ふり
仕事を早目に切り上げ、和香の待つマンションへ急いで帰ることにした。まだ和香の右手が不自由なうちは特に側にいたいと思う。夕飯どうしようかな⋯あ、そうだ!僕が二輪の免許を取った事をまだ伝えてなかった。サプライズで発表してみようかな。きっと和香のやつ驚くだろう。そして今度一緒にバイクショップにでも行こうかと提案しよう。彼女もバイク乗りたい気分になっているだろうしな⋯。運転出来るようになるまではまだ先かな。
家に着くと玄関まで和香は出迎えてくれた。
「おかえりなさい。」
こういった生活もいつまでかな。和香にとっては仮住まいだから、家が完成したら彼女はこのマンションを出て引っ越すだろう。束の間の夫婦のような生活。家が完成した後も一緒にいたい。若い頃の様に「ただ好きだから」という理由だけでくっついたりできる年齢じゃないのは分かっているけど。乗り越えたり解決しなければならない問題は山のようにある。だけど、それらを和香とひとつずつ、ちょっとずつ乗り越えていけないだろうか。和香と一緒なら、和香のためならできそうな気がする。否、できる。
「ただいま。」
和香の様子が何となく違う感じがした。どこが?と聞かれても具体的にどこがどうとは言えないのだけど。何だかしっくり来ないような?違和感。
「お風呂入る?」
と聞いてくる和香に
「一緒に入ろう?」
と誘うもはぐらかされた。昨日一緒に入ったのに。今更恥ずかしがることもなかろうに。和香は左手で野菜炒めを作るから僕が風呂に入っているうちに準備をするという。そんなの風呂から上がったらふたりで準備すればいいのに。それでなければ僕がやるよ、と言っても首を縦に振らない和香。まぁいいか。じゃあ僕が先に入るよ。風呂に入り湯船に浸かっている最中にキッチンでジャーッと野菜を炒めている調理音が聞こえた。仕事から帰って直ぐに風呂に入り食事にありつけるありがたさ。しかも和香がいて。
風呂から上がるとビールを注いでくれて野菜炒めが出来ていた。幸せ。ありがとう。その後和香も風呂に入り、僕は上がるのを待った。野菜炒めはちょっとシナシナになってしまっていた。ふたりで風呂に入って作れば和香だってシャキシャキした野菜炒めにありつけたのに、と言うとシナシナだって美味しいよ、と笑顔だけど⋯何か作り笑顔の様に感じたのは気のせいかな。野菜炒めを頬張る和香に
「僕、二輪の免許取ったんだよ!」
と真新しい免許証を財布から出して見せた。
「えっ?!本当?いつの間に⋯!」
びっくりする和香。サプライズ大成功⋯!
「中型かぁ。羨ましい!乗りたい単車あるの?」
和香は小型の125ccまでしか乗れないからと嘆くも限定解除するつもりもなさそうだった。
「とりあえず、教習車と同じ本田のCBで運転技術の向上を目指します!」
とおどけて敬礼のポーズをすると
「じゃあ、私の右手が使えるようになったら取り急ぎ私のカブの後ろに乗って。タンデム走行しよっか?」
和香の後ろに乗ってタンデム走行なんて。ふたりで風を切る楽しさを味わいたい。ふたりで未来を想像して笑顔になった。そんな時に僕のスマホが着信を知らせる。画面には「美佐子」の文字が無情に浮かび上がる。
「美佐子か⋯」
僕のその一言に反応した和香が
「あっ!美佐子さん、陽菜ちゃんが合宿に行ったの知らなかったみたいよ。」
「えっ?何故それを?」
何故和香が知っているのか最初わからなかった。
「和香、もしかして美佐子と話したのか?」
そうとしか考えられなかった。会ったか話したか。まぁ、会ったら一言位は言葉を交わすだろう。まさかLINEやショートメッセージなんていう手段ではないだろう。着信音だけが虚しく鳴り響いている。まだ止まらない。
「どうなんだ!」
僕は詰問してしまう。着信音は漸く止まり、役目を終えた。
「ごめん。声を荒らげたりして⋯。すまない。」
和香は俯いたまま、右手を左手の傷上に乗せている。⋯まさか。傷?
「なぁ、和香。切ってないよな?」
出来る限り落ち着いた優しい声で。声を殺すとはこのことか。
「大丈夫、切ってないよ。」
和香はあまり自由でない右手で左腕のシャツをめくった。古傷しかない。僕はその時、和香は右手が不自由なのだから左腕に傷があるわけないことに気づかずに和香の仕草で安心したふりをした。




