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四葩 (よひら) の月  作者: 八興 心湖翔
第一章 ひなびた家とながい月
9/20

妖艶ではない美女


 LINEの通知に視線を落とした。自分にメールをしてくる人間なんて、片手にも余らない。タップして既読にする。相手のアイコンは、いま流行りの仮面ライダー出身俳優のどアップ画像。


 椿知武(つばきともむ)は、内容に目を通した。大抵、ほぼ似通っている。夕飯後に部屋を訪れていいかという、ありきたりのものだ。毎回、コピペなのかと疑いたくなるくらいだ。しかし絵文字に関しては富んでいて、動いたり止まってたり、犬だったり黒タイツ人間だったりする。


 送信者は社長の娘だ。住んでいる社宅から目と鼻の先の勤務先兼、社長の自宅。そこからひと繋ぎになっているアパートからだ。

 玄関チャイムが鳴る。時計を見ると九時前だった。椿はインターホンで確認すると、社宅のドアのロックを外した。長身の長い手脚に相応しくない童顔の顔が、笑みを浮かべている。


「どうぞ」

「ごめんね、いつも」

 決して迷惑だとは思わない。羽澄仁和子(はすみとわこ)は、魅力的な女性だった。同じ社宅に住む同僚の先輩や後輩に見つかれば、揶揄されるのは目に見えている。当たり前に、自分には分不相応な相手だからだ。


「コーヒーでいいですか?」

「え、いいよ、気をつかわないで」

 言動と行動が今ひとつ道理に叶っていないのだが、何しろ勤務先の社長の娘だ、無下にはできない。


「気なんてつかってませんよ、大丈夫です」

 仁和子は勝手知ったる我が家のような感じで、部屋にコートとバッグを置きにいく。コーヒーケトルに水を入れて、火にかける。棚から挽いた豆とカラフェを取り出して、狭いテーブルに置いた。


「椿くん、自分でドリップするのが好きなんだ。私ね、大学のときずっと自家焙煎のお店でバイトしてたんだよ。この黄色のコーヒケトル素敵だね、兎のマークが可愛い」


 いつの間にか後ろにいた仁和子に驚く。何かの漫画で見たことがある。音を立てずに背後から忍び寄る、数種の薬草や針を操る妖艶な美女キャラだ。しかも艶のあるロングヘア。だが明白な違いが、ひとつだけある。社長の娘は妖艶とは程遠い。かすりもしない。


 椿の思惑を他所に、仁和子がカラフェにフィルターを広げて入れる。

「これ、月兎印の琺瑯なんです。直火にかけられるから便利で」

「へえ、月と兎? 何だか椿くんみたいだね」

「いや、ありえないです、それ」


 そこに深い意味はないのに、気恥ずかしさで耳が熱くなる。妖艶ではないが、いつも怪しい行動で間合いを詰めてくる。基本的に距離が近いのだ。


「ふふっ、可愛いなあ、椿くん」

 ますます赤らむ耳たぶを摘んでくる。毎度手法を変えて挑んでくるから、たまったもんじゃない。


「例の歳下の彼氏さんとは、その後どうですか」

 どさくさに紛れ、話しをすり替える。仁和子が椿の部屋を訪れる、唯一の理由だった。


「まだ彼氏じゃないよ」

「そうなんですか」

「だって、誰にも紹介してもらったことないから」

 俯く仁和子の透けた長い髪に目をやる。


「ほら、私って、もう三十路でしょ」

「ミソ、ミソジ……」

「三十歳ってこと、いやもう直ぐ三十一歳だわ」

「でも仁和子さん綺麗だから、二十八くらいにしか見えないです」


「え、たったマイナス三歳っ」

 額に手を当てる仁和子を見て、慌てて弁解する。


「やっ、違う、すみません……とにかく若く見えるし、お綺麗です……」

 尻すぼみの口調に、仁和子が覗き込むように顔を寄せる。


「椿くんって、正直だなあ。だから好きだよ」

 もう勘弁してもらいたかった。頬の紅潮がマックスに達した。コーヒーをマグカップに入れると、無言で部屋のテーブルに運ぶ。


「怒っちゃった?」

「まさか……」

 悪気はないが、ことばが途切れる。ソファが無いのでフロアクッションを手繰り寄せ、仁和子の方に置いた。


「椿くんはいくつになるんだっけ?」

「二十六です」

「若いのねえ」

「変わらないじゃないですか」

「お肌がツルツルだよー、全然ちがう」

 

 早く本題に入り、そして終わってくれないだろうか。きょうの揶揄(から)かい方のやり口が半端ない。

「そっ、その人は何歳なんですか」

 つい声が大きくなった。仁和子がきょとんとしている。


「あ、歳が俺くらいだったら、何ていうか多少はちからに。いや気持ちが分かるかもしれないから」

 熟視してくる仁和子から視線を外す。


「椿くん」

「……はい」

 怒らせたとしたら非常にまずい。取り繕うものはなんだ。考えろっ。


「きみだったら、どう?」

 弱々しい声に顔を上げた。


「好きだったら、お友達に合わせたくならない? 従業員の葵月(はづき)ちゃんもそう言ってた」

「ハヅキチャン?」

深代(じんだい)さんのこと」


 ここは恋愛相談所か。だとしたら、自分ほど相応しくない所長はいない。迷惑ではないが、経験値が低過ぎた。今日の相談や態度はレベルが高そうだ。同僚でいちばん若い千隼(ちはや)を今すぐにでも仲間に引き入れ、後方から魔法をかけてもらいたい。この妖艶ではない、怪しい美女に。


「俺だったら、仁和子さんみたいに綺麗な人が彼女だったら、喜んで友人たちにお披露目します」

 なんだかおかしな物言いになり、マグカップに口をつけた。壁時計をチラリと見る。この段階で一時間。折り返し地点じゃないか、もう一時間の辛抱だ。 


 仁和子は必ず十一時には帰宅する。今日で何回目か定かではないが、はなから役不足の所長としての万策は尽きた。あした千隼に会ったら、所長の座を譲ろう。あいつなら喜んで、引き継ぎ無しで請け負うだろう。そもそも、なんでこうなったんだ。


「椿くんは?」

「へ?」

 思わず間の抜けた返事になった。


「きみの好きな人は、どんな人?」

 ついに来た。くると思っていた。幸いにも返すことばは用意してある。姿勢を正した。


「いません」

「またまた」

「本当です」

「どうして?」

「どうしてって──だって、いないんです」


「綺麗過ぎるのかなあ」

「は?」

「カッコ良いというか、椿くんって綺麗よね?」


「キレイ?」

 瞬きが止まらない。言われてみれば、自分は男の割には綺麗好きで、部屋も片付いてる方だと思う。自炊もするが後片付けだって、きっちりやる。辺りを一周見回して仁和子を見ると、吹き出しながら口を覆う。


「あはっ、違うって」

 椿を見ながら、涙目で仁和子がハンカチまで出してくる。仕方ない。笑い終わるのを待つしかない。女の人は難しい。泣いたり笑ったりいつも忙しそうだ。確か前回来たときは、終始泣いてはいなかったか。


「ごめん、ごめん、あんまり可愛いくて」

 首を傾ける椿に、仁和子がカイシンの一撃を放つ。

「あんまり可愛いと、襲っちゃうよ」

「えっ」

「二十四歳」

「え?」


 順不同なので、もはや太刀打ちは不可能だ。

「私の好きなひと」

「ああ、ずいぶん若いんですね」

「で、どうなの?」

「何がです?」

「さっき、言ったでしょう?」

 さっきとは、どのさっきだろうか。違う意味での薬草が必要かもしれなかった。


「力になれるかもって」

 なんの力だろう。相手が宇宙人に見えてきた。首を捻る椿を尻目に、仁和子が腕時計を見る。


「あっ、まずい十一時過ぎちゃった。パパが怖いから帰るね」

 すくっと立ち上がり、足早に玄関に向かう仁和子の細い脚を見ながらハッとなった。

「気をつけて」

 自分も慌てて立ち上がる。

「近いから大丈夫、続きはまたこんど」


 おいおいおい、相談所は別室になるんだった。いま伝えるか否か、どうする――。

「椿くん、犬みたいに首をずーっと傾けて目をぱちぱちしてると、ホントに誰かに襲われちゃうよ。気をつけなさいね」

「あ、ハイ」


 ドアがパタンと閉まり、カンカンと階段を降りる音が響いてくる。台風が去り、部屋が静まり返った。完膚無(かんぷな)きまでにやり込められた感で、置き去りにされた気分だ。


 XもInstagramのThreadsもやってないから、ひとりで呟く。

「あの、キレイ好きで犬に似てると女の人に襲われやすい……って後輩に引き継いでおきます……」






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