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第三章ー③

 経緯は語った。それが母の治療にどう活かされるのかはわからない。病院からの帰り道、僕は決意を新たにする。


 ひなたも入院させよう。白瀬先生に頼ろう。


 ひとまず病院にいれば落ち着かせられる。結論を先送りにすることはできる。さっきのやりとりで嫌な記憶がわき出してきて、僕の心も余裕がなくなっている。このままでは三人とも潰れてしまう。時間をおいて、疲れをとって、また寄り添えばいい。そうと決めたら早くひなたを迎えにいかなければ。


 明日にでも、彼女を病院へ連れて行く。


 そうしよう。


 ふと違和感を覚える。プラジュの外灯がついてない。普段ならこれからピークタイムなのに……臨時休業?

 背筋に嫌な汗がしたたる。


「ひなたっ」

「はるさん! はるさんっ! どこ、どこなのぉ! わたしを置いてかないでぇ!! はるさぁぁぁああん!!」


 暴れて出て行こうとするひなたを、マスターが必死に取り押さえていた。


 一瞬意識が飛びそうになる。目の前で起きてることに現実感がなかった。


「晴人くん! 早く来てっ」

 惚けている場合ではない。駆け寄ろうとしたがその一歩目がぐらついた。

「晴人!」


 派手にすっころんでしまう。はは、だっせぇ。

 お互い床に這いつくばって、なんて格好だよ。


「ひなた……ただいま。待たせてごめんね」


 僕は上手く笑いかけられているだろうか。不安にさせてごめん。もう絶対離さないからね。


「はるさぁん、うぅううぁああ」


 まるで親とはぐれた幼子のようだった。僕にしがみつきありったけの涙を流している。


 これほど感情を発露させる姿は、約束をした日以来か。元父に襲われ、心が欠損して、彼女は笑いも泣きもしなくなったのだ。


 そのひなたが、人目もはばからず癇癪を起こすなんて想像できるかよ。


「もう大丈夫だからね。ごめんね」

 背中を撫でて安心させる。よほど怖かったのだろう。これなら連れて行った方がよかったか。


「……だい、じょぶ?」

「ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません」


 ああ、また一つ僕は居場所を失ったのか。

 二人が僕らを遠巻きに見つめている。困惑の色が浮かんでいる。こんな痴態を晒せば当然のことだろう。


「最初は普通にしてたよ。でも、お前がしばらく帰らないことに気づいて……」

「……はは、そこまで考えてなかったな」


 まさかひなたに僕を探しにいこうとする体力が残っているとは。二人には本当に頭があがらない。


「マスター。渚さん。すごく助かりました。今まで、ありがとう」


 これ以上、店の邪魔するわけにはいかない。

 入院の線も無くなっちまった。

 いよいよ、腹をくくるしかなさそうだ。


「帰ろうひなた。僕らの家に」




「先生、こんな時間にごめんなさい」

「晴人さん。どうか落ち着いてくださいね。気を確かにもって」


 泣き疲れたのだろうか、ひなたは身体を丸めて眠りについた。それを見届けてから僕は先生とビデオ通話をはじめる。まず顔を見るなり状況を察したのか心配させてしまう。


「約束を果たすことになるかもです。止められないのかな」

「ひなたさんはそばに? ……そうですか。深刻なようなら連れてきてください。救急車を呼んだっていい。あなたも休んだ方がいいですよ」


 つい先日会ったときは希望に溢れていた。ひなたの誕生日まで平穏で、もしかしたらこのまま幸せになれるんじゃないかって。


「ダメなんです……僕が近くにいないと」


 経緯を説明するのも億劫だった。けど今までずっと僕らを気にかけてくれた恩人に、何も言わずに消えるのは心苦しくて

「絶対に入院させるべきです。ひなたさんだけじゃなくて、あなたももう……」

「よくなるんですか? 過去のトラウマからずっと逃げられずに気づけば五年。カウンセリングでどうにかなります?」

「それは……わかりません。でも、点滴を打って一度ゆっくり眠った方がいい。決心するならそうしてからでも遅くないでしょう」

「おんなじことの繰り返しだ。いつまでも逃げられない。僕ら、お先真っ暗ですよね」


 治せるなら藁にでもすがりたい。記憶を飛ばせば、あるいは、それぞれがまったく違う道を歩いて行けば救われるのかもしれない。


 近くにいるから。思い出さずにはいられないから。お互いの欠損が見えてしまうと、悲しみが幸せをたちまち塗りつぶす。


 僕は、この世で僕だけは……ひなたを幸せにすることができないのだろうか。


 過去を共有しているせいで、僕らは記憶から逃れられない。あるいは僕も、たとえば尾崎さんと結ばれたならにこやかに、苦しむことなく。


 テーブルの上に嘔吐した。先生に見苦しい場面を見せてしまった。


「……ずいまぜん」

「あの、本当にすこし休むだけのつもりでいいから、来てください」

「ありがとう先生。僕に何かあったらひなたをお願いします」


 通話を終える。吐瀉物をざっと片付けて、母の寝酒のウィスキーを煽る。

 カッと喉を灼く痛みすら心地いい。

 強烈な刺激はよそ事への意識が向かないようにしてくれる。高濃度のアルコールに吐き気がぶり返してくるが押さえ込む。胃がひっくり返りそう。


 ぐいぐい飲み進める。後先なんて知ったことかよ。


「……これで寝られっかな」


 気持ちのいい酩酊とはほど遠い。意識が飛んでくれればいい。


 叶うことなら、朝まで。




 目が覚めたらひなたがいなくなっているのではないか。不安は僕に悪夢を見せる。最悪のケースが脳裏に映じて、結局飛び起きることとなる。


「……はぁ」


 夏なのに外は真っ暗で、早朝というよりはまだまだ深夜。意識が落ちていたのはせいぜい二時間がいいところか。ひなたは僕の横で微かな寝息を立てていて、夢は夢であったのだと胸をなで下ろす。


 マズいな。このままでは僕が保たない。


 いくら意思の力で支えようと、肉体の限界は訪れる。そのときに彼女はどうなってしまうだろう。早急に手を打たなければ。


 自殺旅行。死に場所を探しに。


 少なくともその旅の間は、彼女は平穏でいられるのではないか。海に還る。その目的を果たすために彼女は僕に付き従うだろう。


 金ならある。僕もひなたもバイト漬けだったのはそもそもこの旅のためだ。実際にはそれも建前で高校をでたらすぐ自立できるようにするのが主目的だが、とにかくひなたにもたんまり稼がせた。


 旅路の中で、彼女を説得する機会もたくさんあるだろう。結局渡せずじまいだったあれも使いどきだ。外の世界を見せて僕らの居場所はここじゃなかったのだと伝える。この腐りきった環境に置いておくよりはずっと目がありそうだ。


 どこか、誰も僕らを知らない場所でなら、やり直せるかもしれない。


「……んごぁ」


 鼻づまりか、変ないびきをかいている。呼吸をしているだけでも愛しい。死なせたくない、僕のそばにいなくてもいい、ただ生きていてくれればいい。


 覚悟を決めなければならない。


 死にに行く覚悟を。


 見定めなければならない。


 自分にとって何が一番大切なのかを。


 すべてを捨てなければならない。


 自分をここまで育ててくれた親でさえも。


「ひなた……」


 ただ一人、この子のために。




 出発の日は、雲一つない猛暑日だった。

 まるで僕らの門出を祝福するかのようないい天気で、内心は腐ってしまう。台風でも来てくれれば、少しでも引き延ばせればなんて甘い考えだった。


「ぼうし」


 麦わら帽子をかぶったひなたのビジュが尊すぎたので激写して待ち受けに設定した。


「はるさん撮り過ぎ」

「馬鹿お前、ただで逝かすと思うなよ。悔いなんてなくなっちゃうくらい、思い出全部寄越しな」

「……ぐう」

「そう簡単に死なせてやらねえぞ」

「心得た」

「だから君も、やりたかったり食べたかったり見たかった物全部、こなしてから諦めるんだよ。じゃないと勿体ない」

「わたし、本当は子供のころケーキ屋さんになりたかったんだ。それと最近、カラオケ行って歌手の道もありかなって思ったんだ」

「…………夢があるっていいね」


 今更遅い、なんてことはない。何歳からだって目指していい。未来の可能性は無限にある。でも歌は下手っぴだから諦めた方がいいと思う。


「大切な人がいて、わたしのことを一番にしてくれて。それでも死にたい気持ちの方が強いんだ。悲しいよね、我がことながら」

「本当に悲しいね」

「逝こうはるさん」


 もう一度、彼女を繋ぎ止める約束を。

 生きる意味を。楽しさを。

 捨てたくない想いを。


 なんとかしてこの旅の間に。


「わたしの最期の海に」

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