番外編: 恋の始まり?
前書き
夢中で過ごす毎日の中で、ふと心をよぎる誰かの顔。
その感覚に、まだ名前はなかった――。
りんは、女友達と笑い合いながら、毎日を駆け抜けるように生きていた。
二十歳を過ぎた頃、東京に出て、本気でダンスに打ち込む日々が始まった。
ある日、思いがけず芝居のチケットを一枚もらった。
「一人で、行ってみようかな…」
初めて足を踏み入れた新劇の世界は、息が詰まるほどの感動をくれた。
終演後、胸の熱が冷めきらないまま、近くにいた人に声をかけた。
質問があふれ出し、気づけばお茶をご馳走になっていた。
別れ際、「次の芝居のチケットを送ります」と言われ、住所を交換した。
しばらくして届いた封筒には、約束通りのチケット。
観に行った帰り、他愛もないおしゃべりをして、それきり別れた。
その頃、りんは舞台に立つ日を迎えていた。
地方公演も含め、二か月にわたる長い旅。
その間、事務所に手紙が届いた。差出人は――あの人。
巻紙いっぱいに描かれた、季節の小さな花。
文章は短くても、不思議と温かかった。
舞台の合間に返事を書き、文通は静かに続いていった。
東京に戻っても、新しい公演の稽古がすぐに始まった。
再び地方へ向かう列車に揺られていると、ふと、窓に映る景色の中に彼の顔が浮かんだ。
その瞬間――胸の奥が、きゅんと締めつけられた。
それが恋の始まりだったと気づくのは、もっと先のことだった。
振り返れば、この小さな胸の高鳴りこそが、すべての始まりだったのかもしれない。
けれど当時の私は、まだその意味を知らなかった。




