ビッグモーター事件から見る、日本人の特性。
どんどん大きくなっていくのが、このビッグモーター事件になります。
事件の概要はすでにご存じと思いますが、大手損保会社を巻き込んだ、大型詐欺事件と見るべきでしょう。
しかも、出るは出るはと、ついには樹木に強力な除草剤を散布して、店の景観というか出入り口を確保したという、今時こんなことをやるのかと疑いたくなります。
ただ、車の修理で不透明な部分があるのは、このビッグモーターだけではありません。
筆者も所有する車で、度々整備工場と不毛なやり取りをするからです。
いわく、部品を交換しておきました。
いわく、タイヤを交換しておきました。
いわく、バッテリーを交換しておきました等々。
私は車を購入する際、手放すまでの整備計画を立てており、それにそって部品の交換をお願いしています。
しかし、整備工場はとにかく前倒しをしたいらしく、交換した後の部品を見ると、まだキレイだったりします。
「ちなみに、この部品ですけど、まだ使えましたか?」
「ええ、もちろん」
おい?
タダならいくらでもやればいいけど、実際はそうではない。
カネを出すのは、私なんだけどね?
それに部品の交換を前倒しでやられると、整備計画に狂いが生じるので、不具合が出ない間は何もしないで欲しい。
現に私が所有する車で、不具合は部品の欠陥とかリコールが無い限り、まず何もありません。
むしろ、整備工場が見逃すような不具合を、私が事前に指摘するぐらいですから。
つまり、これを大掛かりでやったのが、ビッグモーターなんでしょう。
恐らくは、ほんの少し、目立たないようなやりかたでやったんでしょうが、それが慣れるとどんどん大掛かりになり、ついには損傷をねつ造するようになりました。
これが慣れと言うモノで、心理学では集団極性化現象とか、リスキーシフトと呼ばれます。
これは閉鎖された集団と、統一した意思に基づいた集団バイアスであり、典型的な事例は、あのオウム真理教事件と言えます。
ここまでではないにしろ、雪印事件、ミートホープ事件、産地偽装事件等々、いわゆる社会を震撼させた事件の数々も、最初は些細なやり方がきっかけと言えます。
そして日本を破滅に導こうとした事件が、東海村JCO臨界事故になります。
最初は安全基準を少しだけオーバーし、それが慣れるとどんどんとハードルを下げていきました。
最後はずさんとしか言えなようなやり方になり、ついに日本初の臨界事故になったのですが、最初のハードルがあまりにも高かったので、すっかり安全神話にどっぷり浸かってしまいました。
最初下げたハードルが一センチだったとしても、それを100回繰り返せば、すでにやばい状況になりますが、当事者には一センチしか下げていないと、そう認識してしまいます。
これもビッグモーター事件と似ていて、上層部と現場では著しい乖離が起きていました。
特にコミュニケーション不足により、現場が疲弊するだけではなく、うるさい古参メンバーを排除したのです。
それこそ、古参メンバーは現実を見ていない、会社のことを思ってくれないと。
そしてイエスマンを集め、彼らにどんどん仕事をやらせました。
ビッグモーターと同じく、厳しいノルマを課して。
しかしそれは、安全基準を守っていては達成出来ない仕事で、現場では仕方が無く安全基準をオーバーするような仕事をしました。
元々日本は、安全基準が厳しく、多少の逸脱行為は問題ありませんでした。
これはオーバースペック問題と同じで、本来ならそこまでやらなくてもいい安全対策を、日本のメーカーは現場に課してしまいます。
これは、原発処理水問題と同じです。海洋放出の安全基準が国際基準でいいなら、それでいいでしょうとなるはずですが、コストを掛けてしまいます。
それでも反対する勢力はあり、こうなるともう、悪魔の証明とか神学論争になります。
つまり、意味は無いのです。
その意味が無いことを一所懸命やるのが日本の宿命であり、オーバースペックは価格と原価のバランスを崩し、価格競争の責任は現場に押し付けられます。
その結果、現場は何とか丸める方向で頑張り、上層部の言う、やればできるじゃないか的な状況になります。
兵士最高、指揮官無能の状態とは、こういった上層部と現場との非対称性によるゆがみが生んだ、ある意味での日本人の特性と考えます。
だから、ビッグモーターの上層部が責任逃れの発言をしても、むしろ本当のことだろうと思うのです。
つまり、ビッグモーターの上層部は無責任であり、現場のことは何も知らず、揃いも揃って、無能の集まりになるのです。
裸の王様だって、まだマシでしょう。
これは日本の組織に有りがちなことで、これを我々は、こう呼びます。
ブラック企業と。
このブラック企業は日本の病でもあり、行政も対策に乗り出していますが、ブラック企業の問題は、実はそう簡単な話しではないのです。
ビッグモーターのように大企業となり、社会やマスコミに強い影響力を持つと、ブラック化した社員はもう死ぬまで働くしかありません。
あるいは、世間がこれは悪であると、認識するまで耐えなくてはならないのです。
ビッグモーターを他山の石とは思わず、身近にあるだろう第二第三のビッグモーターにならないように、我々は監視し、自らを戒めないといけません。
これは決して、たいした事件ではありません。
こういったことを少しずつ積み重ねて起きたのが、東海村JCO臨界事故であり、福島第一原発事故になるからです。
そしてそれは、目に目えるようになった時は、すでに手遅れになります。
だから、他人事ではないと思います。