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第三章ー①

 どこで僕たちは間違ったのか。まず、小学三年生のあの夏、あの日に海へ行かなければよかった。


 波の高い日ではあった。でも天気が荒れて遊べない、というほどではなくて。浜辺にはライフセーバーもいたしこれから波に挑むサーファーもいた。


 だから注意してれば問題なかったはずだ。好奇心に負けたひなたが浮き輪ごと沖の方へさらわれて行くのだって、早い段階で気づいた。


 僕とひなたの両親が救助に向かう。これもよくなかった。ライフセーバーに頼るべきだった。


 けど僕は泳ぎが得意でそれが自慢で、なにより僕が助けて格好いいところを見せるんだって意気込んでいて。ひなたの親は気が動転して焦ってて、うちの母親が運転して帰るからってすでに酒を飲んでいて、色んな要因が重なって。


 助かったのは、僕とひなただけだった。運悪く彼女の両親は波に身を取られ、帰らぬ人となった。あのとき、浮き輪を持ったまま沖をずっと眺めるひなたの不思議そうな顔が忘れられない。


 そして身寄りのないひなたを我が家に迎え入れたことも、間違いになってしまった。結果論だけど。


 間違いだらけの僕らを取り巻く環境を話すと、警察の人に同情されてしまった。


 母は入院になった。以前世話になった病院に出戻りだ。最近はずっと安定していて、悲しみにくれることも深夜に発狂することも減っていただけに。薬も通院の頻度も減り、快方に向かっているのだとばかり思っていた。


 そして、もちろんこちらもタダではすまなかった。


「ひなた……食べられるか。ゼリーでもいいから飲んでよ」

 ほんの数日前まで高級ホテルのディナーに舌鼓をうっていたのに。せっかく18歳になって、たくさんの選択肢が見えてきたのに。


 中学一年のあの頃に逆戻りしたみたいだ。


 当時と違うのは、僕に多少の金があり彼女を守る力が微弱ながらあること。そしてひなたを脅かす敵が家にいないこと。だからあとはどれだけ心のケアをできるかにかかっているのだけど、まともな有様を失ったアパートでひなたの罪悪感は増していくだけだった。


 白瀬先生に頼るか……? いや、先生は僕のことをずっと励ましてくれたけど、かつて入院していたころのひなたには手を焼いていた。先生の力を借りるなら病院外ではいけない。


 また、ひなたを入院させる。

 次も戻ってこられる保証がどこにある。

 その選択肢を採用するには決意が足りなかった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 ずっと呟いている。ようやく忘れられそうだったのに。ひなたも母さんも時間が流れる中で、過去になりつつあったのに。


 逃れられない。もう五年も経つのに。傷跡はじくじくと膿を吐きだして存在を主張してくる。


「ひなた、僕がわかる?」

「…………はる、さん」


 肩を揺すぶって無理矢理こちらを向かせる。なんて虚ろな瞳だ。真っ白な顔色と相まって死者かと見紛うくらい生気がない。


「ゆっくり息を吸って、吐いて。ここには僕しかいない。安心していい」


 か細い呼吸。今にも朽ちていってしまいそう。


「ちょっとずつでいいから飲んで。これ、甘くておいしいよ」

 細心の注意を払いつつゼリーと水を与える。命を繋ぐだけの摂取はさせなければ。

「お腹減らない? 食べたい物とか」

 反応なし。

「そだ、そろそろお風呂入らない? さっぱりして気分もよく……」

 反応なし。


「ひなた、夏休みだしどこか出かけようよ。二人で……ひなたが行きたいところに」

「夏……約束」


 しまった馬鹿やった地雷踏んだ。


「いかなきゃ。18歳に、なったから……」

「いやーまずは元気つけないとだね! ひなた立てないでしょ今!」

「やっぱりダメだった。約束、したでしょ。もう……いいんでしょ」


 うわごとのように零れる言葉は、ずっと見ないようにしてきた彼女の本心なのだろう。ひなたを苛み続ける自責の念は、常に自身に消えてなくなれと囁き続けていたのだ。


「いこうはるさん。……死に場所を探しに」


 最悪のタイミングで突きつけられてしまう。

 彼女を死なせないための稚拙な方便。

 あの日の子供だましが、いよいよ僕を追いかけて刺しにきやがった。

 



 かつて死を望んだ彼女を繋ぎ止めたのは、期限付きの約束だった。


『ダメだよ。ひなたの命は、両親が救ってくれたんじゃないか。お父さんお母さんが子供の君になんとか生きていて欲しくて、助けてくれたんだろ!!』


『でもわたしはもういなくなりたい! これ以上あなたから奪いたくない!!』


 泣きわめきながら終わらせることを願っている。感情の消え失せた彼女が最後に泣いた日。


『無責任すぎる。僕は認めない。君は生きるべきなんだ。両親が悲しむぞ』

『もう死んでるんだからわかりゃしないよ!』


 その通りだと思う。だが、どんな手を使ってでも引き留めなければいけなかった。


『あの世で悲しむだろうなぁ。折角俺たちが溺れてまで助けたのに、自分から死にに来やがったって。ひなたが一人で泳ぎに行かなけりゃ、こんなことにならなかったのに』


 生かすためならその罪悪感ごと利用して。


『じゃあどうすればいいの! 仕方ないことだってあなたも言ってたのに』

『生きろよ。せめて大人に……成人するまでは。そしたら君の命は自分で扱えばいい。親が命を賭して守ってくれた子供の命を軽々捨てるな』


『むり……この先もずっと、苦しいだけだよ』

『わかんねーだろ。僕、楽しいこといっぱい用意するよ』

『あなたは水泳続けて。わだしなんが、忘れでぇ……っ』


 それこそ無理な相談だよ。僕が部活なんてやってなかったら、ずっとそばにいたら、あんな真似は絶対にさせなかった。このときから、僕はすべてを捧げることを誓ったのだ。


『とにかくまだ死ぬなんて認めない。僕に申し訳ないと思うなら、言うことを聞け』


『18歳になるまで……?』


『そのころには、ひなたは楽しくて幸せな日々を送っている。死にたかった過去なんて忘れて、苦しい思い出も水に流して。僕の隣で笑っている』


『ぜったい死ぬから。無理だもん……』


『それでも気が変わらなかったら、最期に旅にでよう。壊れた家やこの病室しか知らないのに死ぬなんて勿体ないだろ』


 僕もまた、逃げ出したかったのだ。親や環境に振り回される自分の力のなさに嫌気がさしていた。


『死に場所探しの旅……ね』

『二人で生きていける場所を探す旅、だよ。18歳になったら自分の意思で宿も取れるし、どこにでも行ける』


『優しいね。いつか必ず消えるのに、思い出までくれるんだ』

『そんなん人間誰しもそうだろ。いつか消える。地球に還る。それまでどう生きるかじゃないの』


『ならわたし、海に還りたい。海に溶けて、混ざって……パパとママに会いに行くんだ』

『大人になった姿、見せてやれよ』


 約束を結んでから、徐々にひなたは快方に向かっていった。白瀬先生も驚くぐらいに、人間としての機能を取り戻していった。


 あれからもう、何年も経って。


 忘れていてくれればよかった。事実、数日前までは未来の話をしていたんだ。このまま、進んでいけるんじゃないかって。


 しかし時間は二人の傷を癒やしてはくれなかった。トラウマは常にこちらを監視していて、最悪のタイミングで心を壊しにやってくるのだ。


 僕は失敗したのだろう。


 母がひなたを害するバッドエンドだけはどうにか防げたが、この先に道なんかあるのだろうか。

 続く道があるのだとしたら、それは彼女の生命の終わりで、つまり、僕という人間の破綻でもある。


 約束の時はきた。彼女はもう長引かせるつもりはないはずだ。


 このままここで停滞していても、何も変わらないだろう。

 辛かっただけの人生からの逃避行。

 死に場所を探す旅。


 日向を歩いて行く道なんて、残されていないのだろうか。

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