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鬼を掴む 

作者: 硯

 後から後から湧いてくる魔獣に、シイナは恐れ慄いている。

 猪狼いろうというこの魔獣は単体では強くないが、群れで襲われると厄介な相手だ。


 5体でも手こずる猪狼が数十体出てきた日には、裸足で逃げ出す思い切りの良さが必要となる。



「きやあぁぁああ!!撤退します!」


 シイナの声に、パーティーを組んでいた仲間たちがわらわらと撤退し始める。

 寧ろ良くここまで付き合ってくれた、と労いたい。それほど状況はひっ迫していた。


「逃げて、逃げてぇ!」


 叫びながらシイナも撤退する。

 後ろから涎を垂らして追ってくる猪狼に、がむしゃらに炎の魔法を唱えながら、必死に森の入り口を目指した。


 森の入り口には、強力な結界が張ってある。それを抜ければ、安全地帯だ。



(無理!むりむり!数が増えすぎてる!)


 シイナは冒険者としてそれなりに長い。しかし魔獣がこんなに増えた事象は初めてだ。

 格下の冒険者を束ねる立場にはなったものの、今回はキャパオーバーと認めざるを得ない。


 皆が無事に結界をくぐったことを確認して、シイナも結界に飛び込んだ。

 荒れ狂う息を整えて、後ろを見遣る。


 セベスの森は相変わらず黒々と、怪しい雰囲気を垂れ流していた。入り口を守る結界だけが、穢れのない光を放っている。


「やばかった…… 今回は、まじで」


 シイナは立ち上がって服の泥を払い、自慢の尻尾を確認した。尻尾の先に少し傷がついている。

 ふぅふぅと傷に息を吹きかけながら、シイナはギルド長への言い訳を考えた。




________


 シイナが住む国は、ヴァルトという名称だ。獣人が住む国である。


 可も不可もない平凡な国だが、最近は諸外国の間でも話題の国だ。

 魔獣が湧きに湧いている。そんな理由で、ヴァルトは注目を集めていた。


 国の南方に位置するセベスの森を中心に、魔獣がわらわらと増殖を続けている。

 その数に対処しきれず、結界を張ったのは記憶に新しい。ギルド長が大慌てで大金をはたいて、大魔導士に依頼して張ってもらったものだ。


 しかし、いつまでも蓋をしたままではおけない。原因を一掃しなければ、悪化していく一方だ。



「さぁて、どうするかね」


 煙管から紫煙を燻らせながら、ギルド長のアマンダが呟く。


 今日もぴっちりとしたスーツを身に着け、豊満な胸とくびれた腰の主張が激しい。

 羊の獣人であるアマンダだが、ギルド長としてこの国に長く貢献している。


 ゆるくウェーブのかかった黒髪に、二本の巻き角。顔のパーツはどれも美しく均等だ。

 アマンダと一夜を共にするために、一流の冒険者を目指す者も多い。



「少なくとも50体はいましたから、相当な人数と装備が必要です」


 シイナはそう言いながら、包帯を巻いた尻尾を痛そうに擦った。


 猫型の獣人シイナは、背も小さく華奢な体つきをしている。良く子供に間違えられるが、立派な成獣で腕も立つ。


 ショートパンツから伸びる脚はすらりと長く、尾てい骨の辺りから長い尻尾が揺れている。

 白銀の髪からは尖った耳がひょっこり生えて、時折ピルピルと震える。



 シイナの言葉に、アマンダは深く溜息をついた。

 猪狼50体に対抗するには、最低でも十数人の冒険者が必要だろう。


 しかしこの国は今まで穏やかだったため、腕の立つ冒険者など数人しかいない。

 国一番の凄腕シイナが撤退してきたのだ。もうギルドとして打つ手は無い。



「……仕方がないな、あの男に頼もうか」

「あの男?冒険者ですか?」


 シイナの問いに、アマンダは緩く首を横に振った。ふぅと紫煙を吐き出して、窓の外を見る。

 彼女の煙管が示すのは西の方向だ。


「街の外れに牧場があるだろう?そこに男が住んでいる。名は四朗シロウという、人間だ。彼が動けば、多分何とかなる」


「人間?ここに住んでいるのですか?」


「二ヶ月ほど前からな。ここに移り住んできた時は、隣国から手紙が来たほどだ。どうやら彼の所在は、各国でも明らかにしておかなければならないらしい」


 各国から届くシロウの報告は、にわかに信じられないものばかりだ。

 しかしアマンダには、彼に依頼する以外の方法が考えつかない。いまから他国に応援を要請しても、対応などいつになるのか分からないのだ。


「シイナ、彼を説得しに行こう」

「え?私もですか?」

「シイナが行けば、多分何とかなる」


 アマンダの謎の言葉に、シイナは首を傾げるしかない。

 首を傾げたシイナに優しく微笑みながら、アマンダは上着を手に取った。




________


 シロウが住むと言われる牧場は、こぢんまりとしていた。

 馬も豚も数えるほどしかいない。鶏は放し飼いになっており、シイナの目の前をパタパタと走り回っている。


「シロウ、いるか?」


 牧場にいるのは違和感でしかない派手なアマンダが声を張り上げ、鶏たちが逃げ惑う。

 その音に反応したのか、奥の小屋から一人の男がのっそり顔を出した。


 黒い短髪に無精ひげ。身体は逞しいが、気怠そうに身を屈めている。

 男はアマンダを見ると、露骨に嫌そうな顔を浮かべた。


「……何の用だ?」

「久しぶりだな、シロウ」


 嬉しそうに挨拶するアマンダを無視し、シロウは逃げ惑う鶏を捕まえ始めた。労わるように撫でながら、柵の中へと入れていく。


「お前らが来ると、動物たちが怖がる」

「それはすまない。シロウ、魔獣の討伐を請け負ってくれないか?猪狼50体ほどだ」


 終始嬉しそうなアマンダは、シロウに親し気な微笑みを送っている。

 無茶な依頼をしているのだが、シロウはさして驚かない。そして彼はめんどくさそうに後頭部を掻いた。


「何であんたらは、自分の国の事を自分で処理しねぇんだ。俺は面倒事を避けるために国を渡り歩いてんだぞ?駄目そうだったらすぐに俺を頼りやがって」


「シロウ、そう言うな。うちの国は、他の国とは違うぞ?」

「……?」


 アマンダはニコリと笑い、後ろに待機していたシイナを引っ張った。シロウの前にシイナを立たせ、「じゃ~ん」と軽口で言う。


「今回は猫の獣人、シイナちゃんが道案内役になってくれます!」

「………」

「あ、あの、アマンダさん?」


 シイナはシロウを見上げた。

 眉根には縦線が刻まれていて、ご機嫌な状態とはとても思えない。こんなタイミングで軽快に紹介されても、不興を買うばかりではないか。


 戸惑っていると、シロウがシイナの尻尾に目線を移した。次いで、頭に生えた耳を凝視する。

 緊張のためかシイナの耳がふるりと揺れると、シロウの眉根の強張りが解けた。


 シロウはシイナから目線を外し、僅かに口元を綻ばせる。それを見たアマンダは、畳みかけるように捲し立てた。


「いいのか?シロウ。この子は今から魔獣の巣窟に身を投じるんだぞ?この可愛い尻尾も、昨日の戦いで傷ついたんだ。ああ~可哀想に」

「……」

「この可愛いお耳も、傷ついちゃうかもなぁ?しょうがないよなぁ?シロウが協力してくれないんだから……」

「……やるよ」


 そう呟いたシロウは、舌打ちをしながら小屋に入って行った。

 それを見たアマンダが弾けたように笑い、シイナの頭をわしゃわしゃ撫でる。


「お手柄だぁ、シイナ!」

「ど、どうしてですか?アマンダさん」

「シロウはね、動物が大好きなんだよ。中でも猫が大好きらしい」

「……なるほど」


 見た目は怖そうな人間だったが、動物好きだとは意外だった。牧場を営んでいるから当然ではあるだろうが、怖そうな風体からは想像もつかない。


 少しして、シロウは小屋から出てきた。

 てっきり準備してくるものだと思ったが、シロウは先ほどと同じ格好だ。武器も身につけていないうえに、半袖のTシャツにジーンズといった出で立ちである。

 おまけに足元はサンダルのままだ。


「行くぞ……シイナ」

「は、はい!」


 シイナは言われるがままシロウの後を追い、アマンダを振り返る。


 彼女は勝ち誇ったような顔で親指を突き出し、妖艶に微笑んでいた。



________



「シイナ、装備はそれでいいのか?」

「ええ。いつもこれで戦っています」


 シロウはシイナを上から下まで眺めて「う~ん」と唸った。

 いつものショートパンツに、今日は膝当てと肘当ても付けている。いつもよりしっかりとした装備だ。


「ちょっと軽装すぎないか?特に太腿なんて露出しまくっているが……」

「……Tシャツにジーンズのシロウさんに言われたくないです……」


 シイナが言い返し、ゆらりと尻尾をゆらした。シロウは尻尾に手を伸ばしかけて、はっと我に返り手を引っ込める。

 こうしたシロウとのやり取りを、シイナは密かに楽しんでいた。


(触りたいくせに、触ってこない……)

 素直に触りたいと言えば、シイナだって触らせるのに、シロウは頑なに興味の無いふりをする。


 シイナは人間の男性と接するのは初めてだった。獣人を捕らえて奴隷にする人間も多いため、獣人が抱く人間への印象はとても悪い。

 しかしシロウは悪い人間じゃなさそうだと、シイナは頬を緩ませる。



 目の前のセベスの森は、相変わらず昏く怪しい。シイナがゴクリと喉を鳴らしていると、シロウが一歩踏み出した。


 まるでハイキングにでも行くような足取りでずんずん進むシロウの後を、シイナは慌てて追う。


「し、シロウさん!警戒しないと!」

「大丈夫だ。猪狼だろ?」


 軽口を叩くシロウの前方に、猪狼が3体ほど現れた。

 言わんこっちゃない、とシイナが身構える。腿のホルスターから短剣を引き抜き、シロウの前へ庇うように踊り出た。


 飛びついてきた一匹目に斬りかかるも、寸での所で避けられた。猪狼は動きが速いうえに、空中でも難なく軌道を変える。

 猪狼は風の属性をもつ魔獣のため、風の力を使って縦横無尽に攻撃を仕掛けてくるのだ。動きが読み辛く、攻撃も当たりにくい。


「シロウさん!下がって!」


 叫びながら、シイナは思った。

(何故私が守っているのだろう。逆では?)


 そう思ったものの、もう猪狼は迫っている。3体なんて一人ではとても相手は出来ない。


 思えばどうして2人で来てしまったのか。普通パーティを組んで来るものだろう。

 今更ながらの後悔が、シイナの頭の中をグルグルと回る。


「シ、シロウさん!撤退しましょう!」

「……何で?」


 シロウはそう言った瞬間、飛びかかってきている猪狼の額を掴んだ。そしてそのまま地面へと叩きつける。


「ええ……?」


 叩きつけられた猪狼は、見事に地面へめり込んでいる。


 動きが速すぎて付いて行くのも必死な猪狼を、素手で掴んで投げるなどにわかに信じられない。

 シロウは顔色一つ変えず、襲い掛かってくる猪狼を素手で撃退している。


 猪狼の行動を先読みして裏拳を打ち込み、そのまま手首を返して首を鷲掴む。それを別の個体に投げつけて体勢を崩し、慈悲もなく踏みつけるように蹴り落とす。


 とても動物好きだとは思えないシロウの攻撃に、シイナは唖然としたまま固まった。


「もう少し大人しくてフワフワしてれば、可愛いのにな」


 血肉の塊となった猪狼を踏みつけながらシロウが言い放つ。シイナが頬を引き攣らせている中、シロウは相変わらずマイペースで歩を進めた。


「シ、シロウさん?武器は使用しないんですか?」

「武器?使ったことないな」

「……魔法は?」

「シイナ、俺は魔力ゼロの人間だぞ?」


 シイナは両手で口を覆い、仰け反った。

 いくら強くても、素手で猪狼の群れを撃退出来るわけがない。しかも魔法も使えないなんて、詰んでいる。


 狼狽えるシイナをよそに、シロウはいたって冷静だ。


「今のは群れじゃないな?もっと奥か?」

「シ、シロウさ~ん、もう撤退しましょう?50体の群れですよ?素手じゃ絶対無理ですって~」

「……それだけじゃないと思うぞ。多分もっと厄介なのが、奥にいる」


 相変わらず襲ってくる猪狼を素手で撃退しながら、シロウは進む。

 猪狼の身体はかなり強固なはずだ。獣毛は鋼のように硬いのに、どうしてシロウは素手で撃退できるのかシイナには疑問でならない。


 シイナが後を追っていると、シロウがぽつりと呟いた。


「くせぇな」

「え?」


 シロウの声にシイナが目線を上げる。すると森の奥から、不穏な音が響いた。

 ごり、ぐり、と何かを咀嚼する音だ。


 音の正体は、遠目でも確認できた。

 森の木々よりも大きい猪狼が、岩のように立ち塞がっているのだ。


 その猪狼は、通常の大きさの猪狼を喰っていた。まるで人間のように両手を使い、猛然とした勢いで貪っている。


「亜種だな。やっぱりいたか」

「……亜種?嘘だ……そんな化け物が、この国に?」


 突然変異で生まれる魔獣の亜種は、国を滅ぼすほどの力を持つ。

 亜種が生まれたら最後、その国は滅びるのが運命といわれる程の脅威だった。


「魔獣が増えたのは、こいつのせいじゃないか?俺はその辺詳しくないが、こいつから流れ出ている魔力で、魔獣が多く生まれてるようだ。喰うためかな?」

「そ、そんな、今までこの森は穏やかだったのに……」

「突然変異ってのは突然なんだぞ?」


 相変わらずの呑気な口調に、シイナはシロウを睨み付けた。現状は最悪なのに、余裕なシロウが腹立たしい。

 すぐにギルドへ連絡し、国をあげて対策を取らなければならない。


 幸い亜種は食事に夢中で、まだこちらに気付いていないようだ。シイナが静かに後ずさると、シロウが片眉を跳ね上げた。


「どこへ行く?」

「どこって、ギルドへ……」

「まだ片付いていないのに、報告か?」

「え?」


 シイナが戸惑っていると、シロウが一歩前へ出た。

 「ちゃんと見届けて報告しろ」と呟くと、その場に膝をつき、片方の拳を地面につける。


「シロウさん、何を……?」


 何から何まで分からない。シイナが眉を顰めていると、強烈な耳鳴りが襲った。


 脳すらも震わせるような耳鳴りに、吐き気が込み上げる。シイナが身体を折って吐き気に耐えていると、目の前のシロウの腕が地面に沈んでいくのが見えた。


 地面が黒く沸き立ち、まるで煮え滾ったタールのようにゴボゴボと音を立てる。

 シロウはそれに腕を突っ込み、もう肩まで埋まっていた。


 無表情だったシロウの瞳が見開かれ、額に青筋が立つ。首筋にも深い溝が現れた。

 シロウが何かを引っ張っている。そうシイナが理解した瞬間、シロウが腕を引き上げた。



 黒に染まったシロウの手に握られていたのは、黒い角だ。角の生えた人間を、シロウは引き上げていた。


 シロウより幾分か大きい体躯の人間は、鋼の様な筋肉に覆われている。腰にだけ布を巻いた状態のその人間は、シロウより凶暴に見えた。


 黒く染まった人間はその顔を凶悪に歪ませ、シロウを睨んでいる。睨まれたシロウは眉を吊り上げ、静かに口を開いた。


「よう、三郎」

「……ってめぇ、四朗!!このくそ野郎!!」


 角を離すと、三郎と呼ばれた人間はシロウに詰め寄った。顔をつき合わせ、至近距離で睨み上げながら罵倒を浴びせる。


「いい加減にしろよ!俺ら鬼は、暇じゃねぇんだ!!都合のいいように呼ぶんじゃねぇ!」

「嘘つけ。暇だろうが」

「地獄は暇じゃねぇんだ。今日だって仕事が……」

「じゃあ早く片付けろ。相手はあいつだ」


 シロウが亜種に視線を投げ、三郎が「ああ?」と言いながら亜種を見る。彼は至極めんどくさそうに顔を顰めると、舌打ちを零した。


「……あいつを倒せば、帰してくれんのか」

「ああ」

「くそが!」


 やっと耳鳴りの治まったシイナは、シロウに問うような視線を投げる。受けたシロウは、怠そうに口を開いた。


「あいつは鬼で、俺の故郷から引っ張ってきた。俺が帰さない限り、あいつは帰れない。だからあいつは、やるしかない」

「鬼?」


 シロウは頷いて、三郎を見る。


 三郎が持っているのは、大きな刀だ。異国の冒険者が持っていたのをシイナも見たことがある。

 刀を構えながら、三郎が地を這うような声を発した。


「……四朗、覚えてやがれ。いつか、喰ってやる」


 その恐ろしい声に、シイナはぞわぞわと総毛を立たせた。殺気の籠った本気の言葉だったが、シロウは平然としている。



 その殺気に気付いたのか、亜種が動き始める。


 警告のように咆哮が響き、森全体がビリビリと震えた。

 咆哮が止むと、その巨大な姿が突如姿を消す。つぎの瞬間には、衝撃音と共に三郎の刀へ体当たりする亜種の姿があった。


 衝撃波が波のように襲う。飛ばされそうになったシイナの腕を、シロウが掴んだ。


「シイナは軽いな。少し離れておけ」

「シ、シロウさんは!?」

「俺が一定距離離れると、三郎は消滅する」

「ええ!?」


 こんな激しい戦闘の近くにいれば、巻き込まれて死んでしまう。


 シイナは少し距離を取り、木の陰に身を隠した。猪狼は亜種だけではない。警戒を怠らないように、シイナは短剣を身構えて様子を伺った。


 三郎と亜種は何度もぶつかり、何度も弾かれては間を詰める。

 亜種の攻撃は爪による打撃のため、三郎は刀でいなして懐に入ろうとしているようだ。しかし依然、両者とも譲らない。


「す、すごい……」


 亜種と対等に戦える者など見たことが無い。鬼、と言っていたが、特別な能力でもあるのだろうか。

 一方のシロウだが、激しく戦う両者を平然と見ている。


「三郎、随分手こずるな」

「くそ四朗!お前も手伝え!!」


 叫びながら、三郎は刀を跳ね上げる。亜種の左腕が斬り払われ、空中にポーンと投げ出された。

 激しく飛び散る血潮と、低い咆哮。亜種が突進してきたのを、三郎は寸での所で避けた。


 獣は傷を負ってからが怖いものだ。亜種は更に獰猛さを増し、三郎に飛びかかる。


 傷を負ったことで、亜種の行動が激しさを増す。その事にシイナは気付けなかった。

 気が付いた時には、亜種がすぐそこまで近付いており、シイナが盾にしていた木がへし折れる。


「シイナ!!」


 シロウの声に意識が引き戻されるも、突然の事に身体が動かない。

 短剣をもったまま固まっていると、突然身体が引っ張られた。シイナのすぐ横の木が倒れ、亜種と三郎が雪崩るように横を過ぎ去る。



 激しい衝撃音と爆風が吹き荒れる中、シイナは呆然と自身の手を見つめた。

 血に濡れている。


 シイナが持っていた短剣は、シロウの腹部に刺さっていた。引っ張られたときに短剣を離さなかったため、庇ったシロウに刺さってしまったのだ。

 シロウはちらりと自分の腹部を見ると「問題ない」と短剣を引き抜いた。


 問題ない訳がない。傷口からは血が溢れ、シロウの額には汗が浮かんでいる。

 慌てるシイナには目もくれず、シロウは三郎に向かって叫んだ。


「三郎!!遅いぞ!!」

「んなこと言っても……こいつ強えぇ!」

「……しかたねぇな……」


 シロウは舌打ちすると、また膝を付き地面に手を付いた。


 また耳鳴りがすると思ったシイナは咄嗟に耳を押さえるが、今度は何も起こらない。

 地面は少しだけ黒くなり、シロウはヒョイと腕を引き上げる。


 引き上げた勢いで空中に放り投げたのは、なんと赤子だった。額からは黒い角が二本生え、ふくふくとした身体は何も身に付けていない。


 赤子は空中に放り出されたまま、嬉しそうに声を上げる。


「しろうだぁ~~!」

雷宝子らいほうし!放て!あ、三郎には撃つなよ!」

「あい~~!」


 赤子がカッと光り、その身体から稲妻が放たれる。それは亜獣に直撃し、側にいた三郎がゴロゴロと飛び退いた。


「あっぶねぇなッ!!四朗!!」

「お前がもたもたしてるからだ」


 シロウが落ちる雷宝子をキャッチすると、雷宝子がキャッキャと笑う。腕に抱き込んだ雷宝子に、シロウは眉を吊り上げた。


「お前、パンツは?」

「おふろ、はいってたぁ」

「……母ちゃんに謝っといてくれ」

「あい~」



 亜種は、雷の直撃を受けて痙攣していた。その様子を見て少し余裕が出たのか、三郎がシロウを見る。

 そしてその腹部が血で染まっているのを見て、三郎が笑みを溢れさせた。


「おい、四朗……そりゃあ怪我か?」

「だからなんだ?」


 三郎が歩み寄って来て、べろりと舌なめずりした。「旨そうだな」と言いながら寄ってくる三郎は、本当にシロウを喰おうとしているように見える。


 シイナは思わず、三郎とシロウの間に身体を滑り込ませた。


「止めて下さい!」

「ああ?何だこいつ。猫?」


「猫ですが!なにか!?あなたは何ですか!?」

「鬼ですが、何かぁ!?」


 凄んでくる三郎に気圧されて、シイナは少し仰け反る。その肩をシロウが掴んで、シイナを横に追いやった。


 びりっと空気が震え、シイナの背筋が凍るように寒くなる。

 見ればシロウが殺気を垂れ流しながら、三郎を睨んでいた。睨まれた三郎の喉から、ごきゅりと音が響く。


「三郎、後からはらわたでも喰わせてやるから、仕事しろよ」

「わ、分かった……!」


 弾かれた様に三郎が亜種へと対峙し、刀を構える。動きが緩慢になった亜種を、三郎はいとも簡単に斬り払った。

 その体躯が地面に落ちると、三郎は得意げにシロウを振り返る。


 その角を、シロウが掴んだ。

 三郎が目を見開くと同時に、また地面が黒く沸騰し始めた。


「じゃあな、三郎」

「は!?褒美は!?ふざけんな!おい、雷宝子も怒れって!!」

「雷宝子は腹いっぱい血飲んで、帰ったぞ」

「なにぃぃい!?俺は!?腸は!?」


 三郎が叫んでいる間も、足元からどんどん沈んでいく。シロウは空いた手で自身の腹を撫でて血を付け、三郎の口に擦り付けた。


「これでも舐めとけ」

「っ!!てめぇぇ!四朗!次こそ喰う……」


 三郎の身体が叫び声とともに地面へ消えて行き、辺りは静けさが戻る。先ほどまでの事象が嘘のように、何もかもが凪いた。


 シロウは大きく溜息をつき、近くの木に寄りかかった。腹を押さえていると、シイナが止血帯を手に走り寄ってくる。


 何も言わずにシロウの腹部に止血帯を巻くシイナは、僅かに震えていた。


「……準備がいいな」

「冒険者は……当たり前に携行しているものです」


 ぐすりと鼻を鳴らすシイナの耳が、プルプルと揺れている。シロウは少し吹き出すと、口を開いた。


「耳、触っても良いか?」

「………ど、どうぞ?」


 シロウが手を伸ばし耳を撫でると、シイナの喉が反射的にグルグルと鳴った。途端にシロウの頬が緩み、目が細められる。

 今日初めて見たシロウの笑顔は、とても優しいものだった。


「ああ、可愛いな」

「……!」


 不意の言葉に、不覚ながらシイナの心が跳ねる。

 そんなシイナに気付かないまま、シロウは微笑みながら耳を撫で続けた。




________


 ギルドの執務室に、アマンダの笑い声が響き渡っている。


 時折乙女のように喜んでみせると、今度は大人の色気を匂わせながら微笑む。どうやらアマンダは喜びをどう表現したらいいか混乱しているようだ。


「今確認させたら、本当に亜種だったわ。国の軍隊投入する程の亜種を倒せたなんて、ほんっと、信じられないな、シロウは!」

「……」


「国王からもお褒めの言葉を頂いた!シロウにも謁見したいと仰られているよ?」

「そういうのが、一番いらん」


 吐き捨てるシロウを見ながら、アマンダは怪しく微笑んだ。



 ( __正に報告通りね……)


 しつこく頼めばどんな依頼でも成し遂げて、しかも見返りを求めない男。それがシロウだ。

 都合のいいように扱われているのを分かっているのに、彼はいつも拒み切れない。


 都合のいい最強の男。それが全世界で共通しているシロウの情報だった。

 居所を共有する理由が、明瞭すぎて笑える。



 血を大量に失ったシロウは、身を起こしたまま点滴を受けている。

 アマンダの言葉に、時折顔を顰めている。早く帰りたいが、黙って聞いているしかない事にイライラしているようだった。


「シロウさん、傷は大丈夫ですか?」

「……こんなもん、すぐ治る」


 アマンダに向ける顔と反して、シイナには優しい視線をシロウは送る。

 自然な流れで耳を撫でられ、またシイナはゴロゴロと喉を鳴らした。


 そんな2人を、アマンダが不満そうな瞳で見ている。シイナはその視線に気付きながらも、本能のままゴロゴロと喉を鳴らしてしまう。

 シロウの撫で方は、本当に優しいのだ。


「何か……仲良くなったわね、あんたら」


 アマンダの言葉に、シロウは口端を吊り上げた。シイナを見てニコリと笑う。


「やっと懐いてくれたんだ。なぁ、シイナ」

「は、はい……」


 そう答えながら、シイナは首を傾げた。


(懐かれたのは、こちらの方では?)


 耳を撫でられながら、シイナも笑う。



 世界各国で事案を解決してきた「鬼掴み」が獣人国ヴァルトでも成し遂げた。


 その知らせは、世界各国を巡った。

 そして彼は、これからも逃げられない。


 おしまい

お読み頂き、ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 鬼を召喚(?)するシロウの能力に新鮮味を感じました。 登場人物達もキャラが立ってて魅力的です。 [気になる点] 読み切り漫画的なエピソードの短さ故に仕方ないのですが、世界観や設定の説明不足…
[良い点] 面白かったです! こういうお話、大好き! [一言] 続編もしくは長編を期待してます。
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