02.無茶振りにも程がある
フィラムモーンがソニアと初めて出会ったのは、彼が7歳の時のこと。ヘレーネス十二王家各家の子供たちを集めた内向きのお披露目の場で、ひとつ歳下の彼女と一緒に各家の当主たちに挨拶したのだ。
彼女はその当時から、“小さな淑女”だった。物怖じせず堂々と可愛らしい淑女礼を披露する彼女に、ヘレーネス十二王家の子女のあるべき姿を教えられたような気分になったものだった。
ちなみに、この当時のアナスタシアはまだ5歳。同じ十二王家の子女ではあるが、同世代もひとつ歳下の世代も十二王家に子女がおらず、アナスタシア自身も王宮庭園の池で溺れて加療が必要だったこともあり、彼女のお披露目は開かれなかった。
それからは同じ十二王家の、そしてマケダニア王国の柱石となる筆頭公爵家と筆頭侯爵家の子女として、フィラムモーンとソニアは常に関わりを持ちつつ育ってきた。家族ぐるみの親しい付き合いというほどではなかったものの、彼女の兄ヘーシュキオスとも、彼の姉リパラーとも交流を持っている。
イリシャ連邦の他の友邦に散らばる十二王家の子女たちとはせいぜい年に1、2度顔を合わせる程度だったが、同じマケダニア王国の臣下でもある両家の子女なのだから、必然的に顔を合わせる機会も多かった。
だから最初から、彼女と彼とは、互いに婚約者の最有力候補だったのだ。
その風向きが変わったのは彼が15歳の時。父であるアポロニア公爵にしてマケダニア王国宰相でもあるクリューセースが、国王カリトンから無理難題を吹っ掛けられたことだった。
「陛下がな、お前を養子に取りたいと」
フィラムモーンはアポロニア家の長男であり、順当に行けば次期アポロニア公爵である。だが同時に彼は祖父からヘーラクレイオス王家の血も継いでいて王家の直系でもあり、生まれた時から王位継承権も与えられていた。それもあって父クリューセースはフィラムモーンを嫡子として確定させず、姉のリパラーとどちらが家督を継いでもいいようにしていた。
そこをカリトン王に指摘され、断ることができなかったと申し訳なさそうに父は詫びた。
だがそれもまた、フィラムモーンにとっては想定内のことである。というかアポロニア家自体がその可能性を見越して後継者を定めていなかったのに、なぜ父は項垂れているのだろうか。
「それでな」
「はい」
「陛下に、アーギス家のアナスタシア姫が求婚してきたのだ」
「えっ」
「だが陛下は、これを機に王位をお前にお譲りになり、併せて姫との婚姻もお前に任せたいと」
「…………は!?」
アーギス家はヘレーネス十二王家の筆頭にしてイリシャ連邦王家、さらにイリシャの本国であるアカエイア王国の王家も兼ねている。そして現在アカエイアの国王であるニケフォロス王は、まだ王太子であった当時に、時の連邦王にしてアカエイア国王であったアリストデーモス王の名代として、マケダニアの前王バシレイオスと第二王子ボアネルジェスを斥けて第一王子カリトンをマケダニアの王位に就かせた張本人でもあった。
そのニケフォロス王の末の娘である第三王女アナスタシア姫が、カリトン王との婚姻を希望したのだという。アーギス家からの説明によれば、カリトンを王位に就けてマケダニアの政情を揺らがせた責任を取るという名目で、才知に名高いアナスタシア姫をマケダニア王妃として嫁がせたいのだとか。
「いや、それは普通に陛下が娶るべきではありませんか?」
「それがな、陛下は『親子ほど歳の離れた男に嫁がされるなんて、可哀想じゃないか』と仰せでな」
「……またですか……」
カリトン王が常に他者を労り思いやり、時に自分のことよりも優先しがちなのは臣民に広く知られていることである。そもそも彼が世間に知られるきっかけとなったのが、マケダニア王宮に黒歴史として語り継がれる“悲劇の公女”こと、当時のカストリア公爵家の次期女公爵であったオフィーリアの非業の死を嘆き悼んで、その復讐を画策し成し遂げてしまった事件なのだ。
本国王家であるアーギス家を味方につけた彼は父であるバシレイオス前王を退位させ、異母弟である第二王子ボアネルジェスの王位継承権を剥奪し、公女オフィーリアを虐げ傷つけ死に至らしめた全ての者に復讐して回ったのだ。それで危うく、見境なく暴虐を振るう暴君なのかと誤解されそうになったほどに。
だがひと通り復讐を終えた彼は人が変わったかのように大人しくなり、声明を発表して国家を不安と恐怖に陥れたことを臣民に詫びた。その後は罪を償うかのように、常に他者を優先して生きている。
そのカリトン王が、たったひとつだけ頑として譲らなかったことがある。それが『公女オフィーリア以外に誰も娶るつもりはない』という、王としてはあるまじき発言だった。
いくらなんでも、まだ生きているカリトン王が、すでに獄中で自害して果てた公女オフィーリアと婚姻できるわけがない。だからその発言は、彼が思慕の情を抱くオフィーリアの仇討ちのために暴虐とも取れる苛烈な復讐を断行したことを示している。そして同時に、自分の子孫を後世に残すつもりがない、つまり王としての義務を果たさないという表明でもあった。
カリトン王が自分より他者を優先するのも、そのせいでもあるのだろう。そして今回、その彼の捻くれた優しさがアナスタシア姫に向いたというわけだ。
だが、その煽りを食らうアポロニア家には、そしてフィラムモーンには正直言っていい迷惑である。不敬となるため公然とは言えないが、会ったこともないアナスタシアと婚姻するなど、フィラムモーンには想定もできないことであった。
もちろん、政略としてあり得ることなのは理解できる。アポロニア家とアーギス家はともに十二王家の一角であり、マケダニアとアカエイアとの縁談はマケダニアの政情安定化にも寄与するはずである。
だが、漠然とながらも将来はソニアと婚姻するものと考えていたフィラムモーンにとっては、押し付けられたとしか思えない。
そう。マケダニアの王位も、アナスタシア姫との婚姻も、フィラムモーンには要らないものでしかないのだ。
「あとこれも言わねばならんが、アナスタシア姫はミエザ学習院に進学なさるそうだ」
「……はい?」
「おそらく姫は、マケダニア王宮に住まわれることになるだろうな」
「……まあ、そうなるでしょうね」
「そこでだ、陛下は姫が在院する3年の間に、お前に姫を口説き落として欲しいそうだ」
「えっちょっと待って下さい」
現在15歳のフィラムモーンは、ミエザ学習院に在籍している。この花季からは新三回生であり、次期学生会長に内定もしていた。
そこに13歳のアナスタシア姫が一回生として入院してくることとなる。その姫を、口説き落とせとはこれ如何に。
「もしや陛下は」
「うん?」
「面倒ごとを僕に押し付けようとなさっておられるのでは……?」
もはやそうとしか思えない。
思えば、前王バシレイオスも元第二王子ボアネルジェスも、面倒ごとを嫌い見てみぬふりをし、他人に押し付ける性格だった。それで公女オフィーリアの悲劇を起こし、第一王子カリトンとニケフォロス王太子に断罪されて破滅したのではなかったか。
そしてそのふたりは、現王カリトンの父と異母弟なのである。父にも弟にも似ていないと思われていたカリトン王だが、根っ子のところはやはり同じ血を継いでいた、ということなのだろう。
「実はわしもそんな気がしてきておる」
「父上までもがそうお感じならば、もはや間違いないではありませんか!」
とはいえ、王として世継ぎを儲ける意志がないカリトンを翻意させるのは相当に骨が折れることだろう。前王バシレイオスの弟であるハラストラ公爵ゲンナディオスや、前王の娘でカリトン王の異母妹にあたるサモトラケー公爵令嬢エンデーイスに王位を継がせることもできないとなれば、父がこの話を断れなかったのもやむを得ない。
「でもそれでも、断って欲しかった……」
「済まんが、それはもう無理だ。アナスタシア姫はすでにアカエイアを出立なされたらしくてな。どうかそのつもりでおってくれ」
こうして、否応なしにフィラムモーンはアナスタシアの婚約者候補として、彼女の前に現れるしかなくなったのであった。
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