06.どったんばったん大騒ぎ
「アナスタシア姫。……その、こんな私で良ければ——」
「ちょーっと待ったぁー!」
よく通る大きな声が、大夜会の会場である“栄光の間”に響きわたった。
「ちょっと待ったコール……だと!?」
「まあ、今のお声は……!」
もちろんそれは、今まさにカリトン王がアナスタシア姫に告白せんとする、その瞬間に割り込んだフィラムモーンの声だ。
“栄光の間”の階の前、カリトンとアナスタシアの立つ位置と、フィラムモーンやソニアの立っていた位置とはやや離れていた。短い距離ではあったが、王にみなまで言わせじと急いだフィラムモーンはそこに駆け寄る形になり、さらに諦めた恋が叶うかもしれないという興奮もあって、声を上げた時には頬は上気し前髪は乱れ、完璧と名高い貴公子にあるまじき姿を晒していた。
声に驚いて振り向いたアナスタシアの目がハートマークになっていたりするが、自分のことで手一杯なフィラムモーンは気付かない。
「ま、まてフィラム」
「父上はしばしお黙りを」
息子が何をしでかそうとしているのかいち早く気付いた宰相、アポロニア公爵クリューセースが制止しようとするのを一声で黙らせて、フィラムモーンはカリトンとアナスタシアに顔を向けた。
(あっ。どうしよう、なんと言おうか)
だがソニアに急かされるまま考える間もなく飛び出したせいで、彼は何も考えていなかった。とにかく間に合わせなければと、それしか気にしていなかった。フィラムモーンには珍しい失態である。
まあそれだけ切羽詰まっていた、ということでもあるのだが。
「陛下」
「……」
「まず最初に、お恨み申し上げます」
満座のどよめきがさらに深くなった。
「一体どうして、陛下は私にアナスタシア姫を引き合わせたのですか。それさえなければ、こうも思い悩むことは無かったというのに」
「……うん、まあ、それは悪かったと思っている」
「それなのにこうもあっさりと前言を翻して、自ら求婚に及ぼうなどと!残される私は一体どうしたらいいというのでしょうか!」
「……その、こんな展開になるとは思ってもみなかったんだ」
「見通しが甘いにも程がありましょう!これでは私は、単なる当て馬ではありませんか!」
固唾を飲んで事態の推移を見守る周囲の人々はおろか、アナスタシア自身でさえもついて行けない展開の中、フィラムモーンはカリトンを詰る。
フィラムモーンとてこんな恨み言を言いたいわけではなかったのだが、口をついて出てしまった以上は自分でももう止められない。
そして結局、それを止めたのはやはり父クリューセースだった。
「最初からそういう話であっただろうが、フィラムモーン」
「父上……?」
「そなたが姫を口説き落とせたなら、という話だったことを忘れたか」
そう。最初から言われていたことだ。
そしてフィラムモーンはアナスタシアを振り向かせることができなかったのだ。それなのに、今さらどの面を下げてこの場に乱入しようとしたのか自分は。
「——っ、」
返す言葉もなく、フィラムモーンが言葉に詰まった。
「君には申し訳ないと思っている。けれど私だってね」
助け舟を出すかのように、カリトンが口を開く。
恋敵にフォローされたことに気付いて、フィラムモーンの気持ちがまた沸騰した。
「姫は最初から陛下の方だけを見ておられたではないですか!それから目を逸らし続けていたくせに、何を今更!」
そう。カリトンが最初からアナスタシアの好意を受け入れていればそれでよかったのだ。そうすれば話がこじれることもなく、フィラムモーンも心を乱されることなく、今この場で見せている醜態も晒さずに済んだのに。
「とにかく私はもう、決めたのです!」
そうしてフィラムモーンは、勢いのままに言い放つ。
「アナスタシア姫。貴女が陛下を慕っておられることは承知の上で、それでも敢えて申し上げたい。どうか私のこの手を取って欲しい。——私の伴侶として、生涯を共に歩んでもらえないだろうか。貴女を愛してしまったこの愚かな男を、どうか幸せにしてもらえないだろうか」
彼は一息に言い切ってアナスタシアに向き直り、そして跪いた。
「そっ、それを言うなら私だって!」
フィラムモーンが乱入したことで一旦立ち上がっていたカリトンも、それを見て慌てて跪き直す。
「貴女の幸せのために良かれと思って、一度は身を引こうとした。けれどももう自分の心に嘘はつけない。アナスタシア姫、親みたいな歳の男で申し訳ないが、どうかこの手を取って欲しい。——前世からずっと貴女が好きだった。貴女とこの先、死が分かつまで添い遂げたいんだ。貴女と一緒に幸せになりたいんだ。どうか、お願いだ」
そうしてふたり並んで跪いたフィラムモーンとカリトンは、ふたりともに右手を差し出し頭を垂れたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(……これで、オフィーリアお族姉さまに選択肢ができましたわ)
三者からやや離れた位置で見守りながら、ソニアは安堵の息をそっとつく。
アナスタシアがオフィーリアの生まれ変わりだという前提の上で、彼女にもうこれ以上選択肢のない人生を歩ませたくはない。それはまごうことなきソニアの本心である。ソニア自身は父アカーテスの意向もあって、幼い頃から何でも選ばせてもらいつつ育ってきた。習い事も勉強も、婚約の相手でさえ、父はまずソニアの意思を確認してから進めてくれたのだ。
だから彼女は、何ひとつ選ばせてもらえなかった人生がどれほどの苦痛であるのか、それ自体には実感が湧かない。ただ常識的に考えて、そんな人生など嫌だと、そう感じた。だからこそ、この最終的な局面でアナスタシアに選択肢を用意しなければと、咄嗟にそう考えたのだ。
それで最愛を失うかも知れないと気付いたのは、フィラムモーンに「済まない」と言われたあの瞬間であった。
駆けてゆく彼の背に思わず手を伸ばそうとして、手も声も出なかった。だってそれは自分でそうすべきだと思って組み上げた舞台なのだから。
(…………これで、良かったのよ)
もはや彼女は、自分をそう信じ込ませることしかできない。血縁上の又従姉妹とはいえ会ったこともないオフィーリアのため、そしてこの半年間交友を深めてきたアナスタシアのため、それが最良なのだと、そう思い込もうとした。
「フィラムモーン様」
だが、アナスタシアのひどく冷めたその一言から風向きが変わった。
「貴方はなぜ今、わたくしに跪いて愛を囁いてらっしゃるのですか」
「えっ……」
アナスタシアの言葉が耳に届いた瞬間、思わずソニアは彼女の顔を見た。彼女はこれ以上ないほど白けきった、不機嫌そうなジト目でフィラムモーンを見下ろしていた。
とてもではないが、恋い慕う相手に向けるべき視線ではなかった。
「そもそも貴方は今夜、すでにパートナーがおられるではありませんか」
(いけない!)
この流れは非常にまずい。
このままでは、フィラムモーンは恋に狂って自ら選んだ婚約者を蔑ろにした挙げ句、秋波を送ったアナスタシアからもフラレるという、単なる恋に溺れた愚者に成り下がってしまう。
それは、それだけは絶対にダメ!
ソニアは思わず駆けた。夜会の会場で令嬢が走るなどというあるまじきことを、彼女はしでかしたのだ。
だが今はそんな些事に構ってはいられない。だって間に合わなければフィラムモーンが、筆頭公爵家の世継ぎが、ソニアの最愛が、社会的に死ぬ。
「それについては、問題ありませんわ!」
そうして彼女もまた、叫ぶ。
「だってフィラムモーンさまを唆し——ではなく、その背中を押して差し上げたのはこのわたくしでしてよ!」
切羽詰まって余裕がなく、しかも慣れない短距離全力疾走のせいもあり、自分でもテンションがおかしいと思ってしまった。だってソニアはなぜか誇らしげに胸を張り、右手に持った閉じた扇を左頬に添えてドヤ顔を決めていた。今ここで仮に「オーッホホホホホ!」と高笑いを響かせたら、場の雰囲気にそぐうだろうか。
そうしておかしなテンションのソニアを見て、並み居る諸侯にまたしても動揺とざわめきの波紋が広がってゆく。
ああっ皆様そんな目で見ないで下さいまし!
「今、『唆した』と仰い」
「気のせいですわアナスタシア姫!」
とはいえ、もはやこのテンションで乗り切るしかない。ソニアは半ばヤケである。
終わりませんでしたm(_ _)m
本編からセリフを全部持ってこようとしたら、全然多くて終わんなくて……(爆)。
でも多分、次回で終わる……はず(気弱)。
あ、ちなみに本編のこの部分は今でもアルファポリスのほうで読めます。そろそろ記憶が怪しくなってきたなーって人はあちらで読み返してくるのもアリかなと。
ていうかおっかしーなー。
ソニアさんのキャラがどんどん崩壊してってる気が……(爆)。
この子、確か「叡智」って意味の名前のキャラよね……?(汗)