飲めば飲むほど痩せていくアレ
歌池 聡さまからいただいたお題『飲むだけでどんどん痩せる!』で書いた作品になります
「ねぇ、もっと写真を撮ってよ」
クヌギがそう言って、笑顔を僕に差し出してくる。
春の高原の遊園地には、休日でもないので人は疎らだ。僕は目立ってしまわないか、誰か知った人に出会わないかと身を小さくしているのに、クヌギは春色のワンピースで自分を着飾って、この世に自分を目いっぱい目立たせようとするようにあかるく笑い、写真をねだってくるのだった。
「あんまり写真……撮らないほうがいいんじゃ……」
オロオロしながら僕は言った。
「一応キミ、芸能人なんだし……」
「売れてないアイドルなんて一般人と同じよ」
クヌギの顔が怒った。
僕は続けて写真を断る。
「キミにだってファンはいるんだよ? そのファンの一人の僕と、キミが付き合ってるなんてこと、バレたら……。それに……」
彼女の前の白いテーブルに置かれたおおきな紙コップを見ながら、
「キミがそんなにビールが大好きだってこともバレちゃうよ?」
ちょっと言いにくかったことを、この際に言ってみた。
「ビールが好きなアイドルのどこがいけないのよ? 有名アイドルのよたっちょだってビール好きで有名じゃん!」
クヌギの機嫌を損ねてしまった。
せっかくの楽しいデートがこれでは台無しになってしまう。
「ねぇ、写真を撮ってよぉ〜」
酔ったのか、少しろれつの回らない言い方で、彼女がまた写真をねだってきた。
「写真をいっぱい撮ってもらわないと……あたし、消えちゃいそう。消えたくないんだよ」
「大丈夫だよ」
僕はあからさまな気休めで場を取り繕おうとした。
「キミは今に有名になる。クヌギみたいなかわいい娘、世間がほっとかないから」
「あたし、もう23歳だよ?」
「トシは関係ない。クヌギはかわいい」
ようやくまた笑ってくれた、あきらかに嬉しそうに、照れたように。
自然な笑顔がかわいくて、思わず僕はデジカメのレンズを向けてしまう。
アイドルらしいポーズを決めたクヌギを僕はカメラの中に収めた。
「ありがとう。ケンジが写真撮るの上手で、ほんとよかったよ」
にんまり笑顔を両手で挟み込んで、クヌギはハッと何かに気づいた顔をする。
「どうしたの?」
「最近さ〜……、あたし、太ったと思わない? ほっぺたに、こんなにお肉が……」
「そんなことないよ。綺麗だよ」
「ビールの飲みすぎかなぁ……。お腹もぽっこり出てきちゃってさ」
「そんなこと思わなかったよ」
「あーあ。美味しすぎるからつい、グビグビ飲んじゃう。糖質ゼロのやつはなんか口に合わないし。……どっかに飲んでも太らないどころか、飲めば飲むほど痩せるビールとかないかなぁ」
その時、横から話しかけてきた男がいたのだった。
「失礼。アイドルグループ『えのきだけ小町』の星咲クヌギさんですよね?」
振り向くと、そこにホームレスみたいな初老の男が立って、僕らを見下ろしていた。
なんだかその顔は僕らを憎むようで、でも笑顔を浮かべていた。
まるで体中から黒いオーラが漏れ出ているようだ。あかるいはずの春の遊園地の風景が、彼の背中にあると、どんよりと曇って見えた。
「あっ。違います」
咄嗟に僕が彼女をかばい、嘘をつく。
「よく似てるって言われるんですけど……」
「星咲クヌギでぇ〜す!」
彼女が嘘をぶち壊した。
「おじさん、あたしのファンなの〜?」
「ファンですよ」
ホームレスみたいなおじいさんの濁った目に、殺意のようなものが浮かんだ気がした。
「まさか……ね、こんな若い男と昨夜……。いや、こんなところで逢い引きなどしているとは……ね」
昨夜……って、まさか僕らがいかがわしいホテルに泊まったことを知っているのだろうか。
僕は立ち上がると、その男から離れて別の場所へ行こうと無言でクヌギにうながした。
「ありますよ」
すると男が言ったのだった。
「飲めば飲むほど痩せるビール」
「ほんとですかぁ〜っ!?」
クヌギが目を輝かせ、男に飛びつくように身を乗り出した。
「……と、いうかね。僕があなたに呪文をかければ、どんなビールを飲んでも、飲めば飲むほど痩せて行きます」
「わあっ! かけて、かけて!」
くだらないジョークに、クヌギはそれを真に受けたようにノリノリだ。
「おじさん! その呪文、あたしにかけてえ〜!」
「いいでしょう」
男の口は黄色い歯を見せて笑ったが、その目は鋭く、クヌギを憎むように睨んだ。
彼女の顔に触れる勢いで手をゆっくりと前にかざすと、それを素速く下に振りながら、唱えた。
「痩せて行く」
きょとんとした顔で、クヌギが聞く。
「これで呪文、かかったの?」
すると男は背を向けながら、ざまぁみろというような笑いを浮かべ、吐き捨てるように言った。
「後悔はないよな? あんたが望んだことだ。つまようじのようになって死ね。この売女」
※
「あれはヤバい系のファンだよ」
ホテルの部屋で、持ち込んだたこ焼きを電子レンジから出しながら、僕はクヌギに言った。
「ファンって怖いものだったりするんだから、気をつけなよ」
「ケンジだって元々あたしのファンじゃん」
クヌギは楽しそうに缶ビールを開けながら、ペロリとピンク色の舌を出す。
「確かにあのおじさん、ちょっとキモかったけど……かけてくれた呪文、ほんとうだったらいいな」
「バカバカしいよ。大体、痩せなくたってほんとうに綺麗だって。クヌギは……」
「『えのきだけ小町』はその名の通り、エノキみたいにヒョロっとした体型を維持してないと、メンバーから外されるんだよ? 死活問題じゃん」
そう言って、あっという間に缶ビールを一本飲み干すと、クヌギは立ち上がった。トイレにでも行くのかと思ったら、浴室の前へ行って何やらやっている。そういえば浴室の前に体重計があった。
「すごい!」
クヌギの大声が響いてきた。
「さっき計った時より200グラムも減ってるよ! 見て、見て!」
仕方なく歩いて行って見たけど、元の体重がわからないので何とも言えない。その代わりに思ったことを正直に言った。
「そんなの気のせいだよ。おしっこ出せばそのぐらい減るかもだし、機械の誤差もあるし」
クヌギは小走りで冷蔵庫のところへ行くと、買い込んだビールをもう一本取り出し、ぐいっとまた飲み干した。
「これでもっと痩せてたら本物だよね?」
「はいはい」
また浴室の前へ駆けていく彼女にテキトーに返事をする。
「すごい!」
またクヌギが嬉しそうな大声を響かせた。
「今度はまた300グラム減ってる!」
ほんとうだった。
さっき僕が見た数字よりも300グラムとちょっと、それは減っていた。
「最高! 好きなだけ好きなビールを飲んで、飲めば飲むほど痩せれるなんて! あの呪文、本物だったんだ!」
嫌な予感がした。
でもクヌギは喜んでる。彼女の気持ちを考えると、僕も喜ばないといけない気がして、弱々しい声にはなったけど、言ってあげた。
「ほんとだ。あの呪文、ほんとうだったんだね」
まさかあの男が口にした『つまようじのようになって死ね』が現実になるとは、その時は思ってなかったし。
※
「ねぇ、ケンジ。写真を撮って!」
ショッピングモールでのミニライブ前、僕が通路脇のベンチに腰掛けていると、クヌギが衣裳を着たままやって来て、また写真をねだる。
「ちょっ……! ファンが大勢来てるとこだよ? ヤバイよ」
「『えのきだけ小町』のファンなんて数知れてるしー。も、知られてもいーよ。あたしケンジのことほんとうに愛してるもん」
細い娘ばかりの『えのきだけ小町』の中でもクヌギは目立ってスリムになっていた。比べるメンバーたちがいるからどんどん細くなっていってるのがよくわかる。
写真を撮ってあげながら、でも僕はクヌギに言ってあげた。
「クヌギ……。あれから毎日ビール、何本ぐらい飲んでるの?」
「んー……できれば毎日10本ぐらい飲みたいんだけどさ、お金がないからそんなには飲めないんだ。2日に1本ぐらいかな」
「それでそんなに痩せるなんて、ヤバイよ。週に1本ぐらいにしとこうよ」
「えー? でもあたし、綺麗になったでしょ? 綺麗になったらケンジも嬉しいでしょ?」
確かにクヌギは短期間で急激に綺麗になった。
もちろん前からかわいかったんだけど、ここ最近のかわいさは奇跡レベルだ。そろそろSNSで発見されてバズりはじめてもおかしくないほどだった。
「……とにかく! 彼氏がいるってバレたらヤバイよ。人前ではあんまり会わないようにしとこうよ」
「写真を撮り続けてほしいの」
クヌギはキラキラとアイドルらしいあかるい笑顔を浮かべながら、不安そうに言った。
「写真を撮ってもらってないと、自分が消えそうで……」
思わず僕は彼女を抱きしめてしまった。
抱きしめながら、誰かに見られてないかとキョロキョロしたけど、周りはクヌギのことなんて知らなそうな人たちばかりで、みんなこちらを見る気配もなく通りすぎていく。
やがて始まったミニライブで、クヌギはセンターの娘の左横で、キラキラと煌めくような存在感を放ち、みんなを魅了する完全無欠のアイドルを演じた。
僕は会場にあの初老の男が来てないかと見回したけど、小綺麗な格好をした観客ばかりで、あのホームレスみたいな薄汚れた姿はどこにも見当たらなかった。
※
クヌギが遂に、世間からその存在を見出された。
SNSに投稿された一枚の写真が『えのきだけの奇跡』として各方面で話題となったのだ。
『おめでとう』
僕はそんなメッセージをクヌギに送った。
『僕たち、もう会わないほうがいいかも?』
実際、もう一週間も会えていなかった。前は毎日のように会っていたのに。
『ごめんね、ケンジ』
クヌギからの返信は冷たいものだった。
『ケンジのことは、忘れないからね。さよなら』
それきり彼女からメッセージが届くことはなかった。
※
『えのきだけ小町』が解散したというニュースをネットの片隅で僕が見つけたのはそれからすぐのことだった。
メインのニュースは星咲クヌギ一人を取り上げるものばかりで、クヌギ本人の口からも『えのきだけ小町のクヌギです』なんて自己紹介が出ることはまったくなくなった。
きっと他のメンバーはクヌギのことを嫉妬し、恨んでいることだろう、表向きは仲間の出世を喜ぶ顔をしながら。
大物アイドルの男性とクヌギが付き合っているというニュースを僕は見かけた。
そいつに今は写真を撮ってもらっているのだろうか。
でも僕は彼女を恨みはしなかった。
これでいいんだ。ただの一ファンの僕なんかと付き合うよりも、このほうが彼女にとって幸せなんだ。そうとしか思えなかった。
今では僕がずっと側にいて守ってあげたかったと思っているけれど。
きっと彼女を救うことが出来ていたのは、僕だけなんだ。もしも、僕がずっと彼女の側にいてあげれば……
そんな根拠もない『もしも』の話しか、今は出来ないけれど──
※
ある夜のことだった。
アパートの僕の部屋のドアフォンが鳴った。
モニターを見たけれど誰も映っていない。
いや、よくよく見れば、つまようじのような人間がそこに映し出されていた。
「まさか……」
嫌な予感がして、玄関へ走った。
「クヌギ!?」
ドアを開けるとそこに人間大のつまようじが立っていた。よくよく見ると、クヌギの顔がそこについており、すすり泣くような声で、それが声を発した。
「……ケンジ」
「やっぱり……クヌギ!?」
「新作映画のヒロインに選ばれたの」
ちいさな口が動いて、そう言った。
「そのパーティーでね、ビールがね、飲み放題だったのよ。それで、飲みすぎたら、こんなことに……」
どうにかしてあげたかった。でも僕にはもう、どうしてあげることも出来ないのだった。
「こんなんじゃもう、人前に出らんない……」
「入って」
僕はつまようじを部屋に招き入れた。
「何かお肉のつくような食べ物を……」
「それより写真を撮って」
クヌギの声は切実だった。
「消えたくないの、あたし。せっかく有名になったのに──」
そんな場合じゃないと思ったが、彼女に言われるがままに僕はカメラを手に持った。
モニターに映る彼女はもう、人間ではなかった。
「僕は絶対、忘れないよ」
写真を撮りながら、感情のない声で僕は言った。
「君が存在したこと、君と付き合えたあの夢みたいな日々のことは……けっして」
「ありがとう、ケンジ」
最後にクヌギが言った。
「あたし……もっとケンジを大切にしとけばよかった。ケンジの言うこと、聞いてれば、こんなことには……」
デジタルカメラのモニターの中で、つまようじはただの一本の線となり、そして消えてしまった。