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終章ー⑤

『晴人……頼む、ひなたを』

『ぜったい、ぜったい連れ帰って』


 泳ぐことは昔から大好きで得意だった。ここで格好いいところを見せれば、ひなちゃんも僕を見直すんじゃないかと思った。だからいの一番に飛び出して、懸命に荒波をかいていった。


『任せて! ひなちゃん、いこっ』


 当時の僕には信じられなかった。絶対あとから戻ってくるのだと思った。だって、子供の僕でもひなたの浮き輪を引きながら浜までたどり着いたのだから。


 離岸流に飲まれてパニックになったのだろう、と今なら想像はつく。海は穏やかな顔をしていても、場所によっては強くうねり、沖へと運んでいく波を作る。


『はるくん……パパとママは?』

『きっとどこまで泳げるか競争してるんだよ』


 救助されたひなたの両親が意識を取り戻すことはなかった。

 人の死というものを八歳の子供が理解するのは難しい。ひなたは二度と両親とおしゃべりできないことを知って、帰ってこないのだとわかってようやく、大きな声で泣き出した。


 その悲しみに暮れる背中のか細さ。今でも忘れない。


 僕がこの子を絶対に守るんだ、って誓ったんだ。


『--はるさん!』


 ひなたに降りかかるすべての悲しみを、取り払ってあげたかったんだ。


『起きて! ねえ、死んじゃだめぇ!!』


 だからそんな悲しそうな顔するなよ。今、行くからさ--




「はるさんっ!」


 暖かい。揺られている。なにに? 波だ。海だ……海。ひなたが泣いている。どうして、海に二人……。


「…………まだ生きてるね」

「なんであなたまでこんなことするの!?」


 彼女をかばうように身体を差し込んで、海面に叩きつけられたのか。意識まで飛んだうえに全身が痛いが、どこか欠損したわけではなさそうだ。近くの岩場にぶつかっていたらまず命はなかっただろう。


「けがはない?」

「ばか! もうほんとばか!!」

「どの口が言うんだ。勝手に死のうとしてたくせに」

「だって、あなただけこれで……死んじゃったら、わたし……どうしていいかわからないよ」

「死ぬならいっしょだろ。僕がどうなろうが」

「わたしだけ置いていかないでよぉ!」


 感情が高ぶり過ぎてる。自分が何言ってるのかわかってるのか?


「お前だって僕を置いていこうとしただろうが」

「あなたは生きなきゃダメなの!」

「めちゃくちゃだな。話にならない……」


 でも、こうしてまだ話すことができている。止められないと覚悟した彼女の死を、間一髪で一時停止させたのだ。


「あのね、すこしは僕の気持ちわかった? 最愛の人が目の前で死んでいこうとする気持ちが」

「…………ちょっとは」

「君が今味わっているような気持ちを、僕はこの旅の間ずっと抱えてきたんだよ」

「うぅ……」

「僕が死にかけてはじめて気づくなんて、本当に馬鹿だな」

「だってぇ……!」


 よほど怖かったのだろう。大粒の涙をぼろぼろと零しながら、僕にしがみつく。


「あーもう泣くなよ」

「……よかった。生きててよかった」

「僕も君が無事でなによりだよ」

「わたしは……このまま海に溶けるから」


 まだ言うかねこの子は。


「水中で僕から逃げられると思うの? このまま溺れさせると思う? トラウマでろくに泳いでこなかったひなちゃんよ」

「もういいよーって言うまで目を開けちゃダメ」

「絶対離してやんない」

「やぅ」


 不意打ちで唇を奪う。しょっぺえし磯くせえ。やめときゃよかった。


「人が亡くなるって、怖いよな」

「……うん」

「一度は諦めかけたけど、やっぱり僕、君のそばにいたいや。もう誰かが死ぬのなんてまっぴらだ」

「……でも」


「なあひなた、その命いらないならさ、僕に全部くれよ。さっき手放したんだから、もういらないだろ?」


「いらない……けど」


「一度死ぬ気で飛んだんだ。今は、生まれ変わったようなものだろ。だったらこの新しい命は……僕のお嫁さんになってほしい」


「ひぇ……はるさんが乙女心を的確についてくる」

「茶化すなよ」

「だって……正気の沙汰とは思えない」


 何故と聞いたって、今まで通り自分は疫病神ですべて奪ってだから一緒にいないほうがなんて言い出すに決まっていた。


「おかしいだろ。夢を諦めても、家族がバラバラになっても、それでも、ひなたの方が大事なんだから」


「いつか……わたしと出会ったこと、後悔すると思う」


「過去は変わらない。ずっと僕らの中にある。それでも、現在最新の僕が、君といることを願っている。だからきっとこの先に、後悔なんてないよ」


「いいのかな。わたし……このまま」


「誰も君にそうしろなんて言ってないだろ」

「夢の中で、ずっと……みんな、言うもん」


「じゃあそんな怖い夢見ないよう、毎日くたくたになるまでセックスしよう」


「はるさん台無しだよ。やり直しだよ」

「じゃあそんな怖い夢見ないよう、僕がずっと撫でてあげるよ」

「……くっさ」

「おいてめえ」


「60点かな。気障な台詞は、それなりの顔面が伴わないと」

「僕ってひなたの欲目でもイケメン枠じゃなかったんだ」

「髪の毛おでこにぺしゃってなってるし、はるさん史上今が一番ブスだよ」

「お前もブス。普通に、泣きすぎて顔面崩壊してるし」


「ブスなわたしを愛してくれないと結婚はできない」


「うそうそひなちゃん可愛いなあ。いつも可愛いけど、今日はちょっとお疲れかな? はやく旅館に戻ろうね~」


 ひなたの手をひいて、不格好に泳ぎだした。身体中痛いし、現役を離れて何年も経ってるから思い通り進んでいかないけど、一つ、また一つ腕をかきながら。


「はるさん」

「なに」


「星がすっごい綺麗」


 頭上には、もう一つの海原が広がっている。星も、月も、僕らを照らしてくれている。顔を上げなきゃ、きっと気がつかなかった景色。


「……眩しいね」


 人は命尽きたら、あの無数の粒の一つになるのだという。

 見守っていて欲しい、僕たちが隣にいくまで。

 ごめんね。そして、ありがとう。

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