04.思いもよらない事実
それからおよそ半月。
マケダニア王宮の北辺にある古い離宮が、全焼する火事があった。
その少し前に、宰相である父クリューセースからアナスタシアが稔季の大夜会に参加すると聞かされていたフィラムモーンは、火事の見舞いの名目で王宮に参内し、ついでにアナスタシアへ面会を申し込んだ。目的はもちろん、彼女への正式な婚約の打診と、それを知らしめるための大夜会へのエスコートの申し出である。
「アナスタシア嬢がこたびの大夜会に参加を予定されていると聞き及んでね。是非ともエスコートの栄誉にあずからせてもらえないだろうか」
敢えてミエザ学習院で呼んでいるのと同じ呼び方で、フィラムモーンは努めて朗らかに切り出した。
ソニアの意を汲むまでもなく、フィラムモーンにはもうアナスタシアを口説き落とすしか道がない。カリトン王は相変わらず彼女とは距離を保っているようだし、フィラムモーンがエスコートしなければ、彼女は独りで会場入りすることにもなりかねない。
それだけは避けなければ。マケダニアの威信にかけても、連邦第三王女にそのような屈辱を味わわせるわけにはいかないのだ。
「まあ。どなたからお聞きになられましたの?」
「僕は父からだけれど、王宮ではすっかりその話題でもちきりみたいだね」
「……それで、名乗りをお上げになったわけですか」
だというのにアナスタシアは、フィラムモーンが名乗りを上げたこと自体を訝しんでいるようだった。それはまるで、申し込まれることを想定してなどいなかったかのようで。
「そうだね。まあ僕も参加は確定だし、今現在婚約者もいないからお相手に困っていてね」
「姉君をエスコートなさるのではなくて?」
「いや、姉はすでに婚約の話を進めていてね。そのお相手が今回のエスコートも務めてくれることになったんだ」
「まあ。ではこれを機会に正式発表なさるのですね」
何か違和感を覚えつつも、フィラムモーンは自身にも相手が決まっていないことをアピールする。
「お相手がおられないことは理解致しました。ですが……フィラムモーン様なら、どんなご令嬢でも選び放題でしょう?」
「僕は、貴女がいい」
間髪入れずに、ハッキリとそう断言した。
確かに、アポロニアの公子である自分がエスコートを申し出れば、相手の決まっていない令嬢であれば誰ひとり断ることはないだろう。それでなくともソニアを筆頭に元々の婚約者候補は確保してあり、通常ならば彼女たちの誰かをエスコートすればいいだけの話だ。
だが、エスコートするならアナスタシアでなければ意味がない。でなければ彼女の矜持にも、カリトン王の面目にも泥を塗ることになる。
「…………申し訳ありません」
だというのに、返ってきたのは、明確な断りの返事だった。
沈痛な面持ちで頭を下げるアナスタシアを見て、ああそうか、とフィラムモーンは思い出した。
そもそも彼女は、カリトン王に婚約を打診したのだと父が言っていたではないか。つまり彼女は最初から、そのつもりだったのだ。
それなのに、こちら側で勝手にその意を捻じ曲げて、誰も彼もが寄ってたかって彼女の思惑に沿わぬことを推し進めようとしていた。事ここに至ってそれに気付かされて、落胆とも羞恥ともつかぬ感情に呑まれかけ、表情を取り繕うのに苦労する。アナスタシアが目線を下げてくれたことで、それに気付かれなかったことがせめてもの救いだった。
「どうぞ頭を上げて頂きたい、姫」
彼女のことを、初めて“姫”と呼んだ。
彼女があくまでもカリトンとの婚姻を目指していると理解した以上、君臣の別は明確にしなければならない。
「困らせるつもりはなかったんだ。どうか気になさらないで。お相手の方にも、どうぞよろしく。——では、また夜会の会場でお目にかかれることを楽しみにしております」
言い捨てるようにして、礼もそこそこに足早に辞去した。アナスタシアが何か言いかけていたようだったが、結局彼女は強く引き止めることはしてこなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…………それで、おめおめと逃げ帰ってきたわけですか」
ソニアの視線がいつになく刺さる。いつものお茶会だが、こんなに居心地が悪いのは初めてだ。
「申し開きのしようもない。だけど、ああもはっきりと姫のお気持ちに気付かされてしまうとね……」
「そもそも、姫が最初から陛下に婚約を申し入れされておられたこと、何故教えて下さらなかったのですか」
「それは……陛下と我が家だけの非公式な情報だったからね」
フィラムモーンとアナスタシアとの婚約の打診は、正式なものではもちろんなかった。ただカリトン王が、勝手にアナスタシアの幸せを慮り忖度しただけに過ぎない。
だがそれで自分だけでなくソニアまで振り回してしまったのだから、フィラムモーンとしては言い訳も立たない。
「仕方ありませんわね。会場入りは、わたくしがお相手を務めさせていただきます」
「そうさせてもらえると、助かる」
本来は男性側が申し込むべきなのだが、こうしてフィラムモーンがソニアをエスコートすることに決まった。すぐに両家の当主、つまりアポロニア公爵クリューセースとカストリア侯爵アカーテスにも話が通され、両家ともそれで話を進めることになった。
——のだが。
「フィラムモーン様、お話がございます」
翌日、ソニアに呼び出されてやって来たカストリア家の王都公邸の応接室で、フィラムモーンは衝撃的な話を聞くことになる。
「アナスタシア様が、“悲劇の公女”オフィーリア様の、生まれ変わりだって……?」
「ええ。わたくしも驚いておりますが、父が申すにはほぼ間違いなかろうと」
なんとアナスタシアが、オフィーリアの生まれ変わりだというではないか。
「お父上は、どうしてそうお思いに?」
「最初の違和感は、姫がマケダニア王宮にて陛下に謁見した際に覚えたそうですの。確信に至ったのは姫とクロエー様が、オルトシアー嬢のご実家を訪問された帰路に襲撃されたのを救援した時だと、わたくしに教えて下さいましたわ」
確かにあの時、父が何やら得心していたのが気になってはいたのだと、ソニアは語った。
「ですが、アナスタシア様が最初から陛下に婚約を打診なさっていたのなら、おそらくは間違いないのでしょうね」
カリトン王が『亡き公女オフィーリア以外に誰も娶るつもりはない』と公言していたのは有名な話である。そのことはマケダニアに来る前の段階でアナスタシアも知っていたはず。
それを知っていて、それでも彼女はカリトン王に婚約を申し込んだ。それはつまり、アナスタシアならばカリトンが受け入れると確信しているということに他ならない。
ということは、つまり。
「亡きオフィーリア様は、ご存命の当時からカリトン陛下を慕っておられたのだろうか……?」
「生前のお族姉さまの言動からはそうしたことは一切読み取れませんけれど、そう考えるべきでしょうね……」
アナスタシアにもこの婚姻のメリットがきちんとあったのだ。というか、彼女が前世越しの恋を実らせるために動いているのだと考えれば、何もかもしっくり来るではないか。
「オフィーリア様は、元々そうしたご気性だったのだろうか?」
「父が申すには、本来は自由気ままで言いたいことを遠慮せず、人に抑えられることを嫌い、身につけた知性と話力でどんな相手でも最後は言い負かしてしまう方だった、と。だからこそ当時の第二王子の婚約者となってからは鬱憤も溜まっていただろうと、そのように」
「黄加護の性格そのままじゃないか……!」
この世界を構成する根源元素である魔力の、黒、青、赤、黄、白の五色に大別される加護のうち、黄の加護を持つ者は他者に縛られることを厭い、知性に優れ深い思索と討論を好み、風のごとく自由気ままに振る舞う性格になるとされている。
どの加護を得ているのかは瞳の色に現れる。かつてのオフィーリアは深い琥珀色の瞳であり、今のアナスタシアは鮮やかな黄水晶の瞳で、どちらも黄加護を示している。そしてアナスタシアのこれまでの言動は、まさしく黄加護の性格そのものであった。
「参ったな……」
「結局わたくしたち、間抜けなダンスを踊っていただけでしたのね」
彼らを振り回した諸悪の根源はカリトン王である。だがその王とて、アナスタシアがまさかオフィーリア公女の生まれ変わりだとは気付かなかったのだろう。いや、それほどまでに思慕していたのならばむしろ気付いて欲しかった。
「これはもう、陛下に責任を取って頂くしかないな」
「ですわね……」
ともかくも、これでフィラムモーンとソニアの方針は固まった。カリトンとアナスタシアの婚姻を成立させ、そして自分たちも婚約する。そうすれば亡きオフィーリアの願いにも沿うし、カリトンの望みも叶えられるはず。
カリトンが王位に留まるのかフィラムモーンが後を継ぐのかは、また別の話になってくるわけだ。
ところが、話はそれだけでは終わらなかったのである。
【お断り】
もしかすると、明日の更新はお休みするかも知れません。
(まだ書けてない)
あと多分、5話では終わらない気がします(爆)。
【用語】
本編ではソニアがオフィーリア(アナスタシア)を「お従姉さま」と呼んでいますが、本編でも地の文で又従兄弟としている通りで若干の違和感がありました。
そこで、この部分を番外編以降は「従姉」ではなく「族姉」と表記を変えます。一族のうち同世代の年上の女性という意味で、オフィーリアがアカーテスを「族父」と呼ぶのと同じ用例になります。
※族父=一族のうち父の世代にあたる男性=おじ