走り抜ける
所長への打診は断ったが仕事は相変わらず忙しかった。朝、先ずは妻が作ってくれた弁当を娘の保育園バッグへ入れ娘を送る準備をするのは健太の係りだ。月曜日は昼寝用の布団まで担ぎ、ぐずる娘を抱えて登園。出社したらメールのチェックやらスケジュールの管理等で時間はあっという間に過ぎ去っていく。元々家が好き。大工だったし。これ以外に知らないけど。これしかできないから。次に所長の打診を受けたら引き受けるつもり。今回は子供が小さくて断ったけど後悔してる訳でもない。自分に言い聞かせた。そんな折、話しかけられた。
「お子様、小さいの?」
同僚の宮島さんだ。あの宮島さんの奥様。飛び抜けて美人だ。
「上は1年生、下は保育園行ってて⋯4歳で」
「あら⋯それは可愛いわね!」
宮島さんはふんわりと優しく微笑んだ。すらりとした身体がまるでモデルのようで、頭から爪先まで抜かりなくお洒落な人だ。今頃妻の真由美はスーパーのレジ係で三角巾を頭に巻き、エプロン姿だろう。それが悪い訳じゃないが何だか三角巾にどうも生活感を感じた。スーパーが日常生活の一部だから仕方ないだろう。真由美が悪い訳じゃない。こんな美人が同じ職場にいるなんて、仕事に集中できなくなりそうだ。否、もうできない。宮島さんが真っすぐ自分の目を見つめてきた。自分も見つめ返す。数秒見つめ合っていた。多分ほんの数秒。だけどあんなに互いを熱く見つめ合ったことがなかった。少なくとも今までの自分の中では記憶にない。真由美とさえも。いや、付き合ってた頃はそうだったかも知れない。
「⋯それじゃあ。業務に戻ります」
軽く会釈をして事務室へ戻る宮島さんの背中を見届けた。何なんだ今のは。この衝撃は何なのか。体に何か走りぬける感じがした。感電でもしたかのような。大袈裟だろうか。いや⋯これは⋯




