子供のこと
秋の事だった。
「中期中絶しましょう、この状態からちゃんと産まれてくることはまず無いから」
心無い医者の一言に震え上がった私はもう何も考えられなくなっていた。
まずお母さんに電話しなきゃ。と震える手で携帯を操作すると、明るい母の声が聞こえて少しだけ気持ちが楽になったけれど。
「お母さん、お腹の赤ちゃんダメだって」
「え、え?何?」
「腹水が溜まってて、もうダメだって。死んじゃうって」
「そんな…」
ダメという言葉しか出てこなかったと記憶している。
後から聞けば母も頭が真っ白になってしまって何も覚えていないらしい。
そのまま真っ直ぐ仕事に向かった私がやった事はまず情報収集だった。
多分どのお母さんたちもするだろうけれども、私は多分人よりも何かを知りたい気持ちが強いと思う。
何がなんでもとことん、世界の果ての情報でも集めてやる、そんな気持ちでネットの海に飛び込んだ。
諦めるにせよ、赤ちゃんがお腹で亡くなるまで妊娠を続けるにせよ自分が納得しないと結論は出せない。そんな気持ちだったと思う。
寝る間も惜しんで調べては泣き、近くの大学病院の先生との話し合いの日が近付くことに絶望しあの日々を思い出すと今でも涙が出てくる。
それくらい辛い決断を迫られていた。
「ねぇ、ももかの病院に行ってみない?」
そう進言してくれたのは姉だった。
ももかは生まれつき酷いアレルギー体質で、赤ちゃんの頃から入退院を繰り返している子供だった。
アレルギーを拗らせて腸重積に陥りしょっちゅう高速で大学病院に通ったり、インフルエンザにかかっては入院したり。一昔前ならとっくに亡くなっていただろう命を助けてくれた病院に寄せる我々家族の信頼は確かに厚い。
「町医者なんて健康な子しか産ませられないんだよ。あそこなら色んな難病の子も通ってるしきっと診てくれるんじゃない?」
姉の毒舌に含まれる希望に縋る思いでもう次の日にはその大学病院に車を走らせていた。
「あとどれ位待つのかな」
「聞いてくる」
もう3時間、待っている。
このお腹の子は病気なんだ。ここでもダメって言われたらどうしよう。
前日までネットで調べていた中期中絶の恐ろしさに目を閉じると大きく息を吐き出した。
「大変お待たせしました」
ようやく呼ばれた時には到着してから4時間経っていたのだけれど、紹介状も持たない妊婦を診てもらうんだから仕方ないと立ち上がって、産科の「精査外来」のドアをノックした。
とても大学病院とは思えない狭い部屋で細面の女医に促されてベッドに横になると、早速お腹に塗られるジェルが緊張感を更に高めていく。
「…」
無言の医者の威圧感。
位置を変えて当てられるエコー。
その中で確かに動いている我が子の心臓がまるでおたまじゃくしのようだ。
「確かに溜まってますね」
「あ、そうですか」
「でも少しです」
「…ぇ、」
私に目を向けることなく淡々と呟く先生がペーパーを手に取ってジェルを拭き取ると、机に向かって何かを書き始めた。
「赤ちゃんのお腹に水はありました」
「はい…」
「原因は色々考えられます」
差し出された紙にはいくつかの病名と、生後出てくるであろう障害が書かれている。
「原因も分からずに中絶なんてできませんよね」
「あ、はい…」
「ですので羊水検査をしてみてはいかがでしょうか。結果を見てからの方が判断もしやすいと思います」
「でも、もう間に合わないんじゃ…」
「えっと…大丈夫、間に合います」カレンダーを指し示した指が再度確認するようにそこを強く押した。
そう、中絶には期限があるのだ。
この時の私はあと1週間で期限を迎える所だったが、さすが大学病院。まだ間に合うらしい。
その日は羊水検査の予約を入れて帰宅したが心は少し晴れていた。
羊水検査を終え結果を渡された私たちに待っていたのは「原因不明」の文字だった。
「先生…こんなことって」
「あまり無いんですが…原因不明です。可能性として高いのはこの病気ですが、ウイルスが羊水から検出されていません」
「…いつまでに、決めないといけないんでしょうか」
カレンダーを見上げる女医の横顔に、部屋に走る緊張感。
「…明日、です。ご夫婦でよく話し合ってください」
明日。
24時間後?
そんな短時間で決めなくてはいけないの?
頭の中をぐるぐるまわる思いが涙となって、帰りの車では私は泣き通しだった。
「重い障害を持ってたら大変だよ」
「うん、分かってる…」
「ずっと付きっきりで世話をしなくてはいけないし、出かけることもままならない」
「うん、うん…」
あまりに当たり前な夫の言葉にただ頷く。
そんなこと分かってる。
でもお腹の赤ちゃんのへの愛情がもう芽生えちゃってるんだよ。
何でそんな簡単に答えが出せるの?
あんたはいいよね、痛い思いもしなければ辛い思いも私よりも少ないんだから。
でも。
子育ては二人でするもの。産まれる前から意見が分かれている状態で子育てなんて上手くいかないだろう。
真っ向から反発する気持ちのせめぎ合いに疲れていてもその晩は一睡もできなかった。
病院に向かう道中で食べ物を買っても何も喉を通らないし飲み物も飲めない、完全に憔悴していた私の耳に夫が鼻を啜る音が聞こえる。
夫が、泣いていた。
夫の涙を見たのは後にも先にもあの時だけだと思う。
「先生、今回は諦めます」
何も言えない私の代わりに夫が放った一言に一気に涙が溢れて手の平を濡らしていく。
もう、お別れなんだ。
あの辛いつわりも一緒に乗り越えたのに。そんな思いが顔を伝って流れていく。
こんな絶望、初めてだ。
何処か冷静な自分が顔を出すけれど、やっぱり止まらない涙。
「分かりました、では日程を調整しましょう。ご夫婦でよく話し合われましたか?」
「はい、やはりあの病気を持って生まれてきて後々障害が出てきたら…」
「え?私、あの病気とは断言してませんが」
確かにそうだ。
「可能性はある、とは申しましたが」
「じゃあそれじゃない可能性も…」
「あると思います」
思わず二人で顔を見合わせると何かを察したかのように女医が立ち上がった。
「もう一度話し合いされた方が良さそうですね、10分後に戻ります」
さっきとは打って変わった、明るい声だった。
その光景を今でもありありと思い出せる。
そして今目の前でゲームに熱中している息子はその時中絶をやめて産まれてきた子供だ。
結局のところあの先生は間違っていた。
彼は予想されていた病気で生まれてきたし、7歳の今、知的障害があることが判明している。
しかしあの病院で生まれていなかったら判明しなかったであろう息子の病気は、これまた日本に1本しか残っていなかった薬で最悪を免れた。
お金のまあまあある家に生まれ、周りの理解もそれなりにある。
そして顔の良さ。
自分の子供だから可愛いと人は言うかもしれないがそうではないと断言できる。
小学1年生の時、彼はクラスでただ一人特別支援級に所属していたのだけれど、上の学年のお母さんたちの間で話題になったらしい。
「一年生の支援級の子、もんのすごく可愛いんだよ!超イケメン」と。
例え障害があるとしても、ことごとく強運の子供だと思う。