カブトムシ
僕と和香が入籍するにあたり、親に挨拶というか報告する必要があった。僕の方は父親は他界しており、母親は有料老人ホームに入居している。母親は要支援1の介護度でそんなに重くはなく、そのホームでの趣味のサークルの集いがいくつかあり、母親は楽しみに参加している。毎食の食事も洋食若しくは和食が選べ宛らレストランのような形態で居室はホテルの様な、羨ましい限り。入居金は高かったけど、母親はここで悠々自適に生活している。僕のきょうだいは妹がひとりいたけど小さい頃に事故で亡くなっている。
和香の方の家族は両親共に他界しており、和香の3歳上に姉の朋子がひとりいて千葉に嫁いでいる。挨拶をしたくて、千葉の割と東京寄りのマンションを和香と尋ねると朋子夫婦は笑顔で迎えてくれた。朋子もその長女の楓も実は看護師をしていて、2人共に千葉の同じ看護学校を卒業し正看護師をしている。陽菜も看護師を目指していると伝えると今度会って話してみたいわ、と言ってくれた。和香の家を建て替えたこともあり、今度皆でホームパーティーをして招きたいと伝え、それから入籍もしたいという意向も話した。とても気さくに話してくれて安心した。結婚することで人間関係が広がっていく網目。これからまだ途中。
その数週間後、僕の母親の文子にも挨拶に行った。
「お袋、今度結婚しようと思っている宗像和香さんだよ。」
和香は椅子に座っている母の近くまで行き、床に膝を付いて挨拶した。そういった所作は流石、現役の介護福祉士だと感心する。
「こんにちは!宗像和香です。」
これも職業病だろう、割と大きな声でハキハキ挨拶した。
「美帆子かい?」
母は美帆子と思っているのだろうか。美帆子は僕の亡くなった妹。その名前がこのタイミングで母の口から出てくるとは思っていなかった。
「むなかた、わかです。今度ね、俊介さんと結婚したいの。ごあいさつ。」
和香は母の背中を擦りながらハッキリと聞き取れる話し方をしてくれた。笑顔で。ありがとう。
「美帆子、ごめんね⋯。」
母は和香の言葉には耳を貸さず、どうやら和香を美帆子と勘違いでもしているのか、和香の手を取って謝り始めた。
美帆子は僕と6歳離れていてなかなか2人目に恵まれなかった母親は当時相当なプレッシャーを掛けられ、漸く授かった女の子だった。僕は6歳でもうすぐ7歳になろとしていた頃。美帆子は漸くハイハイを始めた。母親は自宅の2階のベランダに洗濯物を干しながら美帆子も2階にいた。ちょっと目を離したその時。僕は階段の途中でカブトムシを見つけ2階から1階へ降り、カブトムシを捕まえようと手を伸ばしたその時ドーン、と物凄い音が聞こえた。僕を追った美帆子が2階から1階へ転落し首の骨を折って亡くなった。僕のせいだった。僕がカブトムシなんか捕まえようとしなければ、美帆子は僕を追ってハイハイなんかしなかっただろう。母は私が悪かったんだとちょっと目を離して洗濯物を干してしまったと自分を責めていた。それから弟や妹が生まれることはなく、僕は每日お仏壇に手を合わせ、お供えをした。僕はそれから一人っ子だった。僕は美佐子からせめてもう一人子供が欲しいと言われても一人を大切に育てようと何とか宥めた。僕の家を平屋にしたのも階段を作りたくなかったから。だから、和香の家の階段を昇降する彼女に毎回階段は気をつけて、と言ってしまっていた。
「うん。大丈夫よ。謝らないで。」
和香は察してくれたのか、母の手を握り背中を擦ってくれた。ありがとう。
帰る頃にちょうど母のケアマネジャーの吉住さんと会った為、最近の母の様子を聞くとちょっと認知傾向があるのではないか、今度区分変更をかけ、認定調査を受ける予定だと教えてくれた。誰でも老いるものだが、いざ自分の親がそうなるとはなかなか受け入れられないものなのだと実感した。お世話になります、宜しくお願い致しますと頭を下げた。
帰りの車の中で和香に美帆子の話をした。
「きょうだいの話は聞いていなかったから驚いた。俊介さんは一人っ子だと思っていたから⋯そんな辛い過去があったなんて知らなくて。知っていたらもう少しちゃんと接することが出来たのかも⋯。」
「いや、ありがとう。そんな風に言って貰えて。隠していた訳ではなかったんだけど何となく言い出せなかったし今日このタイミングで母親の口から美帆子の名前が出てくるとは思っていなかったんだ。びっくりしたろう、ごめん。でも、母に優しく接してくれて本当ありがとう。」
和香と家族になりたいと思ったのは何となく和香の中に美帆子の面影があったのかも知れない。和香はもしかしたら美帆子の生まれ変わりなのかも。だから僕たちは引き寄せられたのか。母親だって美帆子と勘違いした位なのだから。多少認知があったのだとしても。
それから吉住ケアマネジャーから母親に要介護2の認定が下った連絡があった。




