大輝について
大輝は父親の顔を知らずに育った。物心ついた頃には母親の和香と祖父母(和香の両親)がいた。祖父は娘にしか恵まれなかったため、大輝をとても可愛がった。
母親に父親のことを尋ねることはしなかった。何かそうしたらいけないような気が子供ながらに思っていた。後に母親が離婚して自分を引き取ったことを知った。父親に会いたいかと聞かれても答えようがないほど、「父親」という存在が分からなかった。自分には父親がいないことは理解できたが、いなくて不便だと思うこともなかった。
小学校4年のときに祖母は乳がんで亡くなった。
公立中学を卒業後、地元の公立高校へ進学。高校へは自転車で通った。本当はライフル射撃部のある私立高に行ってみたいとも思ったが、何となく言い出せなかった。この高校は中学の学生服がそのままボタンを替えるだけで引き続き着られるとのことで、その理由だけで決めた。結局制服はボタン代700円だけで済んだ。母親がシングルマザーだったため、学費はかからなかった。担任から卒業後の進路について尋ねられた際、何となく大学進学してみたかった。小学校3年生のクリスマスのプレゼントに日本の歴史が漫画で描かれている本が枕元に置かれてあり、大輝は夢中になって貪り全巻を制覇した。それから社会の成績だけは「5」を取り、和香はたいそう喜び「やればできる子なんだよ!」と大輝の頭を撫でた。大学で日本史の勉強をもっと深くしてみたかった。できたら歴史博物館の学芸員になってみたかった。高校3年の夏休みにいくつかの大学のオープンキャンパスに行き、和香に私立大学の歴史学部に進学したい旨を話した。和香は応援してくれた。
高校3年生の1月、祖父が大腸がんで亡くなった。焼却したばかりの骨が入った骨壺を膝の上に載せ葬儀業者のマイクロバスに揺られると真冬であるにも関わらず、熱くて汗がでた。祖父が亡くなってからほどなくして封書が届き、大輝が死亡保険の受取人になっていた。350万円あった。これと和香が掛けていた学資保険で大学に進学できた。入学式用のスーツ、授業用にパソコン、通学定期⋯その他いろんなものにお金が掛かるんだなと知った。大学に入ると専任講師から、学芸員になるにはとりあえず教員免許を取っておいた方が有利になると言われ、教職の単位も取得することにした。
大学4回生の時に母校の高校へ教育実習に行くことになった。