【オリジナル童話】天使のままごと
【前書き】
《ジャンル》オリジナル童話
《背景》昔々のイタリアの片田舎→大都市居城
《登場人物》
★アルフォンス(通称アル)★
主人公の少年。(設定13歳)
★サビオ★
父。漁船の沈没で亡くなる。
★モニカ★
母。心労で倒れてしまう。
★リノ★
弟。兄想い。可愛い。(設定7歳)
★ディディエ★
親切な漁師のお兄さん。学がある。(設定18歳)
★アントニオ★
スフォルツァ家の当主。
★ソフィア★
アントニオの妻。
★アンソニー★
アントニオの長男。(設定15歳)
★ルクレチア★
アントニオの末娘。(設定9歳)
★星の妖精★
雫。星の涙。アルの夢見に立つ。
【この物語に登場する人物・家名・場所等はあくまでも筆者の創作であり、現実の人物・団体とは一切、関係ありません。あらかじめご理解の上、お読み下さい。筆者ユリウス・ケイ】
イタリアの少年アルフォンスは、お父さん、お母さん、弟と家族四人で貧しいながらも慎ましく暮らしていました。
ところがある日のこと、漁に出掛けた父親の漁船が沈没して、その消息もわからなくなってしまいました。
さあ、たいへんです。
家族の大黒柱である父親がいなくなったのですから、残された家族はどうするのでしょう。
しばらくは戻ってくることを願って待ち続けていた三人も、日がたつごとにだんだんと諦めるようになりました。
二人の男の子を抱えた母親は、信じて待つ間は気を強く持って、けして弱音を吐くことはありませんでした。
けれどもその望みが消えると泣きじゃくり、日に日にやつれていきます。
『これではいけない。』
そう子供心に思ったアルフォンスは、弟と協力して家の手伝いを始めました。三度の食事はアルの仕事です。
アルは家にお金がないことを知っていたので、どうしてもいるもの以外はなるべく買うのを控えていました。
そのため、野山に木の実を拾いにいったり、野草を取ったりしました。
知り合いの漁師さんの荷卸しを手伝ったり、魚のうろこを取ってあげたりと、子供なりに出来ることにも精を出しました。
周りの人々も事情を知っていましたので、時には余り物を持って来てくれたり、取れ立ての魚をくれたりしたのです。
弟も食後に皿を洗ったり、掃除したりと手伝ってくれます。そしてアルは、夜は限ず母親の手を握ってあげて、励ましました。
そんな子供たちの頑張る姿が通じたのか、母親も再び気を強く持つようになり、日に日に元気を取り戻して行きます。
アルも弟のリノも元気になった母親に抱きしめられた時には嬉し涙を流すのでした。
「ごめんね。でもお前たちのおかげで元気になれた。これからは私が働きに出るから何も心配はいらない。お父さんが残してくれた貯金も少しあるから、ぜいたくはさせてやれないが、三人で仲良く暮らしましょう♪」
「はい。でも母さん、無理はしないでね!僕もリノもこれからも手伝うから♪」
「そうだよ!僕も兄ちゃんを手伝う♪」
三人は笑顔で手を取り合ってそう誓うのでした。やがて母親は魚の加工工場で働き始めました。
こうして、しばらくは順調な日々が続き、親子三人にもようやく笑顔が戻って来た頃の事です。突然、ここで再び災難が三人を襲います。
折からの不景気で工場が倒産したのです。しばらく働きづめだった母親は、身体を壊しかけていました。そして倒産のショックで再び倒れてしまいました。
それからというもの、彼ら親子の行く先は暗雲に覆われたように、全てうまくいかなくなりました。
周りの人達も不況のあおりを受けていますので、彼ら親子に親切にしてくれていたご近所の人々も、気にかけてくれる余裕などもはや無かったのです。
それでもしばらくは父親の残してくれていた貯金で食いつなぐことが出来たものの、それも日に日に減っていきます。
後は母親が稼いだわずかなお金とアルがお手伝いで稼いできたスズメの涙ほどの銅貨しか手元には残っていませんでした。
アルは病の母親と小さい弟を抱えて途方にくれてしまったのです。そしていつの間にか夜空のお星さまに向かって想わず手を合わせて願っていました。
「神様!もし本当にいらっしゃるなら、どうか僕たち家族を助けて下さい♪いつか必ずこのご恩はお返しします!」
けれどもお星さまが助けてくれるはずもありません。お星さまは夜空にそのまま光っているだけで、特に何も起こりませんでした。
『やっぱり、この世に神様なんていないんだ!良い子にしていれば救われると思っていたのに、世の中は何て不公平なんだろう…』
アルはくやしくてくやしくて仕方ありません。だからくやしまぎれに涙を流しながらお星さまをにらんでいました。
するとそのお星さまがひと滴の涙を流したように見えたのです。アルはびっくりして自分の目がおかしくなったんじゃないかと思い、ゴシゴシと手でこすりました。
でもお星さまは、あいかわらず夜空に煌々と輝いているだけです。
『やっぱり僕の見間違いかしら?お星さまが涙を流すわけ無いものな…バカバカしい!』
アルはガッカリしたのか肩を落とすと、またツーと目から涙をこぼします。でも病の母親や小さい弟に恥かしいところを見せるわけにもいきません。
だから口だけは真一文字にしっかり結んで、ポロポロと涙を流しながら、いつの間にか寝てしまったのです。
もうどのくらい時間がたったのかアルにも判かりませんでした。でも誰かに話し掛けられているような気がするのです。
その声はいつから語り掛けていたのでしょう。でもアルにむかって何かを訴えるように一生懸命に声を掛けて来るのでした。
その声はけして諦めずに彼の耳にむかって何度も何度も繰り返すように話し掛けるのです。始めは小さく、とぎれとぎれにしか聞こえなかったその言葉はやがてだんだんとはっきり聞こえるようになりました。
「アル、アル、聞こえるかい?起きるんだ!早く!早くしないと月のゴンドラに乗り遅れちゃう♪さぁ早く!」
アルはその声に誘われるように目を覚まします。するとそこには光輝くお星さまがいたのです。
「ま、まぶしい…」
アルが想わず叫ぶと、お星さまは「あ!ごめん♪ごめん♪」と謝りました。そして外側に向かっていた光の加減を体内に取り込み、まぶしさが取れると、そこには何とも可愛らしい星の精がいたのです。
「やぁ~ボクは星の精で名は"雫"っていうんだ!君が困っていたから助けに来たんだよ♪」
「え、本当に?」
「ウン!」
「じゃあ、僕の願いは通じたんだね♪やっぱり神様っていたんだねぇ…」
「残念だけどボクは神様ではないんだ!神様って、わりとみんな忙しいんだよ♪だから来ない。困った人の願いをかなえるのはボクたち星の精なのさ♪でも必ず来る訳じゃあないさ!ボクたちは日頃は夜空に輝く星の一部に過ぎないんだ。でもお星さまも哀れと感じれば涙を誘われる。その時に星の滴として落ちて来るのがボクたち星の精だよ♪星の精は一度落ちたら願いを叶える。きっと叶える!それが使命さ♪」
「じゃあ君は僕たち家族を助けてくれるのかい?」
「そうだな♪残念ながらボクらは誰でも助けられるってわけじゃないんだ!さっきそう言ったろう?今回もたまたま君の心の叫びに応えたに過ぎないんだよ♪こればかりはお星さまの願いが下されなければどうにもならない…」
「じゃあお母さんや弟はどうなるんだい?」
「それは君の心掛け次第じゃあないかな?君が家族を思う力が強ければきっと皆を幸せに出来るだろうね♪ボクが言える事はそれだけさ♪」
「判ったよ♪僕の望みはお母さんや弟が幸せになることなんだ!その為なら僕はどんな苦労でも出来るさ♪きっとね!」
「フフッ♪君は優しいんだな!判ったよ♪協力してあげる。でも君もボクの頼みを聞いてくれなきゃね♪ギブアンドテイクさ!ウインウインとも言うね♪」
「どうしたらいいんだい?」
「そうだな♪ボクはまだ星の滴から産まれたばかりの星の精だけど、君と遊ぶ事によって成長するんだ!やがては大人の星の精になるんだよ♪そしたらね、一人前と認められて天に迎えられる。やがてはあの夜空の星のひとつになれるんだ♪」
「うわぁ~それはすごいことだね♪」
「そうさ♪そしたら今度はボクから新たな星の滴が産まれることになるんだよ!そうなればきっと将来、君のように困っている子供たちが願いを叶えられるかも知れないんだ♪」
「それはすごいね♪でも何か話が大き過ぎて子供の僕にはついていけないや!でも君が僕を助けて僕が君と遊んであげれば、人の役にも立てるんだな♪何となくだけどそうなんだよね?」
「そうだよ♪その通りさ!」
「わかった!じゃあ遊ぼう♪何をする?」
「そうだな♪その前に言っておくね。これは決まりごとだからちゃんと聞いておくれよ♪ボクはその日の遊びが終わったら君にささやく。君はその通りにする。いいね♪絶対にその通りにするんだよ!それさえ守れば君は必ず幸せになれる。君の家族もそうなれるだろう♪」
「ウン♪わかったよ!守るよ♪」
「じゃあ交渉成立だ♪じゃあ今日は一緒に歌を歌おうか!」
「ウン♪やろう!」
こうしてアルと雫はその晩は一緒に歌を歌って過ごしたのでした。遊び疲れた雫は「今日はこれで終わりだ!」と言って満足そうに笑います。そしてアルにむかって呟きました。
「さて…じゃあ約束を果たすとしよう♪良く聞くんだよ♡明日の朝、一番に君は桟橋に行く。そこには漁船が一艘停泊しているはずだ。その荷おろしを手伝え!」
「何だ♪難しい事かと思っちゃったよ!そんな事ならいつでもやっているから朝飯前さ♪」
アルは自信満々に胸を張ります。雫はクスクスっと笑うとこう告げました。
「そりゃすごい♪でもここからが肝心だよ!」
「そうか!そうだよね♪それからどうする?」
「漁師の旦那は"感心な小僧だ♪駄賃をやろう!"そういうけど、受け取っては駄目だ♪」
「そうなのか?ふんふん!判った♪そうするよ!」
「君は"駄賃はいらない!その代わり、そのカレイを一枚分けてくれないか?"と言うんだ♪そしたら漁師は"何だ!欲の無い奴だな。お安い御用だ♪"と言って分けてくれる。それを貰って帰ると良い♪」
「ふんふん!」
「で、持って帰ったら、すぐに捌いて、胃袋を取り出すんだ!」
「言われなくてもそうするさ♪内蔵は取り出さないとな!後は魚を調理して母や弟と食べるんだろう?」
「ううん…違うな。まぁ胃袋さえ取り出したら魚はそうしてもいいけどね♪肝心なのは胃袋なんだ!」
「えっ?胃袋??」
「あぁ…胃袋の中にある物が鍵なのさ♪」
「そうなのかい?いったい何があるんだい?」
「黒い光る石があるはずだ♪それは真珠といって大変高価な物なんだ!」
「へぇ~それはすごいね♪じゃあそれを売ってお金に替えれば僕も家族も助かるって事じゃん♡ありがとう♪やっぱり君はすごいね♡」
「まぁ、そう想うのも無理はないけど、売ってお金に替えるのはダメだ!」
「えっ!何でだい?君は僕を助けてくれるんじゃ無いのかい?」
「そうだよ!でも考えてみて御覧よ♪そのお金がいつまで続くと思う?いっとき生き延びれるだけさ!ボクは幸せを約束したんだ♪そのやり方じゃ、また不幸に逆戻りするだけさ!」
「じゃあどうしたらいいの?」
「いいかい?ボクは君に楽に幸せを提供するつもりは無いんだ!人は努力して皆、幸せを探すものさ♪でもね君は今、不幸のドン底に居て、その努力の切っ掛けすら掴めない。だからこれはその切っ掛け作りなんだよ♪期待させたのなら悪かったな?」
「いや、ごめん!君は悪く無いよ。君はとても親切だ!だってまずは魚を得なきゃ始まらないんだからね♪切っ掛けまでの道筋を教えてくれるだけでもとてもありがたい事だ!じゃあ黒真珠はどうするの?」
「そうだね♪持ち主に返すってのはどうかな?たぶんそれを無くした人が困って探しているはずだ!君はその人に黒真珠を返してあげるのさ♪」
「そうか、そうだよね♪人助けか…でもそれで仮にその人がお礼をくれても結果は余り変わらない気がするけど?また謝礼を受け取らなければ良いのかい?」
「いや、同じじゃ無いさ♪君はそれで人とのつながりを得られる。人の役に立つ事でその人と仲良くなるのは、君ももう経験しているよね?」
「うん♪漁師の人たちや近所の人たちの親切さがとても嬉しかったんだ!」
「そうだろう?それでいいのさ♪親切心はお金では買えない大切なものだ!君は黒真珠を返したら、生活に困って働き口を探していると相談するんだ♪」
「でもそれって交換条件みたいじゃないかな?」
「何でだい?お金をせびる訳じゃ無し!働いてお金を得るのが恥ずかしい事かしら?家族を助けるためだろう?高価なものと引き換えに切っ掛けを作るだけさ!胸を張っていい。やってみるかい?」
「わかった!やろう♪」
「じゃあ健闘を祈るよ♪また夢の中で会おう♡」
こうして雫は月のゴンドラに乗って去って行きました。また夢の中で会おうと言った雫の言葉を不思議そうに感じながらアルは再び眠りにつき、やがて朝を迎えます。
アルが目を覚ますと、そこは自宅のベッドの中でした。窓からはちょうど朝の光が射して来ます。
「何だ!夢だったのか…」
アルはようやく夢をみていた事に気づきます。でも雫の言葉に嘘は無いと想えたのでした。
「こりゃあ、大変だ!急がなきゃ♪」
アルはベッドを飛び出すとさっそく服に着替えて、慌てて家を出ます。そして桟橋に向かいました。
桟橋に辿り着くと夢の中で出会った星の精・雫が告げた通り、ー艘の漁船が停泊しています。
そして良く見ると漁船の上では漁師さんがホトホト困っていました。アルは言われた通り荷下ろしの手伝いを買って出ます。
「やってみろ!駄賃ははずむぞ♪」
漁師さんはとても喜び、すぐにアルを受け入れてくれました。アルは日頃手慣れたものですから、サクサクと進めて行きます。
そしてわからない時だけちゃんと聞いて、迷惑をかけないように努めました。二人で協力したものですから、たちまち荷は桟橋に無事下ろすことが出来たのです。
すると漁師さんはアルの両手を取ってお礼を言いました。
「助かったよ、ありがとう。お前さんは感心な小僧だ♪駄賃をやろう!」
夢のお告げの通りです。アルはすかさず答えます。
「いや、駄賃はいらないです!その代わりそのカレイを一枚分けてくれませんか?それで十分です♪」
「何だ!欲の無い奴だな。そんなのお安い御用だ♪でも本当にそれでいいんだな?」
「はい!もちろんです。日頃、漁師の皆さんには助けていただいてますから♪」
「あぁ、そうか!荷下ろしに慣れているはずだ。君はあの…お父さんは気の毒だったね!」
「ありがとうございます!」
気づかってくれた漁師にアルはきちんとお礼を述べました。それだからかはわかりませんが、漁師はお礼にもう一枚と言ってくれましたが、アルは丁重に断わることにしました。
全ては夢のお告げの通りにしなければならないと想ったのです。その代わり、また手伝わせてもらえるように頼んでおきました。手伝う先が増えればお互いに助かるというものですから。
こうして一枚のカレイを無事に手に入れたアルは、漁師さんに別れを告げて、意気揚々と家路に着きました。
『ここまでは夢のお告げの通りだ!こんな事、本当にあるんだな…』
アルは感心しながらも黒真珠の出現に期待したのです。
「兄ちゃん、すごく大きなカレイだね!いったいどうしたんだい?」
帰って来るなり弟のリノが訊ねて来ます。
「あぁ!朝、荷下ろしの手伝いでもらったものだ。後でお昼ごはんで一緒に食べよう。僕はこれからこいつを捌くから、お前はお外で遊んで来ていいよ♪たまにはのんびりしておいで!」
「えっ!本当にいいのかい、兄ちゃん?」
「あぁ…その替わり、お昼ごはんまでには戻って来るんだよ!」
「うん!わかったよ。兄ちゃん行って来る♪」
リノは嬉しそうに出かけて行きました。
『さて!じゃあさっそくやるか♪』
アルはお告げの通り、カレイの内蔵を傷つけないように気をつけながら、包丁を入れて無事に胃袋を取り出します。そして手で探るように揉んでいると、丸い玉のような固まりを探り当てました。
『あ!たぶんこれだな?でも念のため用心しよう♪』
アルは細心の注意を払いながら胃袋を割いていきます。すると中からは黒い石がポロリと出て来ました。でも汚れが気になるところです。
なのでお水で濯いでから布で拭き取りました。その瞬間、黒い珠は光沢を放ち輝き始めたのです。
『おおっ!こりゃあ、すごい♪』
アルはびっくり仰天しました。子供ですからその価値がどれ程のものかはよくわかりません。でも高価なものであるくらいの事は、アルも子供心に理解したのです。
アルは無くさないようにと大事に布切れで包み込むと、ズボンのポケットにしまいました。
「じゃあ、カレイをムニエルにしますか♪」
包丁の刃先を立てて、尾から頭の方に刃を滑らせるように鱗やぬめりを取ってブツ切りにすると、塩コショウを降り寝かせます。
馴染んだところで両面がカリカリになるまでバター油で焼き上げると、皿に盛り最後に残り汁をムニエルの上にかけます。ふかしたじゃがいもとニンジンを添えてレモンはお好みで。
ちょうどリノも戻って来ました。お母さんに手を貸してやり、三人で食卓を囲むと久し振りに皆、笑顔です。美味しいものを食べる時は誰でも幸せになれますものね。
アルはお母さんが心無しか元気を取り戻したように感じて、嬉しかったのです。リノも無中になって食べています。
食事が一段落すると、アルは二人に夢の話しを聞かせました。そして今朝、それが現実になった事も正直に伝えたのです。
二人は半信半疑でした。優しいアルの事です。二人に希望を与えようと作り話をしているのかと想ったのでした。
「兄ちゃん、その光る黒い石を見せておくれよ♪」
弟のリノは言いました。お母さんは心配そうに観ています。自分がこんなだからアルに要らぬ気遣いをさせると考えたのかも知れませんね。
アルはズボンのポケットから白い布の切れ端を取り出して開いて見せます。そこには光沢のある一粒の黒い真珠が輝きを放っていました。
「うわぁ~これはすごいね、兄ちゃん♡僕にも触らせておくれよ♪」
リノはそう言うと親指と人差し指で摘まんで目を輝かせながら眺めていました。まるで世界中の幸せを一手に掴み取るような心地好さです。
たったひとときとはいえ、夢心地に為れた彼は嬉しそうにはしゃいでいます。お母さんはびっくりしてしまい目がキョトンとしていましたが、やがて思い出したようにこう言いました。
「これはボルジア家の黒真珠じゃないかしら?つい先日、紛失してしまったと新聞に書いてあったのよ…」
「本当かい?母さん!」
「えぇ…本当よ♪とても大切なものらしいの!五千リラの賞金が懸けられていると近所の奥さんが話していたのよ♪そんなものがカレイの胃袋から出て来るなんて…見つからないはずよね!」
これには皆、驚いてしまいました。五千リラと言えば大金です。年収が五百リラあれば富裕層と言われた時代ですからそんな大金を懸けられるボルジア家とはなんてすごいんでしょう。
普通なら彼らにはとてもお目にかかれる代物では無いと言えましょう。もしその懸賞金が受け取れたなら一生遊んで暮らせそうです。
恐らくは母親にも楽をさせてやれますし、弟はもちろん、自分も学校に通って勉強も出来るに違いありません。
アルは一瞬、気持ちが揺らぎました。だってそうでしょう?五千リラなんて死ぬまでお目に掛かれそうも無いのですから。
でも次の瞬間にはアルは強い気持ちを取り戻していました。夢の中で星の精が言った一言を思い出していたのです。
『親切心はお金では買えない大切なものだ!君は黒真珠を返したら、生活に困って働き口を探していると相談するんだ…』
アルは想います。
『そうだよな…世の中にはお金では代えられない尊いものがある。楽に幸せは掴めないんだと雫も言ってたっけ?それにこの真珠は雫が僕に努力する切っ掛けとしてくれたものだ!僕の物じゃ無い…』
アルはそう思い直します。そして二人にも正直にその気持ちを伝えました。弟のリノは泣きそうなくらい嫌がって駄々を捏ねます。でも母親はわかってくれました。
「アル…それで良いのよ♪あなたの尊い気持ちが私は嬉しいのです。あなたの好きになさい。先方様もきっとあなたの親切な心に応えて下さるでしょう♡」
「はい、母さん♪ではそうします!」
こうしてアルは黒真珠を持ってボルジア家を訪れる事になりました。
ところが当のボルジア家など既に断絶して在りませんでした。アルはボルジア家がどこにあるのかさえ知らなかったので、近所でも評判の頭の良いお兄さんに訊ねたのです。
「あぁ…ボルジア家はルネッサンス時代に教皇まで輩出した家柄だが、悪い噂も多かったんだよ!もう力を失ってしまっている。まだ子孫は残ってるかも知れないが、どこにいるのかさえわからないよ♪」
何という事でしょう。せっかく黒真珠の持ち主を見つけたのに、返せなければ星の精の言葉を果たせません。
アルは困ってしまいました。でもここで諦めたらおしまいです。彼は何とか解決の糸口を見出だせないか考えました。
でもそんなに簡単に思いつくものではありません。するとその時にお兄さんがこう言ったのです。
「アル、君はいったい何でそんなにボルジア家に興味があるんだい?歴史に興味があるの?」
お兄さんは不思議そうです。それもそのはず、今の今までそんな話になった事が無いからでした。
アルはどう答えようか迷いました。あまり黒真珠を持っている事は言いたくありません。高価なものは争いの基だからです。
アルは持ち主に返したいだけなのですから、その手掛かりを知りたいだけでした。彼は少し考えてからこう言いました。
「近所のおばさんたちが今、ボルジア家の黒真珠の噂で持ち切りでしょう?だから聞いてみたんだ!でもお兄さんの話が本当なら無くした家はボルジア家じゃ無いんですね!」
「あぁ…それでか!そうなんだよな♪ありゃあボルジア家が賭けた賞金じゃないぞ!今現在それを保有している貴族が募集したものだ。アル、君は知らないかもだが、あの黒真珠には不幸にまつわる話に枚挙に暇が無い程なんだよ♪」
お兄さんは黒真珠にまつわる話しをしてくれました。それによると、黒真珠を保有した者の周りでは様々な悲劇が起きていたのです。
ボルジア家の断絶は元より、さる王族は暗殺され、またある子爵は破産して自殺し、とある貴婦人は指を亡くしました。他にも表面化していないだけで数々の争いの火種となっていたのです。
「おいらに言わせれば、あんなもの欲しがる奴の気が知れないぜ!くわばらくわばら♪でも一度くらいなら見てみたい気もするけどな!でもあの黒い石には人を闇に落とす魔性の魅力があるみたいだからな♪関わりにならない方が幸せだぜ!おいらは貧乏でも学はある。それで十分さ♪」
お兄さんはそう言って笑い飛ばしました。アルはますます言い出し難くなってしまったのです。まるでそれは関わりになる者を不幸にするかも知れない暗示と受け取れたからでした。
でも既に関わり合ってしまったアルにとっては、その黒い真珠がどんなにいわくつきの代物だったとしても、返却しなければならない物である事に変わりなかったのです。
そこで最後に一言だけ訊ねました。
「それでお兄さん、その持ち主っていったい誰なんですか?」
お兄さんは苦笑いしながらこう言いました。
「何だ!おかしな奴だな♪あんまりこの話をすると、お前も祟られるぞ!まぁいっか♪ここまで話したんだからな!聞いて驚くな♪あの真珠の持ち主は、今をときめくシンデレラ城の当主、アントニオ・スフォルツァさ!」
お兄さんはそう言い切ると、「じゃあな♪」と言って仕事に戻って行きました。アルはびっくりしてしまいます。
アントニオ・スフォルツァはお城に住む貴族で、評判が良く、民想いの領主でした。だから子供のアルでさえ、知っていたのです。
『そんな人が何であんな黒真珠を探しているのだろう?』
アルは子供心にそう感じたのです。でも判ったからには返しに行かなくてはなりません。それに黒真珠が不幸を招く代物と判った以上は、早く手離す必要もありました。
アルの家族が巻き込まれたら大変です。今が一番不幸だと感じていたアルにとっては青天の霹靂ですが、今より不幸な悲劇を想う時、そこには死神の刃しかありません。
彼は飛んで帰り、二人に相談しました。
案の定、母親は危険を冒してまで真珠に関わる事に反対しました。それはそうですよね。子供の命より大事なものなど、この世の中にありませんから。
でも弟のリノは兄のアルを自分の英雄だと想っていたので、星の精との約束を果たす事に賛成したのです。
二人の子供の真心に接した母親は、仕方なくアルの旅立ちを認めました。そして心の中では子供の成長に満足したのです。
翌朝、早くに旅立つ事になったアルはその晩、早くから床に着きました。すると夜半になって、月のゴンドラから再び星の精・雫が降りて来ました。
雫はまたおねだりして来ます。遊んでくれと言って聞き訳がありません。
アルはそれでも気にせず相手をしてやりました。無邪気な雫は遊び疲れるとようやく本題に入ります。
「やぁ♪やっとここまで辿り着いたね!君はやっぱりボクの見込んだ通りだったな。何ひとつ不足は無かった♪さて、もう一息だ!頑張ろう♪明日の朝、君は旅立つ。知り合いのお兄さんが桟橋で待っているはずだ。そこで旅の目的を伝えたまえ。お兄さんは"やっぱりな♪"と言ってニヤリと笑う。そして君を無事に城まで連れて行ってくれるだろう。城に着いたら同行を頼んではいけない。ここからは自分の力で進むんだよ♪さすれば道は開けるだろう!」
雫はそこまで告げると、アルが口を開く前に飛び立ち、月のゴンドラに戻って行きました。
アルは透かされたような気分になりますが、どうしようもありません。
『ちぇっ!何でお兄さんが?でも今まで雫の言う事に間違いは無かった。言う通りにする約束だもんね♪やってみよう!』
そう心に誓った途端、アルは朝を迎えました。
旅立ちの朝です。
お母さんが心配して、朝早く起きてサンドウィッチを作って持たせてくれました。そして道中の路銀にと、なけなしのお金を持たせてくれます。アルは、「行ってきます♪」と言って出発しました。
桟橋まで続く道は、アルにとっては日々、歩き馴れた道です。ですから少なくともその間は心配無さそうです。けれどもけっして油断していた訳ではありませんでした。
すると、こんな日に限って人をたくさん乗せた馬車が偶然通り掛かります。よく見ると、馬車に乗っているのはたくさんの子供たちなのでした。
馬車の先頭で手綱を御す男は三角形のトンガリ帽子をかぶった装いの変わった男で、アルにお気楽に話し掛けてきます。
「きみも幸せの国に行かないか?この子供たちは皆、幸せを掴みに行くのだ。良かったら君も連れて行ってあげるよ♪」
そう言って、アルが無視しても馬車ごとしつこく着いて来るのです。アルはいい加減、腹が立って来たので叫びました。
「僕はお断りです!勝手に行けばいいでしょう?僕はこれから地獄に行くのです!お腹には、ほら♪この通り、火薬が仕掛けられています。いつ破裂しても構わないなら良いですが、必ず巻き沿いになりますよ!」
彼はお腹に巻かれた火薬の筒を見せながら、そう怒鳴ったので、三角形のトンガリ帽子は、「こりゃ、いかん!」と驚きの表情で、馬にムチを入れると、慌てるように去って行きました。
馬車の上の子供たちも一斉に泣き出したので、それはまるで"人さらいの集団"に思えた事でしょう。
『あれが巷で噂のコトリさんかな?リノのお陰で助かったかも知れない♪ありがとうリノ!そして母さんにも感謝だな♪』
この時代、この国でも人さらいは大流行していました。それが欧州各地でも伝承として残っているのです。
弟のリノからその話を聞いて心配した母親が、夜なべで編んでくれた玩具が実に小気味良く、効果を発揮してくれたのでした。
『お告げも役に立ったね♪』
アルはご機嫌です。
『お兄さんが待っている事だけでも信じられたかどうか、わからない。でもそれさえ信用出来れば、あんなまやかしの誘いに騙される事も無いからね♪助かった!』
アルの最後の一言は、今の本音を物語るものでした。彼は深く溜め息を漏らすと気持ちを切り換えて、一路桟橋を目指します。
すると、やはりお告げの通り、あのお兄さんが待っていたのです。アルはお告げ通りとはいえ、少々びっくりしていました。
なぜなら、彼は漠然とした話のほかはお兄さんには伝えていません。彼が黒真珠を持っている事も、それを返しに行く事も、今日旅立つ事すら話していませんでした。
だから、星の精のお告げを聞いていなければ、たとえあの優しくて頼もしくて賢いお兄さんと言えども、信じる事が出来なかったでしょう。
お兄さんの方もアルが歩いて来たのを眺めていたようです。その顔は唖然としていて、口はだらしなくアングリと開いています。
『クスッ♪何かわかっちゃったかも!』
相手が自分以上に驚いていると、気持ちが静まるの法則なのかは判りませんが、アルは落ち着く事が出来たのでした。
「お待たせしました♪お兄さん、僕を城まで連れて行ってくれるのでしょう?ありがとうございます!助かります♪」
アルの言葉を聞くと、お兄さんは、「やっぱりあの夢のお告げは正しかったんだな♪こりゃあ、たまげた!でも来て良かったよ♪」そう言って仕事用の馬の荷台に乗せてくれたのです。
道中、二人は互いに打ち明け合いました。まずはどちらかと言うと状況がわかっているアルがこれまでの事情を包み隠さずに語って聞かせたのです。
始めは「ふんふん!」と耳を傾けていたお兄さんも、アルが夢の中で出会った星の精の言葉が次々に現実になって行くに連れて驚きを隠せないようでした。
そして全てを知った時に、「それで話しがつながった…」と言いました。アルはそれを夢見で雫が立ったのだと想い込んでいましたが、お兄さんは驚くべき話を始めたのです。
「実はね、アル!おいらは昨晩、夢を見たんだ。そこには君のお父さん、サビオが立っていた。サビオは私にこう告げた。"息子はボルジア家の黒真珠を見つけてしまった。明日の朝、旅立ち、アントニオに返しに行くつもりなのだ。君は何とかそれを助けてやって欲しい。送り届けてくれれば良いのだ。昔の誼でぜひ頼む♪君にしか頼めないのだ!まだ恩義を感じているなら………"。最後は聞き取れなかった。でもおいらはそれで決心したんだ!」
お兄さんの話にアルは驚いてしまいました。もちろんお兄さんが父を知っていても不思議はありません。二人とも漁師仲間なのですから。でも恩義を持ち出すほどの仲だとは聞いていなかったので、驚いたのでした。
「お父さんとは仲が良かったんですね♪僕は日頃からお兄さんがとても親切にしてくれるから嬉しかったんです。お父さんがいなくなってもそれは変わらなかった。だから嬉しかったんだ!でもお父さんの恩義ってどういうわけなんですか?」
アルは不思議そうにそう訊ねました。まだお城までの道のりは長くかかりそうです。お兄さんが父の名前を持ち出した事で、俄然興味を惹かれたアルは、我慢出来なかったのかも知れません。
「どうしても知りたいかい?」
「ダメですか?」
「いや、ダメじゃないさ♪でもこれを知れば君はもう引き返せなくなるかも知れないぞ!」
アルはゴクリと唾を飲み込みます。でも自分のなぜか惹かれる興味を抑え込む事は出来ませんでした。彼は決心をしました。
「決まっています!教えて下さい。父さんの事をもっと知りたいのです♪」
深い息を吸い込むとお兄さんも覚悟を決めたようです。やがて優しい声で語り始めました。
「わかったよ♪君の覚悟はこの私にも嫌というほど伝わった。では話そう。まずこれを語らなければ始まるまい。どうせ城に行けば何かの弾みでわかる事だからな!考えようによったら今知った方がいいかも知れない…」
お兄さんはそう言うと本題に入ります。やがておもむろに話し始めました。
「まず、はっきりしておきたいのはサビオは私の師であり、父でもある。」
「何だってぇ~♪」
アルは想わず叫びました。それはそうです。このお兄さんが父の子だというのですから驚かない方が無理というものでした。でもそんなアルを尻目にお兄さんは落ち着いて話を続けます。
「アルフォンス!こんな事で驚いていたら心臓がいくら強くても持たないぞ♪聞くと決めたのは君なんだからな!これからまだまだ先がある。落ち着くんだ、いいね?」
お兄さんは容赦無くそう告げたのです。アルも覚悟を決めたのですから、コクりと頷きました。
「はい!わかりました。続けて下さい♪」
「良し♪では続けよう。私は子ではあっても、本当の息子では無い。サビオが愛したのは君のお母さんひとりだけだ♪安心して良い!私は正確に言えば養子なのだ♪サビオは君のお母さんと結婚する前に、そうだな…まだ本当の愛を知らない恋心だったのだろうが、ひとりの女性を大切に想っていた時期があったのだ!断っておくが、こんな事は男ならば誰だって感じるものだ。思春期の初恋だったのだそうだが、彼はそれを忘れる事が無かった。そしてその女性はさる男性と恋に落ちて結婚した。その二人の間に生まれたのがこの私なのだ。だけどな、運命とは皮肉なものだ。男は…否、私の本当の父は戦死したらしい。母も悲しみの余り、追うように亡くなったのだ。そこでそれを知ったサビオがこの私を養子としたのだ。つまり私は義理の息子だ!血はつながってはいない。けどな、私とサビオは同じ道でつながっているのだよ♪それが歴史だ!そう、私が歴史に明るいのは学んだからだ♪サビオは私に学をつけてくれた恩人でもある。この知識は彼を通して私の血となり肉となったのだ。ここまで言えば、勘の良いアルならわかるだろう?サビオは高名な歴史学者であり、漁師では無い。漁師として暮らしていたのはあくまでも時の権力や政治から逃れるためだったのだ。彼が愛したのは君のお母さんと子供たち、そして静かな漁村の静けさだった。私もそれに感銘を受けたから、同じ漁村の漁師として暮らして来た。歴史の研究は私の家で日夜行われていたのだ。彼は漁師として船に乗った事は無いし、実は私も乗り始めたのはサビオが亡くなってからの事だ!そう、君のお父さんはもう亡くなっている。その事件は公表されていないから知らなかったのも無理はない。私も何度も真実を伝えようとしたのだが、それを言えば理由も言わなくてはならなくなる。それはサビオ自身が望まなかったのだ。すまない。本当にすまないが、私に今言える事はこれで全てだ。義父との約束は守らなければならないのだ。後は君がアントニオさんにお会いして本当の事を確かめれば良い!それならサビオも嫌とは言わないだろう。そしてその理由もわかるはずだ…」
お兄さんはそう告げると押し黙ってしまったのです。アルは話を聞いているうちに自然とポロポロと涙が溢れてきて、止まらなくなっていました。
何という事でしょうか。父は本当の漁師では無かったのでした。そして高名な歴史学者としての地位を得ながら、ひっそりと漁村で偽りの漁師として静かに暮らす事を選んだのです。
ただひとつ偽りで無かったのは母を愛し、自分や弟の事を大切に思ってくれていた事だったのです。アルは安心と同時に、なぜ父親が死ななければならなかったのかを不審に感じていました。
だから諦め切れずに問い詰めたのです。
「父さんはどうして死ななければならなかったのですか?どうして身許を隠していたのです?僕は納得が出来ないんだ!」
「アル…気持ちは分かるが、今はこれ以上の事は私の口からは言えないんだ!君の父上、サビオは君たちを守るために秘密を口に出来なかったのだからね!さっきも伝えたようにそれは君自身でアントニオにぶつける事だ!私は今までサビオの代わりとして君たち親子を見守って来たのだ。そしてそれはこれからも変わる事は無い。君が真実を突き止めた時にまた改めて話そう。不明な点は補足すると約束しよう♪私の名前はディディエだ♪覚えておくと良い!」
ディディエの決意は固いようでした。アルもこれ以上は聞く事が出来なかったのです。彼は自分でアントニオにその気持ちをぶつける事にしたのでした。
彼らは山を越え、谷を下り、小川のせせらぎを渡ってシンデレラ城を目指します。途中日暮れを迎え、彼らは小川に近い小高い丘にて一夜を明かしました。
そして翌朝、一番に再び出発して、遂に馬車はシンデレラ城に到着しました。
「アル、ここがアントニオ・スフォルツァ卿が住んでいるお城だ。心配なら途中まででも一緒に行こうか?」
ディディエは心配そうに気づかってくれます。でもアルは強い気持ちで断わりました。
「ディディエお兄さん、僕なら大丈夫です♪お告げでは、ここから道を切り拓くのは"自分の力"と言われました。せっかくここまでお告げ通りに成し遂げて来たんですもの!最後まで信じて進みます♪」
「そうだな!わかった♪君の人生だ。好きにするさ♪でもけっして後悔だけはするなよ!」
「はい!わかってます。送ってくれて助かりました。ありがとうございます♪」
「なぁに、気にする事は無いさ!前から一度ここには来ておきたかったんだ。新しい本を探すためにね♪なかなか重い腰が上がらなくてな!だから気にする事は無い。物のついでと思ってくれても良いよ♪おいらはひと足早く帰るから、家族の事は心配するな!面倒はみておくから。君は目的を無事に果たしたら戻っておいで♪」
「はい!わかりました、ディディエお兄さん♪母さんやリノの事をよろしくお願いします!」
「任しとけ♪君が帰って来たらもう一つの約束も必ず果たそう!」
「えっ?約束、約束って何です!」
「うん?あぁ…それは戻ってからのお愉しみだ!今は忘れてくれて良い♪まずは足許からだ!」
「はい!」
アルは元気良く返事を返しました。ディディエは既に田舎の漁師に戻ったように、"私"とは言わずに"おいら"と名乗っています。
二人はこうしてシンデレラ城を臨む中央広場で別れました。互いに相手が見えなくなるまで手を振り合ったのです。
『よし♪いよいよここからは僕ひとりだ!』
アルは意気込む気持ちのまま、歩き始めます。城の城門はもう目と鼻の先でした。逸る心はどんどん身体にも伝わります。心蔵の鼓動はバクバクと音を立てて、次第に広がっていきました。
城門の前には申冑に身を包んだ兵隊さんたちが二人で立ち、長槍を交差させるように持ちながら仁王立ちしています。お城を守っているのでしょう。
アルは恐る恐るそのうちのひとりに声を掛けました。
「すみません!募集広告を見て、遠く遥々やって来ました。アントニオ様にお会い出来ますか?」
すると衛兵はチラリとアルの顔を眺めると、首を横に振りながら、「悪いな、坊主!そこの詰所に声を掛けてくれ♪」そう教えてくれました。
「ありがとうございます♪」
アルは頭を下げると指示通りに詰所に行きます。そこにも衛兵の人が座っていて、案内をしているようです。何人か並んでいましたが、アルの番になると声を掛けてくれました。
「君!次は君だ。用件はどんな事かな?」
衛兵さんはアルが子供だとわかると優しく声を掛けてくれました。
「はい!僕は募集広告を見て、遠く遥々やって来ました…」
そこまで言うと、衛兵さんはすぐに次の問い掛けをして来ます。
「情報かね?情報なら執事殿が面会する。まさかとは思うが、見つけたのならアントニオ様にお通しする。どちらかね?」
情報だけというのは比較的多いらしい。そしてその中には的外れのものもたくさんあったのです。だから衛兵さんも、またどうせ偽情報だろうと思ったのでしょう。少々溜め息混じりです。
「いえ、そのまさかです!見つけました♪」
アルはそう高らかに宣言しました。衛兵さんの驚きようったらありません。途端に"こんな坊主が?"という顔をしましたが、すぐに「見せてみたまえ!」と命じられたのです。
アルはポケットから白い布に包まれた黒い石を取り出して見せました。すると次の瞬間、衛兵さんは「こりゃあ、大変だ!」と言って、すぐに執事を呼びにやりました。
執事もやがて泡を食ったようにやって来て、アルの取り出した黒真珠を見つめました。
そして「確かにこれはあの黒真珠…わかった!君はそれを持って、この私に着いて来なさい♪主人のアントニオ様がお会いになるだろう!」そう言って丁重に案内してくれたのでした。
結果、客間に案内されたアルは、遂にあのアントニオ・スフォルツァ卿にお会いする事が叶うのでした。
アントニオ・スフォルツァは体格の立派な物腰の落ち着いた紳士で、温和な瞳でアルを見つめていました。
ただ少しばかり興奮しているのか、その頼は火照りで赤く染まり、白いシャツからは汗が迸ってビショ濡れに見えます。
それでも彼は、普段通りの優しい笑顔でアルに語り掛けてくれました。
「君があの黒真珠を見つけてくれた少年とか?礼を失するようで申し訳ないが、まずはそれを拝みたい。見せてもらえるかな?」
アントニオの瞳からは強い覚悟のような意志が垣間見えました。これだけは譲れないという決意の表れです。アルもまだ子供とはいえ、覚悟を決めて来たのですから、その気持ちは痛いほどにわかりました。
彼はこれまで数々の苦い経験を積み、貧困に堪え、家族を守って来たのですから、何不自由無く育って来た子供とは違い、人の心の痛みが理解出来たのかも知れません。
「はい!どうぞ、これです。これは貴方の物ですから御自由にしていただいて構いません♪」
アルはそう言うとスボンのポケットから出した白い布切れをキチンと広げてアントニオに差し出しました。その布の中央には黒い光沢を帯び怪しげに輝く黒い真珠がありました。
アントニオはその光を目の当たりにした瞬間、堪え切れずにフィっと顔を背けます。でもすぐにまた視線を戻すと、まじまじと見つめていました。
やがて彼は「やっぱり本物だ!巡り巡ってまた私の許に戻って来るとはな…果たせなかったのか!」と残念そうに呟きました。
そして、「君には悪い事をした。ありがとう!」そう言って布ごと真珠を受け取ると、わざわざ再び白い布を閉じて、机の端の方へスライドさせるように移動させると置いたのです。
アルは『あれ?』と妙な違和感を感じました。だってそうでしょう?あれだけの大金を懸賞金として賭けておきながら、彼・アントニオはちっとも嬉しそうではありません。普通ならそれだけの大金を叩けば、大喜びで迎えるはずですものね。
アルはすぐにピンと来ます。ディディエお兄さんから聞いた話しを想い出したのです。『人を不幸にする代物』もしかしたらそれが原因なのかも知れないと閃いたのでした。
アントニオは真珠が布切れ一枚とはいえ、視界から一時的に消えた事で、少しばかり気持ちを取り戻したように見えました。そして重い口を再び開きました。
「御苦労様でした。大金を叩いた甲斐があったというものです。ようやくコイツを回収出来ました。君には感謝しています。約束通り賞金の五干リラは君のものだ。すぐに銀行に頼んで、君の預託金となるように口座を開設してあげよう。五千リラと言えば大金だから、持ち歩くのは避けた方が良いからね♪それで良いかな?」
アントニオ・スフォルツァはそう言うと、理解を求めます。本来であればこれで終わりなのだろうとアルは想いました。
けれどもそれではお告げの通りではありませんし、仮にそんなお告げを知らなかったとしても、アルには出来ない相談でした。
「アントニオ様、僕は貴方の求めに応じる形であの真珠をこちらに返しに伺いました。でもそれは賞金を受け取るためではありません。あくまでも自分と家族のためにやった事です。もちろん親切心が無かった訳じゃない。でも返却する事が目的であり、お金のためでは無かったのです。ですから五千リラはいりません。僕ら家族は貧しいとはいえ、有らぬ施しを受けるのは御免被ります♪それにこれは僕の気のせいかも知れませんが、懸賞金まで賭けて念願の宝物が戻って来たというのに、肝心の貴方は黒真珠が本物だと判ってからもちっともうれしそうじゃあ無い。むしろ忌み嫌い、避けているようにさえ感じます。なぜなのですか?もし良ければ教えて下さい!」
アルはそう言い切ると、アントニオを見つめました。アントニオはアルの言葉にしっかりと耳を傾けていました。その間に彼の表情はみるみるうちに青ざめて行きます。
「…気のせいじゃないさ!」
アントニオは呟くようにそう口にします。
「…あの黒真珠は厄介物だ!関わった人に不幸を招く。だから一度は手放した。だがその為に長年の友人を失ったのだ!だから放っておいてはいけないと思ったのだ。これ以上、不幸な人を出してはいけないとね!私が懸賞金を賭けたのは欲のためでは無い。他の人が不幸に陥るくらいなら、その不幸を一身に受けようと覚悟を決めたからだ!」
彼はそう言い切りました。アルは『やっぱり…』とディディエお兄さんの話が間違いでは無かった事に驚きと不安を改めて感じたのです。そこで思い切ってこう言いました。
「良ければ訳を話してくれませんか?僕も関わった以上、放っておけません。少しは気持ちが楽になると想うのですが?」
「ほぅ…君はとても優しい子だね♪それに勇気もある。わかった!話してあげよう♪多少、心の慰めになるかも知れない…」
アントニオはそう告げると語り出しました。
「あれは五年前の事だ。ひょんな事から競売でこの黒真珠を手にいれたのだ。私は昔から芸術品には目が無くてな…それが唯一の悪癖なのだ。止せば良いのに高値で競り落とした。何かこの真珠が私に語り掛けて来た気がしたのだ。もちろんその時に友が居たなら止めてくれたに違いない。でもその時は帰郷していて居なかったのだ…」
アントニオはそこで深いため息をつきます。自らの過ちを今さらながらに悔やんでいるように見えました。
「その時はまだ黒真珠のいわくは知らなかったのですね?」
「もちろんだ!そんないわくを知っていたら手に入れていなかった。私は仕事一筋でここまで来た。だから世辞に疎い事は無い。だが社交欄や遊興、噂話には疎かったのだな。だから知らなかった…」
「どうか先を話して下さい!」
その時、アルはある不安にかられていましたので、先を促します。アントニオはコクりと頷くと再び話し始めました。
「それからしばらくするとその兆候が顕れ始めた。ひとり息子のアンソニーが患い、医者に見せたが日に日に衰弱していくのだ。原因も判らず悩んでいると、長年の友が黒真珠のいわれを教えてくれた。私はすぐそれだとわかった。自分の欲が原因だとはかなりのショックだったが、息子の命には代えられない。私は黒真珠を手放す事に決めたのだ…」
アントニオはアルの方に視線を移し、その瞳を見つめました。アルはその瞳が何かを訴えているように想えたのです。
「…ところが決心はしたものの、その処分の方法が問題だった。下手に手放せば、我が子は助かるかも知れないが、手にした者が不孝に遇うかも知れない。そこで…」
アントニオがそこまで話した時に、アルはすかさず口を挟みました。
「貴方は友人に頼んだのでしょう。友人はおそらく長年の友情のためにそれを引き受けた。そして友人はもはやこの世に居ない。その友人の名はもしや"サビオ"なのでは?」
「なぜそれを?どうして判った?」
アントニオの顔はその瞬間、歪んだように見えたのです。
「サビオは僕の父さんだからです。五年前に亡くなりました…」
アルもそう告白しました。
「き、君はサビオの息子さんなのか…」
アントニオは今度こそ何かに取り憑かれたように目を白黒させています。そして長年積もり積もった後悔の念が一気に飛び出しました。
「あっ!」
今度はアルが驚く番でした。目の前に座っていたアントニオの髪がみるみる白くなっていくではありませんか。
アルの驚きの源が自分だと気がついたアントニオは、頬から額へ手探りを始め、最後に髪に行き着くと、髪の先を目に留めて、慌てて鏡に姿を写しました。そして想わず嗚咽を漏らします。
「な、何てことだ…」
何と彼の髪はあっという間に白く変わっていたのです。彼は頭を抱えてしまいました。
「アントニオ様…」
アルは何て声を掛けて良いのか判らず、弱々しい声でその名を呼びました。呆けた顔をしていたアントニオは、その声で我に返るとアルに深々と頭を下げます。
「いや、とんでもない。君や君の家族の深い悲しみに比べれば、こんな事は屁でもない。むしろ、当然の事だ。しかし驚いたな、神の御業なのだろう。あのサビオの息子をこの私に遣わすとは…私の懺悔の気持ちが神に通じたのだろうよ。だから神は私の欲から出た行いを諭し、罰をお与えになったのだ。君たち家族から父上を奪ってすまない。今さら許してもらえるとは想っていないが、この通り謝る。私の命が尽きるまで、この償いはさせてもらう。本当に申し訳なかった!」
アントニオは自責の念から長年に渡り心労を抱えていました。そしてその償いが出来るのならば、自分の今後の一生を賭けても良いと真険に念じていたのです。だから彼の心は、まるで支えが取れたように素直に表現する事が出来たのでしょう。
「許します…」
アルはそう呟くと真険な眼差しをアントニオに向けました。
「いえ…本当の事を言うと、まだ頭が混乱しています。でも僕は今、目の前で人の仕業とは想えない光景を目撃しました。黒く艶のあった貴方の髪はみるみる真っ白になったんですもの!それだけで貴方が長年、後悔して来たんだという事が感じられて、想わず"許す"と申しました。僕は話しを聞いているうちに、父さんが立派な人だったんだとつくづく良く判ったのです。父さんは貴方との長年に渡る友情と僕ら家族の間に立たされて、身を引き裂かれる想いだった事でしょう。おそらく貴方を選んだというよりは、人として困った貴方を放って置けなかったのだと想います。だから手を差し伸べた。そんな気がしました。それに引き受けた時点では、さすがに父さんもまさか自分が命を落とすとは考えていなかったに違いありません。だから信用出来る人に、後の事を頼んだに違いないのです!」
アルは堰を切ったように次々と言葉の流れを紡ぎ出します。言わずにはいられないと、まるで強迫観念に襲れているようにさえ、それは見えたのでした。もしかするとじっと頭で考えてしまえば、相手を非難する言葉しか出て来ない事を恐れたのかも知れません。
「ありがとう。君には辛い想いをさせたのに、却って気を遣わせてすまない。それで君の家族は大丈夫なのだね?皆、元気なのだね?」
アントニオは今考えられる最大限の気掛かりを言の葉に乗せます。彼も想い余っての事とはいえ、サビオとその家族を巻き込んでしまった事に深い闇を抱えていました。これ以上の不幸は何としてでも避けなければと心配していたのです。
ところがアルは既に腹を括っていました。だからこの負の連鎖を食い止め、光明を見出す事だけ考えていました。
それに今さら母親が倒れてしまっている事など言っても仕方ありませんでした。それに彼の中で"母さんは僕が治してみせる"という強い気持ちがありましたので、自ずと口からは強い意志と慰めの言葉が飛び出します。
「いえ、家族は大丈夫です♪むしろ今、真珠はここにあるのです!貴方や貴方のご家族の事が心配です!それはそうと、やはり息子さんは亡くなられたのですか?」
「いや、真珠を手離した途端に見違えるように元気になった。医者も驚く始末だ。これもサビオの、君のお父さんのお陰だと想っている!」
アントニオはすまなそうに、そう告げました。
「なら、良かった!でもアントニオ様、これからどうなされるのですか?いくら他人を巻き込まないようにするとはいえ、貴方の周りにだって家族の他に使用人の方々もおられます。この城を厳重に見張ってくれている人たちだって巻き込まれないとは言えません。だからもしそういう事ならば、この黒真珠の保管はお奨め出来ないのです。何とか手立てを考えなければならないと想いますが?」
「それはそうだが、私には良い案が浮かばないのだ。だからこそ災難を承知で回収する事にしたのだよ!」
アルは『確かにその通りだ!』と想い、ひとつの提案をする事にしました。
「アントニオ様♪僕に少し考える時間をくれませんか?取り敢えずこの真珠は金庫で厳重に保管下さい。なぁに、たった一晩だけですから、誰かに急変があったりはしないでしょう♪」
アルはなるべく弱気にさせないように、元気良くそう告げてみせました。
「判った…君はわざわざ、こいつを届けてくれたのだ。そしてサビオの子だから恩義もある。君に委ねてみよう♪」
こうしてアルは一晩、城に宿泊する運びとなったのです。
晩餐は盛大に行われました。机の上には艶のある、白いテーブルクロスが設えられて、その上には今まで見た事もないような食べ物の数々が乗せられています。
机にはアントニオを始め、奥方の他、息子であるアンソニーと小さな娘のルクレチアがちょこんと座っています。見たところ、アンソニーにもまだ変化は無く、皆も元気でした。
『良かった!まだ悪い兆候は無いらしい。今夜で何とかしたいものだな…』
アルはホッとしました。 そして、皆と食事を共にしながら、母親や弟の事を頭に想い描くのでした。
『母さんや弟は今頃どうしているだろう。二人にも食べさせてあげたかったな…後、ディディエお兄さんにもね♪』
食事が終わり、デザートになると、執事さんが大きなプディングを持って来てくれて、小分けにして皿に盛ってくれます。そしてその時になって初めて、アントニオは家族を紹介してくれました。
「これが私の家族だ。妻のソフィア、息子のアンソニー、娘のルクレチアだ。こちらは私の大親友サビオ・ゴッチオラーレの息子さん、えっと、そう言えば君の名前をまだ聞いていなかったね?」
アントニオは少し赤面気味で訊ねます。
「まぁ、あなたったら、恩人の方の名前を聞かないなんて失礼ですわ!」
「あぁ…そうだね!私とした事が、少々気が動転していたらしい。えっと…」
アントニオは再びアルに視線を移しました。
「はい!僕はサビオの息子でアルフォンスと言います。母はモニカ、弟はリノと言います。今夜はお招きありがとうございます。無理を言ってすみません…」
そう堂々と挨拶しました。
「そう、アルフォンスって言うのね♪じゃあアルって呼ばせてもらうわね♡サビオ様のお身内ならいつでも大歓迎ですわ!今度はお二人も連れていらっしゃいな♪」
ソフィア様はとても感じの良い方で、優しげな瞳でアルを見つめてくれていました。アントニオ様と言い、この方々が民衆に慕われているのも納得が出来るというものです。
そしてアンソニーもルクレチアも遊び相手が出来たくらいに、嬉しそうにアルの事を眺めていました。子供たちは満面の笑顔でパクパクとプディングを口に運んでいきます。
三人共、口の端にプディングの欠片をつけていましたから、互いに笑い合ってペロリと舌で舐めます。そんな訳であっという間にデザートが無くなる頃には、すっかり仲良くなっていました。
やがて晩餐はお開きになり、アンソニーとルクレチアは子供部屋に引き上げていきます。アルフォンスはアントニオと二人っ切りになると、小声で訊ねました。
「やはり、ご家族には伝えていないのですね?」
「あぁ…そうなのだ。こんな恐しい事は私の胸の内にだけ収めておきたい。家族を不安にさせる事は出来ないからね!アルフォンス、君なら判るだろう?」
「えぇ…そうですね!その方が良いと想います。家族を巻き込みたくないという貴方の気持ちは、今なら痛いほどよくわかります!僕の父さんもおそらくそういう気持ちだったのだと想いますから…」
「改めて君にはすまないと想っている…」
アントニオは再び頭を下げます。
「あっ!いえ、責めている訳では無いのです!父もそう想って僕らに黙っていたのだと想ったのです。父の深い愛情を改めて感じて僕は嬉しかったのですよ♪」
アルはそう答えました。アントニオは感心しているようでした。
「時に、アルフォンス君!君には何か想うところがあるようだが、それは危険じゃないのだろうね?」
「えぇ!大丈夫ですよ♪僕の勘ですが、今夜あたりヒントが得られそうな気がするのです。ひとまずは一晩明かして、また明日の朝に相談しましょう♪」
「判った!君に委ねた事だ。そうしよう。では、また明日な♪」
「はい♡」
二人の話し合いが終わる頃に、ちょうど子供二人を寝かしつけたソフィアが戻って来て、アルを客間に案内してくれます。
まるで王様になった気分になるような立派なお部屋に、アルはすっかりご満悦です。お礼を述べると、ソフィア様は優しくアルに微笑みました。
「疲れたでしょう?ゆっくり休んで下さいね♪明日の朝は朝食の時間に合わせて起こしに来ますね♡」
ソフィア様は気遣うようにそう言ってから引き上げて行きました。
アルは今日一日の冒険譚に興奮して、なかなか寝つけませんでした。枕が代った事もその理由のひとつかも知れません。
彼はしばらくの間、物思いに耽っていましたが、いつの間にかスゥスゥと寝息をたてて寝てしまったのです。
夜半に掛かる頃でしょうか。ピカッと一筋の光が差すのを合図に、月のゴンドラから星の精が舞い降ります。
「やぁ~アル♪♪君は凄いね!上出来なんてものじゃない。よく頑張ったね♪ここまでは順調だな!でもここからが試練のひと時となる。今日は疲れてるだろうけど、また付き合ってもらうよ♪」
雫はまたまた上手に甘えて来ます。でも心無しか回を追う事に甘え上手になって来て、今日は気遣う気持ちも見せたのです。
こうして二人は、また夢中になって遊びます。そして前と同様に遊びが一段落すると、お約束の"囁きタイム"がやって来ました。
「アル!君は立派に目的を果たした。約束通り真珠は持ち主に返せたね。でも君はどうやら満足して無いようだ。新たな目的を見つけたんだね。おそらくそれは君の成長だと想う。ボクが君と会うたびに成長するように、君も自分の成長に無意識に気づいているのだ。君はどうやら人の心の痛みに強く反応するようだ。そして放って置けないんだな!君は将来、良い父親になれるよ♪そして人に慕われるひとかどの人物になれるよ!おっと♪これはあくまで未来の事だ。本当は教えちゃいけないんだ。話しを戻そう。黒真珠の処分に困っているんだったね。それはね、おっと!耳を貸して御覧♪これはボクの一人言だからね、ゴニョゴニョゴニョ…」
雫はそう言うと、最後に囁き声で一言呟くと、瞬く間に月のゴンドラに乗って帰って行きました。
良く聞き取れませんでしたが、アルには雫が"別れの言葉"を吐いたように聞こえたのです。でも翌朝、目覚めた時にはその事は綺麗さっぱり忘れていたのでした。
明くる朝、ソフィア様が約束通り起こしに来てくれました。その時にアルはソフィア様から声を掛けられます。心配そうな表情を見て、すぐにアルは察しました。
アルの母・モニカも時折、そんな顔をしていた事が想い出されたのです。
「アントニオは何か不安を抱えているように見えるのだけど…アル、あなた主人から何か聞いてなくて?」
ソフィアも子供のアルにこんな事を訊ねるなんて、どうかしていると判っています。それでも聞かずには言られなかったのでしょう。
彼女の不安も、アントニオから伝染したように重くのし掛かっているようでした。
「いえ、特に何も!ソフィア様♪心配入りません。貴方の心配事はすぐに消え去り、アントニオ様も笑顔を取り戻される事でしょう。それよりお腹が空いたな♪朝ご飯にしませんか?」
アルがそう言うと、彼のお腹は現金にもグゥ~キュルルと音を鳴らします。
「フフフッ、アル君ありがとう♪あなたは優しい子ね!じゃあ朝食にしましょう♪」
アルは笑顔を取り戻したソフィア様と一緒に、食卓に向かいました。
朝食が済むと、アルはアントニオと一緒に書斎に閉じ籠ります。既にアントニオは、約束通り金庫から白い布に巻かれた黒真珠を取り出し、机に乗せて待っていました。
「それで、アルフォンス君!何か良い案が浮かんだかね?」
アントニオは少し焦りを募らせるように訊ねてきます。
「えぇ!もちろん♪大船に乗ったつもりで任せて下さい。但し決して慌てて取り乱さないように!何が起きるか判りませんが、その場を決して動かないで下さい。よろしいですね?」
「あぁ…無論だ。驚いても取り乱さないと約束しよう♪」
「では最後に二つ聞きます。あの真珠は放棄しますね?そして僕の頼んだ二つの物は持って来ましたね?」
「あぁ…放棄するよ♪家族の幸せには替えられない。そして君から頼まれた二つのものは、君の後ろの棚に揃えてある。」
アルはチラリと後ろを向いて確認すると、その二つを机の上に持って来て傍に置きます。それはオリーブ油の瓶と火の灯した手提げランプでした。
そしてアントニオから白い布にくるんだ黒真珠を受け取り、念のため布を解いて中身を確認すると、再び布をくるみました。
こうして机を挟むように対峙した二人は、いよいよだと視線を合わせました。
「では始めます。事は一瞬で決しますが、起こる事全てを予測している訳ではありませんから、何があっても歯を食いしばって堪えて下さい!」
「あぁ、覚悟している!」
「ではやります♪」
そう告げると、アルは机の上に置かれたオリーブ油を白い布にドボドボと浸しました。それを部屋の隅に置かれたレンガ造りの暖炉に放り込むと、追い掛けで瓶の中の油を全てぶちまけます。
そしてその直後にランプごと叩き割るように暖炉に放り込み、火をつけました。すると何と言う事でしょう。
火は即座に燃え広がり、大火となって輝きを増し、やがてその火の中から黒い煙がモクモクと立ち昇ったかと想うと、地獄の底から聞こえて来るような断末魔の叫び声が聞こえてきました。
そしてその黒い煙は一瞬、何かの姿を形造ったかと想うと、叫び声の終焉と共に煙突の外へと消えて無くなりました。
その一瞬の出来事にアントニオはもちろんの事、アルフォンスも今まで見せた事も無いような異様な表情をしていたといいます。
と言いますのも二人は気がついていませんでしたが、戸が少し開いており、子供がひとりその光景を目の当たりにしていたのです。それはアンソニーでした。
アンソニーがびっくりして去ってからも、彼らはしばらく呆然として動けずにいました。やがて正気を取り戻した二人は、互いに視線を合わせると、ほぼ同時に「魔女だ!」と叫んだのです。
黒真珠に住みついた魔女が、持ち主の欲望に共鳴して悪さを働いていたのです。こうして不孝の元凶だった黒真珠は消えてなくなり、魔女もその力を失って消えてしまったのでした。
アントニオ・スフォルツァはもちろんの事、その家族にも害が及ぶ事は無く、アルフォンスの予言通りにアントニオは笑顔を取り戻す事が出来たのです。彼は長い苦しみからようやく解放されると、アルにこう言いました。
「君には大変に世話になった。今度はこの私が君に報いる番だ。何でも言ってくれ!願いを叶えよう♪」
「では…もし仮にお願い出来るのであれば、僕に職を世話して下さいませんか?僕には今までそういう機会すら巡って来ませんでした。だから世話して下さるのなら一生懸命働きます。けっして後悔はさせませんから、どうかお願いします!」
アルはそう願い出ました。
「何と!君は何て欲が無いんだ♪でもそういう訳にはいかないんだよ。私はサビオの分まで君に恩を返したいと思っている。だからこうさせて欲しい。実はね、私は君の父上、サビオ・ゴッチオラーレの財産を管理している。だから君にはゆくゆくはゴッチオラーレ家の家督を継いでもらう必要があるのだが、如何せん君はまだ若い。そこであの五干リラを手始めとして君の預託金とし、口座を開設してあげる。君はモニカとリノをそれで呼び寄せて、しばらくこの城で子供らしく過ごすと良い。そしてもちろん、勉学にも勤しんで、ゆくゆくは父上の家を継ぐ事が出来れば、たくさんの人々を幸せに出来るよ♪私の息子の良き友として、一緒に居てやって欲しいのだ。もし君が他に呼び寄せたい人がいるのなら遠慮なく呼び寄せると良い。将来の君の力になる事だ。君が一人立ち出来るまでは、この私が面倒を見よう。どうだね?受けてくれるかい!」
アントニオ・スフォルツァはあくまで道理に基づいた提案をしています。
難しい事はアルフォンスにもまだ判りませんでしたが、アントニオといい、ソフィアといい、とても優しく、しっかりとした立派な人達に想えました。
そしてアンソニーやルクレチアも、アルはとても好きになっていましたので、この提案を引き受けようと想ったのです。
『なぁに、こちらからやれる事にどんどん取り組んで行けば良いだけさ♪』
彼は決して楽をするつもりはありませんでしたが、病弱になった母親やまだ幼い弟の事を想えば、これ以上見栄を張る訳にもいきませんでした。
「はい!判りました、アントニオ様♪貴方の申し出を受ける事にします!」
アルフォンスはそう願い出るとさっそく母・モニカと弟・リノを呼び寄せ、親子三人で仲良く暮らす事が出来ました。
またディディエお兄さんも呼び寄せて、義兄としてアルの心強い存在になったのです。ディディエお兄さんはまた、アルやリノは勿論の事、アンソニーやルクレチアの家庭教師としても頼もしい存在になりました。
その日の晩の事です。アルが眠りにつくと、月のゴンドラから雫がやって来ました。雫はやって来るなりアルを褒めます。
「良くやったね♪アル、君は遂に最後まで勇気を持ってやり抜いた。そして目的を完全に果たしたんだ。お陰でボクも認られ、大人の星の精として、この度、天空の星となる事が決まったんだ。だからもう二度と会えなくなる。少し寂しいが、君も立派に成長した。この冒険と共に強くなったんだ。だから今後はもう助言は出来なくなるよ。でも君なら大丈夫さ♪ボクはどんな時でも君の心の中に存在している。そして寂しくなったら天空の星を仰いでご覧♪きっとボクの星が見つかるはずさ♡ボクも満天の空の彼方から、いつまでも君を見守っているよ。未来を切り開くのは君自身だ!だからこれからは自分で考え、行動していくんだよ♪じゃあ、今までありがとう…さようなら♡」
雫はそう言うと、天上高く舞い上がって行きます。まるでそれを祝福するように月は満月で、月のゴンドラはもうありませんでした。
やがて舞い上がっていく雫はだんだんと姿を替えて遂にはあの懐かしい記憶の中の父の姿に変わっていました。
サビオは最後に一言、息子に伝えました。
「アルフォンス、お前は少しの勇気と少しの工夫を糧にして、思い切りの良い行動力でやり抜いたのだ。これからも自信を持ちなさい。そして家族や皆を大切になさい♪」
サビオはそう言い残すと見えなくなり、やがて一つの星がキラリと光ったように見えたのです。もしかすると、それが星になったサビオだったのかも知れません。
アルはガバッと起き上がると、ベッドの中で男泣きしていました。
そんなある日の事、ディディエお兄さんはアルに告げます。
「今こそ、もう一つの約束を果たそう。君には私がサビオ博土から学んだ歴史学を一から伝授してあげる。歴史とはヒストリーだ。ヒストリーとは、ヒズストーリー何だよ!つまりは"彼の物語"。即ち、人の生きた証、それが歴史学だよ♪どうだい?興味が出て来たろう♪」
「えぇ♪なんか面白そうです♡教えて下さい、ディディエお兄さん♪」
こうしてアルフォンスは、家族やスフォルツァ家の面々と一緒に暮らしながら、素直にそして逞しい男性に成長して行きます。
やがて彼が成人に達すると、アントニオは約束通りサビオの後継ぎとして、正式にゴッチオラーレ家を継がせました。
そしてディディエは、ゴッチオラーレ家の執事となり、アルを生涯に渡って支えて行く事になるのです。
さらには彼の友アンソニーもまたスフォルツァ家を継ぐ日がやって来ました。
アンソニーは、父や家族の苦境をアルが救ったあの日から、彼の事がますます好きになり、その絆は今やアントニオとサビオ以上に強く深い信頼で結ばれています。
そしてアルフォンスは彼の妹・ルクレチアと結ばれ、末長く幸せに暮らしました。
彼が統治者として民に愛され、いつまでも長く語り継がれる存在となったのは言うまでもありません。彼自身がヒストリーとなったのです。
おしまいおしまい。
【後書き】
御一読下さり、まことにありがとうごさいます。この童話は、構成も含めて初めて練りあげた筆者のオリジナル童話です。
当初は児童向けの優しい表現で短く済ますはずだったのですが、書き始めると難しく結果、中学生以上向けの作品となりました。
文体は童話の語り口を継承しています。
また中学生以上の方の読み物として出せるように、モラルに反しない表現を使用していますので、安心してお読みいただけます。但し、所々で大人でないと理解出来ない、難しい表現を使用している箇所があります。
優しい表現を考えられる所は改訂していますが、どうしてもイメージと合わないジレンマからそのままで通してある箇所もございます。また童話にしては登場人物のセリフ回しが長かったり、多かったりするかも知れません。
今後の課題としたいと思っています。
2万7千文字に及ぶ長編ですが、最後まで愉しく読んで下されば嬉しいです。
作中に出て来るサビオ・ゴッチオラーレは、"賢明な雫"という意味になるように作り上げた名前ですので、たぶんイタリア人にそういう名前の方は居ないと想います。"サビオ"は"学識ある"という意味もあるので歴史学者にしました。
スフォルツァ家はかつてイタリアに存在した名家で、今も継承されているとか?数ある名家の中でも国民に人気があり、善政を施いた歴史から、この名家をモデルにした仮想の一家を作り上げました。
イタリアの海辺の片田舎から大都市の居城へと冒険に旅立つアルフォンスの勇気と行動力。そして成長の物語です。
途中、有名な童話のワンシーンを"筆者のイメージ"で挿入しています。"遊び心"ですので是非、見つけてみて下さいね♪最後まで愉しんで下さればそれだけで幸いです。
【byユリウス・ケイ】