和香について
和香は商業高校を卒業後、第二地方銀行に就職した。入行前に高卒のみ研修があるのに対し、大卒は入行後だった。何故学歴で差があるのか?何となく不満だった。大卒なんて直ぐにテラー(窓口)に出させてもらえるのに。和香は地味な庶務係。いつも不満と我慢だった。そんな折、和香に妊娠が発覚し不満と我慢だらけの銀行はさっさと退職した。こんな会社辞めてやる。いい機会だと思った。結婚生活は相手が自衛官ということもあり官舎に住む。夫は気に入らないことがあると和香を平手打ちすることが多くなり、給料を入れなくなった。和香は慣れない育児、夫の暴力と官舎の付き合いに次第に疲れ、幼い大輝をおんぶ紐で背負い出てきた。
戻る所は実家しかない。結婚においても親不孝している身分だが大輝のこともある。父親に土下座し出戻った。
和香は仕事を探すが大輝が小さいこともあり、難航した。その頃、大学の社会人入試という制度を知りやってみたくなった。社会人経験を生かして一般の入学選抜とは違い面接や小論文での試験がメインとなる。銀行での学歴差別、とまではいかないあの「モヤモヤ」をなんとかできないものか。でも仕事は?学費は?大輝のことは?子供が小さいと何もできないのか。恋愛もできないのか?産まなきゃ良かった、とまでは思わないがやりたいことに制限がかかることをようやくここで味わった。世の中が言っている物事の「大変さ」を理解した。地元の大学でアルバイトしながら授業を受ける「学生嘱託職員制度」を知り、短大生活2年間だけ、どうにかやらせて欲しいと両親に頼んだ。保育園へ大輝を送ってから大学でアルバイト、その後授業を受け帰宅。保育園の迎えは母親に頼んだ。やりたいことをやっている最中というのは実に楽しいものだった。学費は銀行員時代に貯めていた虎の子をはたいた。両親に限らず、保育園の先生を含む周りの色んな人の力添えで和香は短大を卒業できた。福祉学科卒業ということもあり、家の近くの住宅型有料老人ホームに介護福祉士として就職した。子供が小さいうちは家の近くが通勤に便利だ。一番大事なのは大輝だ。それだけだった。救いなのは大輝が小中高、それから大学も一度も「学校に行きたくない」と言わないことだった。自分に気を遣っているのか、父親のことについても一度も尋ねてこなかった。大輝が小学校4年の頃、和香の母親が乳がんで亡くなり、家は和香の父親、和香、そして大輝と猫2匹の生活となった。猫は野良猫が子猫を産み落とし、母猫は車に轢かれた様だった。猫2匹は姉妹だが毛の長さも性格もまるで違う黒猫だった。大輝は黒猫たちと一緒に寝ていた。黒猫たちは大輝の心の拠り所になっていた様だった。和香の父親が大腸がんで亡くなってから、家のあちこちが傷み出してきた。築45年の木造をちょっとずつリフォームや手直ししながら住んできたが、限界なのか台所が雨漏りしだし、天井を剥がすと腐っていた。外壁、下水、住宅設備⋯ありとあらゆるものの限界が来ているように思えた。建て替えようかな。なんとなくそんな気持ちが湧いた。