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四葩 (よひら) の月  作者: 八興 心湖翔
三章 終の棲家とひとつめの月
35/48

ふたりの嘘

 椿知武の事情聴取が八時間を超えた時点で、打ち切った。


 椿は、島根県白潟市南八雲町で発生した『無人家屋死体遺棄事件』の重要参考人である。逮捕され、被疑者になる可能性は多大にあつた。


 椿知武の自白により明るみになった、死体遺棄事件の首謀者である桐生蓮は、依然意識不明の重体であり、事件の参考人であった羽澄彩音は、桐生を(かば)い死亡した。桐生蓮との因果関係は不明だった。帳場の捜査員たちが、二人の身内や知人に懸命の訊き込み捜査に当たっていた。


 椿知武に対し、在宅ではなく勾留措置を取った。羽澄彩音の夫が経営する会社の所有する住居に、重要参考人となった椿が帰宅できるはずもなく、逃亡の意思の有無に確証が得られなかったからだ。


 あくる日に取調室に現れた椿知武は前日同様、隠し立てすることなく積極的に聴取に応じた。


「そこで、桐生と別れたということですか」

「はい」

「なぜ帰ったんですか、だってあなたは」


「レンがそう望んだからです。マンションから社宅までは、自転車で二十分程度です。でも、あの日は徒歩で一時間かかりました」


 この時点で、桐生蓮の意識が戻らなければ、事件の迷宮入りは目に見えていた。

 鑑識のALS (科学捜査用ライト) により判明した、被害者である握世の遺体に付着していた微細な繊維片、プロミックスが桐生の自宅から採取され照合し合致したところで、被疑者死亡で書類送検の措置だ。


 桐生蓮の自宅の家宅捜索は、本日執り行われる。証拠品は全て押収する。犯行に使用した、物的証拠となる凶器が押収できる可能性も高い。


 昨日の椿知武の供述に虚偽が無ければ、殴り合った際に転倒し、後頭部を強打したことにより引き起こされた《外傷性(がいしょうせい)硬膜下(こうまくか)血腫(けっしゅ)》が直接の死因に終わる。 


 ナイフによる刺し傷は致命傷でないにせよ、殺人・死体遺棄の被疑者は桐生蓮で幕を閉じる。


 十三カ所もの創傷は、椿を家に帰した後の桐生による犯行か。とどめを差したということか。そこに深い意図的な作為は無かったのか。脈や瞳孔確認は、単なる生死の確認だったのか。


 水草は空虚に向かい、胸中を披瀝(ひれき)した。


 桐生蓮(きりゅうれん)──眠っている暇などない。早く目を覚ませ、それでいいのか。殺人犯のままでいいのか? おまえは、椿知武(つばきともむ)(まも)りたかっただけなんじゃないのか。おまえは一人前の医師になるのが夢だったんじゃないのか、四十過ぎでそれを果たすんじゃなかったのか?


 桐生蓮、幕引きにはまだ早くはないか、やり残したことがあるはずだ。おまえがいちばん望んていたことは、なんだ──。


 社宅に戻ってしまった椿知武から絞り出した自白だけでは、殺人の全貌は明らかにはならない。水草は奥歯を噛み締めた。


「訊くまでもありませんが、睡眠は多少、摂れましたか」

「大丈夫です」


 八時間に及んだ事情聴取と睡眠不足からか、椿の目は赤く潤み、その下には(くま)が見えている。顔色は相変わらず悪かった。


「コンタクトレンズが黒かったんですね?」

 隈の上にある切れ長な瞳は、色素の薄い琥珀(しょく)だった。


「はい……亡くなった実父の母親がノルウェー人なんです……髪は黒く染めています」

「事件後に染めたのでしょうか」


「いえ……髪と眼の色のせいで、こんな風にしか生きられないのかと思い……レンに出会ってから……彼が僕の中にある資格を教えてくれたので、変わってみたいと──」


 歯切れの悪い口調で、椿は言い淀んだ。


「桐生があなたの資格──人権のことですか?」

「……はい」


 石飛から声がかかった。水草が立ち上がり調書作成のパソコンを見る。画面を確認すると、再び椅子に戻った。


「社宅に帰ってしばらく起き上がれませんでした……話した通り、色々と重なったので」

 椿は眉の辺りを押さえると、小さな嘆息を吐いた。


「電話が、携帯が鳴って」

「携帯が?」


「奥さんから正規雇用の件で……その日は朝から役所の福祉課に受給の辞退届けの提出や、法務局に登記しに行ったりしたので」

「登用──ですか」


「はい。あの日レンにそれを伝えるために、マンションに行ったんです。簡単な夕飯を作ろうと下ごしらえをしているときに、インターホンのチャイムが鳴りました。聞いていた時間より随分早かったのですが凄い雪だったので、ついカメラを確認せずに鍵を開けました」


「それで、握世が無理押しに侵入してきたんですか」

「きちんと確認していれば」

 こめかみを押さえ、目を閉じた椿の声色が更に(かげ)りを見せた。


「奥さんからかかってきた電話には出ませんでした。とてもそんなゆとりがなくて……でも、奥さんが社宅の目と鼻の先の自宅から、部屋に来たんです」


「羽澄彩音があの雪の中を?」

「はい、普段から目を掛けてもらっていました。自分がもし男の子を産んでいたら、僕くらいの年齢なんじゃないかって」

「椿さんにそんな話しを」


「奥さんが……社宅に来て、雪でずぶ濡れた僕に驚いたあと訊いてきました」

「なにをですか?」


「社宅に来ていたともだち……レンのことですが、その人に伝えに行っていたのかって」

「羽澄彩音は、桐生と面識があったのですか?」


「部屋から帰るとき、いちど奥さんと会ったと、レンから聞いたことがあります。そういえばレンのことを、たびたび僕に訊いてきたり。懇意にしてるともだちかと。あと、職業は何かって、住んでる場所や……」


 ムーンピラーが現れたのは、二月九日の未明だ。長く見積もっても死体遺棄の犯行時刻は、九日夜中の0時以降と推定されていた。椿の自白からも、臼井が殺されたのは前日の二月七日夜から日を跨いだ八日にかけてということだ。


 その後、借家の穴に死体を遺棄したのはマル目の目撃情報とムーンピラーから、二月九日の深夜から未明の四時過ぎにかけてに違いない。


 怪物の正体は桐生蓮だ。美人の正体は椿知武であるはずだった。臼井が死んだのを知っているのは二人だけだ。


 後頭部強打で瀕死の状態の臼井を、なんらかの理由が生じたことにより刃物を用いて、死に至らしめたことに疑いの余地は無かった。しかし椿知武は、死んだ臼井と桐生を残して社宅に帰っていた。


 残る架け橋は、桐生蓮と羽澄彩音の因果関係か、椿の自白に頼らざるを得ない状況だ。美人の正体は、やはり羽澄彩音なのか──。


「椿さん、桐生は羽澄彩音と初めて出会ったときのことを、なにか言っていませんでしたか? なんでもいい、どんな小さなことでもいい、思い出せませんか?」


「……アパートの階段を降りたら、声がして前に奥さんが立っていて怪訝そうに自分を見ていたから、挨拶をしたと言っていました」


 椿は目を細めながら、記憶を辿るように視線を上に動かした。

「そうだ。僕を心配して、部屋に継父がいるのを伝えてくれたみたいでした。そのときに名前を訊かれ、奥さんに桐生と名字を伝えたと……他には思い出せません」


「そうですか」

 何かが欠けているような気がして、仕方がなかった。誰かが嘘を吐き、どこかが欠落している。そして唯一知り得る人物は、目の前に存在している。しかし糸口が見出せない。無能で愚かな自分に向かい、唾を吐きたいくらいだ。


「レンが初めて僕の部屋にきたとき、夕飯を食べていないと言っていたから、冷蔵庫の余った食材でオムライスを作ったんです。あんまり喜んでくれたので少し驚きました。手料理なんて久しぶりだって。マンションでも夕飯のリクエストをしたとき、オムライスが食べたいと言っていました。死んだお母さんが、レンによく作っていたんじゃないでしょうか」


 チクリと胸が(うず)く。丘の上で血だらけで横たわる二人は重なり、さながら十字架のようだった。いま思えばあたかもそれは、罪を(つぐな)いたい、(あがな)いたいと、互いが叫んでいるかの如く折り重なっていた。


 幼子(おさなご)を抱えたマリア像を彷彿とさせる光景が、水草の眼下に浮かんだ。


「椿さんが作った料理を食べているときだけ、死に別れた母親を思い出していたのかもしれませんね」


「死んだと知りながら、毎日が後ろに過ぎるうちに、ぜんぶ忘れていくなんて……じゃあ、死んだと思い込んでいた人間が生きていたら、それは──」


 頭を垂れる椿を見た。(とつ)として訊ねた。

「椿さん、桐生のところから帰ったのは、彼が望んだからだと言いましたよね。桐生が望んだのは何だと思いますか?」


「レンがぜんぶ忘れろと……自分のことも、継父のことも。あの夜起こったいっさいを……もう思い出すな、二度と苦しむなと。外に出たらきっと世界は綺麗だって、それが自分の願いだから叶えてくれるかって、泣きながら言いました。彼になにも与えなかった、もらってばかりだったんです。だから、彼の望みを叶えました。僕が帰ったら、携帯電話から自分の勤務先の大学病院に救急搬送を要請するから大丈夫だって、もう関わるなと、言いました」


 ──不意に、椿を二度見した。

 身体の身体の中心が冷やされるような感覚が走った。水草は乾いた唇を舐めた。


「椿さん、桐生は確かに救急搬送を要請すると言ったんですね? 間違いないですか? 本当ですか? あなたが帰る時点で臼井は生きていたんですか──。死んではいなかったんですか?」


 虚偽でなければ、桐生蓮に殺害の意思がなかったことが明らかになる。問題はそのあとだ──。


「レンが、人間は強い衝撃を受けて、頭の中を出血すると血の塊ができて押されるから、脳の位置が歪んで動けなくなることがあると。でも直ぐに治療すれば助かるって、そう簡単には死なないから大丈夫だと……レンを殺人犯にするわけにはいきませんでした。他に僕にできることはなにひとつなく……」


 椿知武は(むせ)び、両手で頭の後ろを抱えると、額を机に押し付けた。


「白髪混じりで髪の長い管理人が、部屋に来てくれたか? 俺が帰った後は大丈夫だったか? 継父はその管理人に暴力をふるわなかったか? レンはいつも他人の心配ばかりして、自分には爪の先ほども興味を示さなかった……彼は心根の優しい人です、彼が殺すわけない、彼は病や怪我に苦しむ人を救う医師だ……レンは──医師として自分を助け、生きる術を与えてくれた男です……」


 号哭(ごうこく)する椿知武を凝視した。水草はネクタイを緩め、顎を引いた。ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「いま……白髪混じりで髪の長い管理人と……椿さん」

 水草の(かす)れた声に、椿が泣き濡れた顔をあげた。 


「管理人とは……誰のことですか?」

「その人は管理人ではなく、社長の奥さんだと、レンに伝えました」


 前屈みでスチール机に両手を付いた。椿の視線を捉えながら、水草直己はことばを発した。


「二月七日の夜、雪の中、桐生蓮の自宅から徒歩で社宅に帰った椿さんに電話をかけ訪ねて来た、羽澄彩音の容姿は、黒髪で短髪でしたか?」


「いえ……僕が初めて出会ったころから、奥さんはずっと髪が長くて。白髪混じりというか、殆ど真っ白な白髪でした。レンは弱い近視なので、夜だから髪が暗く見えたのかもしれません。顔が綺麗で若く見えたから……白髪がアンバランスな感じの、痩せて背の高い方でした。だから急に短く切って真っ黒な髪の毛になったのを見たとき、印象が随分変わったなと……瞳が大きくて真っ黒で……三か月ぶりにレンを公園の丘で見たとき短髪になっていて、なんだか奥さんに顔が……」


 椿知武は少し考えながら、続けた。


「そうだ、二十六歳のころ海外に三年間居住して、オーストラリアやニュージーランドに単独で自転車旅行をしていたと聞いたことがあります。写真集で見た地に、行ってみたかったと。日本から離れてみたかった、忘れたいことがあったと。でも女性がたった一人で海外に自転車で旅をするなんて、怖くはなかったかと訊きました。何も怖くなかった、高校では山岳部に入り、いつもトレッキングや登山をしていて体力には自信があったからって。そういえば奥さんは運動が好きで、終業後は頻繁にスポーツジムに行っていました。一見痩せているから分からないけど、半袖になると腕の筋肉なんか凄いんです。身長はそう変わりませんが僕と同じくらいか、それ以上に力がありそうに見えました」


「二十六歳? 三年間も、幼い娘の仁和子さんを置いて海外に在住ですか?」

「どうでしょう、社長や仁和子さんの祖父母が面倒を見ていたんじゃ……そこまでは分かりません」


 両眉を上げ、目を見開く水草の耳に、椿の声が入ってくる。一字一句、ぜったいに逃してはならない。タイピングをする石飛を振り返ったときだった。


「その自転車旅行の話しをしたとき、最後に言っていました」

「なにを……羽澄彩音は、椿さんになんと言いましたか?」


「いちばん怖いのは、人が人の心を奪うことだって、人間からいちばん大切な、こころを奪って壊すことだって。彼女が泣いたのを見たのは初めてだったので驚いて……」


「──待って下さい。社宅の階段で出会って、桐生が名字を伝えたあとから、羽澄彩音は桐生のことをなんども椿さんに訊いてきたんですよね? 年齢や職業、住所も」


「ええ……レンが大学病院で勤めていて、外科専門の研修医であることや──初めて訊かれたのが確かレンと出会ったころだったから……三月二十四日が誕生日で、今は二十四歳だと伝えました」


「羽澄彩音はどんな反応でしたか?」

「別段、特別な反応はありませんでした」


「二月七日の夜、羽澄彩音があなたの部屋に来たときにどんな会話をしましたか? 出来れば詳細に、教えてもらいたい」


 椿知武が少し驚いた表情で、水草の視線を絡めとった。


「レンの家に行ったわけじゃない、雪が積もっていたけど欲しいものが無かったので、近所ではなく、遠くのコンビニに行っていたと……嘘をつきました。なぜか奥さんが意気消沈したように見えたので、思わず訊きました」


「なにを? 訊ねたのですか……」


「どうして、レンのことがそんなに気になるんですか? って。そうしたら奥さんが……実は昔、幼い子どもを病気で亡くしたことがある、その子どもは二歳半で死んで……レンとはいちどしか出会ったことはないけど、死んだ自分の子どもに生き写しで驚いたと。レンといちど話しがしてみたい、出会ってみたいって……でも断りました」


「どうして」

「いくら奥さんでも、レンの住所を教えることは(はばか)られました。そのあと、奥さんは自宅に戻りました」


「遠くのコンビニに行ったと、羽澄彩音に言ったんですよね」

「そうです」

「嘘をついたのは、桐生の家に居たことを知られたくなかったからだ。桐生をこれ以上苦しめたくなかったからだ」

「──はい」


「なぜ、嘘を三回ついたんですか?」

「え?」


「遠方のコンビニに行った、桐生の家には行っていないと羽澄彩音についた嘘が、いちどめ」

 椿が首を傾ける。水草は目を逸らさない椿を、(たしな)めるように述べた。


「そのことを私に告げた。しかしこれも嘘です、上塗りというやつです。にどめ」

 椿の目の下がひくついたように動いた。


「あなたが羽澄彩音についたいちどめの嘘は、虚偽です」

「なんで……」

「そして羽澄彩音が自宅に帰った──です。さんどめ」


 見る見るうちに、椿の首から耳にかけてが昇るように紅潮していった。


「あなたは迫る羽澄彩音に、桐生蓮の自宅の住所を詳しく明かした。違いますか?」

 表情を歪ませた椿知武が、目を伏せた。


「あなたは途中で気付いたんだ。羽澄彩音に救われたあなたが。嘘をついたのは、死んだ羽澄彩音に嫌疑がかけられることを怖れ、回避しようとしたからだ──どうでしょう、これで合ってますか? 椿さん」


 背筋を汗が伝うのが分かった。椿の握った拳にもじっとりと水分が滲んだ。


「カウントし忘れました。羽澄彩音が昔、病気で二歳半の幼子を亡くしたと身の上話しをしたんですよね? これも嘘ですか?」


 もはや閉口し、垂れた頭を持ち上げない椿を(さと)すように言った。

「二歳半。そのくらいの頃だと、記憶は曖昧ですね。成長するにつれてさらに記憶は薄らいでいく。でも、好物な、大好きなオムライスの味は覚えていたのかもしれません。これはあなたが教えてくれました」


 貝のように口を閉ざす椿を見下ろす。華奢な肩が僅かに震え、項垂れた細い(うなじ)と黒髪は羽澄彩音と酷似していた。


「あなたが雪の中、社宅に帰ってからの一部始終、三どの嘘以外はすべて真実めいていた。そして最後の身の上話し──羽澄彩音は桐生の家を知りたいがために、あなたに揺さぶりをかけた。桐生を残してきたあなたは戻りたくても、桐生の望みを叶えねばならない。桐生に会いたい羽澄彩音と、会いたくても行くことの出来ない椿さん。二人が最後にどんな会話を交わしたか、私には分からない」ただ……と水草は取調室の入り口を振り返った。


「羽澄彩音が、社宅のあなたの部屋のドアを開けて向かった先は、むかし病で死んだ息子の生き写しである、桐生蓮の自宅だった」


「水草さんに言わなかった、ほんとうの嘘があります」


 厳然とした告白だった。


「二月八日の夜、同僚を誘い、僕を含めた五人と先輩の部屋で飲み明かし、社宅の部屋に戻ろうとしました。時間は深夜の三時を回り、九日になっていました。凄い積雪だったのですが、雪は降っていませんでした。空が明るくて薄紫色で、とても夜中だとは思えませんでした。階段から覗くと、雪道が明るく照らされていました。自分は千葉の出身で、島根に移住したのは十六のときです。毎年冬になるとかなりの雪が積もるので、不便だし嫌で仕方ありませんでした。でも、島根の雪夜は、いつも空が明るく道が照らされ綺麗だった。閉ざされた家の外からは、いつだって綺麗な世界が手招いてくれていたはずです。ドアを開けなかったのは自分です。その夜も明るい空をしばらく眺めたあと、部屋に帰りました。その間、誰にも、ひとり足りとも出会いませんでした。勿論、羽澄彩音さんとも。同僚の日下部千隼(くさかべちはや)ともです。彼は孤児院で育ったと聞いています。六歳も年上の僕のことを、いつも気遣ってくれた思いやり深い人間です。日下部に罪はありません──奥さんのアリバイ証明が、僕の持っているさいごの嘘です。もう、虚偽はありません」


「椿さん、実は私もあなたに嘘をつきました」

 跳ねるように、椿知武が顔を上げた。


「だから、おあいこです」

 水草を見る大きく見開いた瞳は、やけに澄明(ちょうめい)だった。その奥に映っていたものすべてを明確に見出(みいだ)すことは、まだできていない。


 外の世界は綺麗だと椿に言った、桐生が映っていたことを除けば。

 だが、残さず最後まで絞りとり、暴ききらねばならない。まだ足りないことがある。


「さっき、パソコンのメールで報告を受けました」

 微動だにしない椿知武を解放するように、水草が告達した。


「桐生蓮の意識が回復しました。予断を許さない状態ではあるが、医師の問いかけに応じました。あと──緊急手術前に挿管(そうかん)する際、言ったそうです」


 開き過ぎた目が渇き、椿知武は瞬きを繰り返した。


「だいじょうぶ、ジーン」


 水草は椅子に座り、手を組んだ。

「あなたのことですよね」




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― 新着の感想 ―
書くということは、自身を告白することに酷似しているーそのとおりなのだとしたら、この物語の後ろに、作者様が経験してこられたであろうもう一つの物語が透けて見えてくる気がしてなりません。それがどのような物語…
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