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四葩 (よひら) の月  作者: 八興 心湖翔
三章 終の棲家とひとつめの月
32/48

供述と事実 【グレースケール】

 アクセルを踏む脚に力が入る。今日に限ってカンファレンス後に救急外来からの要請があり、人手不足の為の対応に追われていたのだ。


 直感が止むことはなく、何かに焚きつけられたように、自宅のマンションへ車を走らせた。四日前から降り積もった雪道に、ブレーキアシストがなんども作動する。ブレる車体をステアリング操作で回避する。液晶画面に警告表示が反映された。


 ジーンの携帯に反応が無かったので、焦りは増す一方だった。夕べ電話した際、子どものようにはしゃいだ口調で『朗報がある』といつになく嬉しそうに語っていた。戸締まりに釘を刺すべきだったと、後悔が押し寄せる。


 秋に打診したが、社宅からの引っ越しには漕ぎ着けなかった。週末だけマンションに来て、食料品などを備蓄してくれていた。


 積雪による高速道の通行止めは熟知していた。迂回して一般道のカーブを超えると黄色の点滅信号に差し掛かり、SUV車のエンジンを吹かしながらスピードを上げた。


 桐生蓮(きりゅうれん)はマンションに着くと、駐車場から連結するエレベーターの昇りボタンを押した。最上階のランプが停止したまま動かない苛立ちに、拳の側面で何度も叩く。


 部屋の前まで行き、ハンドルのボタンを押すと解錠音が鳴った。ドアを開くと、ジーンの声に重なった太い男の声に緊張が走った。脱ぎ捨てられたスノーブーツを一瞥すると、明々と電灯がともるリビングに向かって飛び入った。


 そこにはジーンの継父の握世実(あくせみのる)が、一年二カ月前と同じように立っていた。ジーンを(おど)し叔父と偽り、繊月(せんげつ)工業の社宅部屋に出入りしていた男だ。


 大豪雪の夜陰(やいん)に乗ずるように、この近隣に鳴りを潜めていたのかと思うと、肌に粟を生ずるようだった。


 肩を掴み上げられていたジーンは、背を向け膝立ちのまま、桐生の方へ振り返った。

 蒼白な顔色に、鼓動が高まった。


「おい放せ!」


 早まる呼吸と共に息が荒くなり、心臓が激しく脈打った。


 握世が振り払うように手を放した。弾みでジーンが横倒しに床に転倒する。しかし直ぐさま上体を起こし、這いつくばりながら握世の脚に()い付いた。


「逃げて、早く!」

 叫んだ瞬間、ジーンの髪の毛が頭上から掴み引っ張りあげられた。


 鈍い嫋々(じょうじょう)が二度、響き渡った。床に倒れたジーンの周りに、血の飛沫が点々と散った。


 声など、もはや出なかった。桐生は身を低くしながら握世の膝あたりをめがけて、タックルするように思い切り突っ込んだ。腰を掴みながら、二人で転がるように転倒した。


 気が動転するあまり、握世の上に跨ると息巻きながら首を掴み、渾身の力で絞め上げた。(みなぎ)った怒気に、理性など到底勝ることは無かった。


 つぎの瞬間、みぞおちに足蹴りを食らった。桐生は縮こまる様な姿勢でうずくまり、身体を丸めた。息が出来なかった。胸を掻きむしりながら、床に額を押し付けて(うめ)いた。


 胸元を掴みながら顔を上げる。起き上がってくる握世が見えた。


 自分の何処にそんなバイタリティがあったのか、定かではなかった。浅く呼吸しながら起き上がり、両膝を掴んだ。


 握世は冷笑を浮かべ、ことばを浴びせた。

「久しぶりだね。このマンション見つけるのに苦労したよ。そうだ、ずっと訊きたかったんだ。ジーンって、この子のこと?」


 短い息が不規則に洩れ、抗うように呼吸を整えた。視線を逸らさず、握世の動きに身構える。ジーンの声が聞こえたような気がした。


 (にじ)り寄る相手から後退りしながら、冷静さを取り戻そうと頭を両肩口へ振ると、関節が音を鳴らした。


「おまえ、こいつからどこまで聞いてるんだ」

 一歩踏み出す奴が顎を高く上げた。その威圧感とことばが、桐生の神経を逆撫でする。


「こいつと俺の間には、おまえなんかの入る余地なんてねーんだよ」

 口の端を持ち上げながら、薄気味悪い笑みを浮かべる。


「俺たちはね、この子が十四の頃から繋がってんだよ、意味、分かる?」


 桐生の目の下が痙攣するように動く。奥歯を噛み締めると、憎悪よりも深い、熱く(はげ)しい感情が身体を打ち抜いた。 


 ふっ──。鼻で笑いながら桐生を(あお)る。

「おまえこいつを抱いたのか、そうか。どうだった? 良かったろ。ついでだから教えてやろうか? こいつの身体のどこらへんが」


「言うな!」

 血走る憤りに、(たま)らず遮った。


「あんたは犯罪者だ、ジーンさんに付きまとうのはもうやめろ。やめなければ法的手段を執る、法に則りあんたを裁く。今から警察に通報する。あんた自信がないんだろ。ジーンさんを自由にさせるのが、怖いんだよな? 長い間あんたのものだったから? おい! ジーンさんはモノじゃない、このひとは自由だ。このひとの意思を奪うことなんて出来ない、俺もおまえもだ!」


 桐生は焚きつけるように、たたみかけた。

 臼井の笑いがむら気を帯びている。


「警察? 研修医が警察沙汰の騒ぎなんて起こして大丈夫か? 法的っていうけどよ、おまえのジーンが十四歳から俺となにをしてきたのか、分かっちまうけど──それってトモムの承諾済みなの? てめえの優越でトモムを晒すのが、自由ってことか?」


 口を歪めた奴の表情に怒りが露わになり、その形相は憤怒にまみれていた。桐生は下唇を嚙んだ。


 倒れたジーンの容態が気になり、握世を見据えながら何度も視線を投げる。動かない身体に向かって、声を放った。


「ジーンさんっ」


 ゆっくりと両手を付いて、ジーンが上体を起こした。


「ああ、ごめんね。見せてごらん」

 握世が近づき、震えるジーンの顔に手をかけた。髪に隠れて顔が見えない。


「やめろー!」


 叫ぶと同時に走り込み、ジーンの前に割って入った。握世の胸ぐら掴んで後ろに後退させた。掴み合いになり、振り解かれた桐生が後ろへ下がった。こんどは左手で掴みかかり、右拳を顔面めがけて打ち込んだ。


 拳が空を切った。弾みでよろめいた足を体重をかけながら元に戻し、膝を曲げる。


「なんだよ研修医、喧嘩できるじゃねえか。及び腰がなんとも情けねえけどよ」

 哄笑しながら腹を揺するような態度に、(さげす)みが明らかだった。


 握世は作業着の上着を脱ぎ捨てると、シャツの袖を捲りネクタイの結び目を下げた。手にしたアサミのグローブのマジックテープが音を鳴らす。足でリズムを取りながら、構える姿に唖然となった。


「おまえの喧嘩ごっこレベルに合わせてやってやるよ。喧嘩初心者ならハンデいる? 医者だからいらねえか、ひとりで救急車が呼べるかな? 研修医のお坊ちゃん」


 当て(こす)りを浴びせながら、桐生を煽るように侮蔑(ぶべつ)する。


「ああ、これ? 勝手に借りたよ。医者のおにいさんもはめてよ。俺ね、素手だと──おまえのこと、殺しちゃうかも」


 桐生の足元に、玄関ホールに置いていたスポーツバッグごと投げつける。


「なんの遊びやってっか知んねーけど、おまえのランク見てやるよ。最近の若い医者ってこんなもんで遊んでのか。なめやがって」


 桐生は靴下を脱ぎ、コートを放り投げた。バッグに手を突っ込んで取り出した、パンチンググローブをはめた。


 両足の膝を軽く曲げた。やや半身になり、重心を均等にした。


 左拳を目線の通り位置に置く。右肘を中心軸に引きつけ構えた。リズムを取って間合いを詰め、ガードを絞った。顎を引きながら奴を鋭く睨んだ。


 パンチンググローブは、シャドーや軽いミット打ちに適したグローブだ。攻撃やディフェンスには限りがある。アサミ (ASAMI) のパンチンググローブカットフィンガーのナックル部分は、ソフトと硬質スポンジが内蔵されている。厚みは三〇ミリだ。サンドバッグ打ちにも使用できる。


 しかし試合やスパーリングに使用する、オンスグローブとの差は歴然だった。こいつは格闘技の経験者に違いなかった。パンチをまともに食らったら、ダウンどころか大怪我の可能性は免れない。おそらく段違いだ──。


「いま動けますか」 

 後ろのジーンを逃がそうと、視線を逸らした瞬間だった。


 眼前に握世の顔が迫った。左からのオーバーフック。咄嗟に両腕と肩で防いだ。


 凄まじい衝撃だった。体制が崩れ、目の前が揺れた。


 体重をかけ、重心を落とした。すり足で後ろに下がる。右足で蹴り出した。蹴った勢いで左に移動する。膝のバネを使い右足を引き寄せた。ステップを踏んで自分の距離に相手を誘う。ターンで円を描くように移動し、ジーンから間合いを取った。ステップ幅をキープした。


 瞬きと同時にパンチが頬を掠めた。

 見えなかった──故意のモーション(動き)に身構えた。


 続くラッシュを、ダッキングでかわす。左フックをウィービングで掻いくぐる。パーリングで弾き飛ばし、辛うじて後退した。


 攻撃力の強さに筋肉が引きつれる。握世の並外れた体力が拳を通し、ビリビリと伝わった。


 ジャブの差し合いで、タイミングを図った。ボディの下に入り、相手の集中を散らす。ガードが下がった瞬間、上に打ち込んだ。


 真横からボディを叩き込み、ダブルで猛攻を仕掛けた。バックステップで間合いを取る。


 ワンツーからの左フックで前に出た。渾身の力で打ち込んだ。


 奴が下がったところで攻撃を仕掛けた。打ち終わりのパンチをガードで固めた。間髪入れずカウンターを狙い打った。


 一ラウンドで相手の癖やタイミングを捉えきる。ハイリスクハイリターンな駆け引き。だがマンションのリビングに、ラウンド数は存在しない。ヘッドギアは勿論のこと、マウスガードもカッププロテクターも絶無だ。  


 しかし桐生にとって、これは試合に違いなかった。


 繰り出す左フックをかわした。

 すかさず右ストレートで打ち込んだ。易々と見切られる。かわされた一瞬で左ボディに打撃を受けた。


 経験してきたスパーリングとは、まるで異なる攻防だった。額から流れ落ちる汗が、瞼から目に沁み込んだ。


 (ひる)んだら一瞬で敗ける──。


 防御しながら攻撃の合間の隙をついて膝を屈めた。反動をつけた。


 フィニッシュブロ―の(ごと)く、右アッパーで突き上げた。


 手応えがあった。パンチが顎下にヒットした衝撃で、握世が後ろによろめいた。奴が血の混じった唾を吐き捨てた。直ぐさま踏み込んだ。


 ジャブを放つ。引いた瞬間ツーを打つ。連打と見せかけて二度目のストレートを放った。空いたテンプル(こめかみ)に左フックを浴びせた。


 吐く息が拳と連動する。間合いを詰めながら攻め上げた。


 脚を止めたら全てが終わりだ──耳に届く呼吸音と敵愾心(てきがいしん)が、桐生の本能に揺さぶりをかけた。


 リーチを狭めた。後退る顔めがけて、コンビネーションで叩き込んだ。


 体重移動しながら、間合いと攻撃のタイミングをはかる。右カウンターでの攻め込みに、ジャブとストレートで有効打(ゆうこうだ)を狙い打ちした。


 ガードした奴の外側から、フックで打ちまくる。

 脳が揺れればこいつは平衡感覚を失う。

 勝機(しょうき)を見いだせっ、揺らして伸せ!


 噴き出す汗が()ぜるように飛び散った。


 左肩を引いてタメをつくる。握世の(ふところ)に入った。

 脇腹をレバーブローで突き上げた。

 奴がぐらついた瞬間、顎に狙いを定めた。

 拳を内側に捻り込み、右フックを打ち込んだ。


 前顎に命中したパンチで、よろめいた握世のガードが下がった。


〈ダウンを奪え!〉

 指令が耳に跳ね返った。

 弱ったところを怒涛のラッシュで追い込んだ。


 右で牽制(けんせい)する。体重を乗せた左フック。ガードの死角から右アッパー、ボディブローで突き刺した。


 拳が焼けるように熱い。痛みが闘志に追い討ちをかけた。


〈ギアを上げろ!〉

 視界を遮り意表をついた。ジャブのモーションでフェイントをかけた。

 左拳を引いた。下半身の重心を右拳に乗せた。

 瞬間、後ろ足で踏み込んだ。


 ツーで右ストレートを繰り出した。前足でブレーキをかけた。




 握世が揺れるように後方に下がった瞬間、後ろに倒れた。鈍い音がした。


 ゼイゼイと息が上がった。喉の奥から笛の様な音が洩れる。額から噴き出た汗が、滑るように顎から滴り落ちた。荒い呼吸音が耳にこだまし、聴覚が研ぎ澄まされる。


「なんだ……フツーにボクシングじゃねーか。喧嘩はしたことがねえのに、スパーリングが出来るのか。笑えねえ」

 驚いたことに仰向けでことばを投げつけると、奴は血塗れた顔を上げ、起き上がった。


 右ストレートを数発食らわせ、あれだけ急所にフックを叩き込み、ボディブローで何度突き上げても、握世は倒れなかった。


「インターバル無しでよく動いたなあ──けど、全然スタミナ足んねーよ。おまえ」


 握世は鼻血と切れた唇を腕で拭うと、立ち上がった。構えた桐生に近づくと瞬時にパンチを繰り出した。


 フックが縦続けに急所に入り、コンビネーションパンチを連打で食らう。バックステップで回避した。


 凄い威力だった。相手の流れが切れず、足裏の消耗が激しい。スウェーバックの隙など無いに等しい。ダッキングでアッパーを食らう。両腕と肩でブロッキングするだけで精一杯だった。


 赤子の手を捻るような猛攻(もうこう)だった。ディフェンスの合間に繰り出すパンチの威力が損なわれ、太刀打ち出来ない。


 攻撃で息が上がっていた桐生はパンチのラッシュを交わし続けたが、足元がふらついた瞬間、左フックからの右ストレートをガラ空きの左顔面にもろに食らった。


 強烈な一撃に後退りする。下を向くと、床に血がボタボタと落ちた。


「もうやめろ! 帰るからっ、お義父さんもうやめてください……その人は」


「来るな!」

 腕を伸ばして、踏み込むジーンを制した。


「来たらダメだ……危ないから……ジ……帰ら、なくて、大丈……だ」

 息が上がり、頭が(おぼろ)にかすむ。上手く言葉が発せない。ガードした腕がひとりでに下がっていく。


「かっこいいなあ、医者のおにいさん。でもこいつは帰りたいって。どーする?」

 揶揄するように握世が近づき、足元が見えた瞬間、拳が右の脇腹に食い込んだ。


 膝を付きながら頭を垂れた。急所への連打で、軽い脳震盪(のうしんとう)を起こしたことが分かった。食らったボディブローで動けない。頬骨と瞼が瞬く間に腫れ上がり、左眼が殆ど見えなかった。


「思ったより凄かったよ、医者よりもボクサーが向いてんじゃねえの」


 身体が崩れ落ち、前屈みに手を付いた。鼻血が床に血溜まりを作る。

 口内に溜まった血を吐き出すと、折れた歯が数本混ざっていた。切れた瞼から溢れた血が目に入り、ますます左目の視界が塞がった。


「じゃあ、座りながらここで、その片目で見てろよ。俺もね、ルールは守ったからよ。正当におまえの敗けだ。最後の肝臓はよ、虫も殺したことがねえよーなツラして俺を騙した罰だ。医者のボンボンのフリしやがって、このクソ餓鬼(ガキ)が」


 桐生の横に来ると屈み込み、耳元で勝ち(どき)を上げるような(わら)いを発した。それから、ジーンの方へ歩いていった。桐生は潰れていない右眼で、前方に目を凝らした。


 握世は、抵抗するジーンの髪を片手で掴んだ。屈み込んで抗いをみせると、今度は両手で襟足と髪の毛を掴んで、人形でも扱うかのように引きずり回した。ジーンをリビングのソファに勢いよく放り投げると、馬乗りになった。ソファ生地が裂けるような音と、声が重なった。クッションが床に散乱していく。


「や……め、ろ……」

 声はほとんど出なかった。


「そこでしっかり見てろ、片目が残念で仕方ねえけど。今から証拠と、ヤりかた見せてやるから。てめえみたいな若造にこいつのなにが──」


 霞んだ視界に映った。(またが)った握世が、ジーンの首を絞めた。短い叫びが聞こえた。


「……やめて、くれ……頼、む……」

 桐生はひざまずき、宙に手を伸ばした。


「も、う……傷つけ……ないで、くれよ……」

 絞り出すように出した声は、空間のノイズに掻き消され、散っていった。


 奴の背中の下から、呻き声が聞こえる。

 伸ばした手が打ち震え、体内がわなないた。

 頭の中をざわついた喧騒が網羅した。


 負った傷口から噴き出る血液が、あたかも瀉血(しゃけつ)のように無意味に流れ続けた。


 空間との音叉(おんしゃ)が共鳴し合うと、長引いていた残響(ざんきょう)が止んだ。


 桐生はグローブを外した。腕を使って、下半身を引きずりながら後退させた。


 キッチンカウンターに背中を押し当て、寝転がりながら反転した。右手を手探りで伸ばし、シンク下のスライドストッカーを開いた。


 そこにあった果物ナイフを引き抜き、強く握った。カウンターを掴みながら、肘を付いて立ち上がる。


 周辺に散らばった食材が見える。そのとき初めて、ジーンが料理の下ごしらえをしていた途中だったということがわかった。使ったこともないキッチンに、生活感が満ち溢れていた。


 呼気と吸気に、喉から洩れた(うな)りが交錯(こうさく)した。


〈朗報があるんだ──〉

 夕べ、電話の向こう側で照れ笑いをしていたジーンの姿が、瞼の裏に浮かんだ。ソファの軋む音と、掻き暮れた声がする方を見据えた。


 一歩踏み出し、力を込めた右手を左手で掴んだ。立ちくらみながら、天井を仰ぎ見た。


 目まいが渦を巻く様に曲線をえがいた。


 視界のいっさいの色を奪い、カラーが剥がれ落ちたグレースケールで染まった。


 それは桐生にとって、酷く好都合だった。


 目弾きしながら、おぼつかない足取りで進んだ。

 切れた左瞼に力を入れると、灰色がかったグラデーションの中に、はっきりと眼前がひらけた。


 握世の背中が間近に迫る。桐生は残っていた力の全てを使って、後方から踏み込んだ。




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