかも……」
「探しにいこうよ、いつか」
希望を抱かせる曲が耳元で鳴っていた。人生捨てたもんじゃねえな。だってお前と出会えたんだよな。幸せな未来作っていこうな。みたいな歌。
ひなたからの返事はない。聴き入っているのか、無視されたのか。
「さがぁしに~いこぉう~♪」
メロディに乗せて言ってみた。
あ、無視されてるわこれ。