ep.4:交易路の戦い~その2(パンドラ)
攻城弩弓とは。
石造りの堅牢な城壁を撃ち崩す大型の弩のこと。
その構造は、弩を単に大型化したもであり、矢もクォーラルと呼ばれる金属製の矢を用いる。
パンドラが交易路に持ち出したバリスタの矢は、飛行安定性を高めるために通常の矢のように矢羽根が取り付けられている、単純に弓で用いる矢を大型化したものだった。
道いっぱいに焚かれた焚き火は、バリスタを敵の視界から隠蔽する手段でもあったのだ。
「おのれぇ・・・シルフハイムのアバズレめ」
悔しさ露わにするも、彼の配下の者たちは、まさか攻城兵器を水平射撃してくるとは思わず、すでに浮き足立っている。
「ゆ、弓矢隊!前へ!」反撃命令を下す。
「なりませぬ、殿下。炎で敵の姿が見えぬ以上、こちらからの攻撃は空振りになるのが関の山にございます」
怒りに我を見失うイーグレィを家臣がいさめた。
実際、イーグレィたちから見えるのは、煌々と燃え上がる焚き火だけ。
強力な弦の力で飛んでくるバリスタの矢が、どれほどの射程距離を誇るのかさえ判らない状態では反撃はままならない。
「殿下、敵が待ち受けていた時点で、我らの敗北にございます。この先、敵がどんな罠を仕掛けて待ち受けているか定かでない以上、我らはいたずらに兵を失うだけにございます。どうか、この場は堪えて下さい」
撤退を進言する家臣の胸ぐらを掴み上げると、イーグレィは彼の喉元に剣先を突きつけた。
「私の命で気が済むのであれば、私の喉を貫き下さいませ。されど、これ以上進軍召されるならば、我が軍もただでは済みませぬぞ」
彼らのやり取りは遠筒(糸電話と同じ原理を持つ道具の事)を通じてパンドラの耳にも入っていた。と、いうよりも声がダダ漏れ状態であった。
そんな彼らのやり取りに、パンドラは呆れてため息を漏らす。
「ったく・・・。アホな殿下のくせに、大層立派な家臣をお持ちでいらっしゃるコト・・・。死なせるには勿体ない人物だわ。まっ、アホな殿下だからこそ、しっかり者の家臣を据えたのかもしれないけど」
呟いた。
でも、悠長にも構えていられない。
道を塞ぐ炎が弱まったら、こちらのハッタリが効かなくなってしまうからだ。
構造は同じでも、本来のバリスタとは比べものにならない程に強度の低い急ごしらえのもので、一発撃ったらもうガタが来ている。次の矢は撃てそうにない。
あらかじめ射線を交易路の中央に定めておいて、脅しに放ったものが、たまたま山猫の大獣に命中してくれたのは、願ってもない幸運だった。
正直、山猫に命中した時は思わず小躍りしそうになったくらい。
それにしても、あのアホ殿下をさっさと引き上げさせないと。
パンドラは、腰に両手を当てて考えを巡らせる。
さて、どうしたものかしらね・・・。
兵力と呼べるほど、こちらには人員が揃っていない。何とか100人動員するのがやっとだった。
そんな中、またもやイーグレィと家臣のやり取りが糸電話の向こうから聞こえてきた。
「ど、どうした?お前達。何をぐったりとしておるのだ。しっかりせい!!」
何やら奇妙な事が起きているようだ。
「戦場で寝入るとは!貴様らぁ!たるんどるぞ!!」
何が起きているのか、さっぱり解らない。何らかの事故でも発生しているのか?パンドラは動向を知るべく聞き耳を立てた。
イーグレィ率いるダノイ軍は焚き火の風下にいる。
実は、山猫の大獣を腑抜けにするために炎へとくべた大量のマタタビの効果が人間にも及び始めたのだった。
マタタビは猫にとってでだけでなく、人間にもある程度は作用する麻薬でもあるのだ。
総大将のイーグレィにも睡魔が襲い始めた。
やけに瞼が重い。そして、体がだるく感じられる。
が、我慢だ!自身の体に言い聞かせるも、世の中、根性だけでは回らない。
「くっ、このままではパンドラにみすみす寝首をかかれてしまう。えぇい!仕方がない。皆の者!退けぃ!撤退だ!急げ!」
遠くパンドラの耳にも敵が去って行く音が届いた。
嘘偽りではなく、イーグレィは本当に撤退していった。
マタタビの効果がこれほどまでに絶大だとは、当のパンドラでさえ予想していなかった。
「やれやれだわ。まったく・・。夜が明けていたら、私たちに勝ち目なんて無かったのにね。後は姉上殿とアムリエッタが上手くやってくれたら万々歳ね」
安堵のため息をもらしつつ、パンドラは配下の者たちを引き連れて城へと撤収していった。
一方、丘陵地では、エレイネが未だにダノイ軍の鉄壁の防御に悩まされていた。
そんな彼女の苦戦ぶりがシーガルには楽しく思えてならなかった。
「ふふふ、嵐の乙女よ。貴公はこれまで山賊相手に頑張り過ぎたのだよ。我らが放った山賊ごときに、自慢の弓騎兵の力を存分に発揮し過ぎたのだ。それによって貴公の手の内は我らに知れ渡っているとも知らず、同じ手に出るから、フハハハハ!笑いが止まらぬわ」
攻めあぐねるエレイネが道化に思えて笑いが止まらない。
ダノイ軍の防御を崩せないまま、アイロンケイヴ軍の高速歩兵隊が丘陵地に到着してしまった。
軽装で戦地に向かい、現地で装備を整える。それは常識では考えられない速さでの到着であった。
が、肝心の戦況に全く変化が見られない。
いつもならば、敵は弓騎兵の機動力と射程を生かした戦法に翻弄され、陣形などはとうに崩れているはずだった。
「陛下ぁ!我ら先行歩兵隊、只今参上仕りましてにございます」
歩兵長が到着報告をした。
「待っていたぞ歩兵長。馬上からでは手の打ちようが無くてな。奴らを下から突いてはくれぬか」
「はっ!御申しつけ、すでに承ってにございます」
「ふっ、相変わらず仕事が早いな、歩兵長」
先程まで苛立っていたエレイネであったが、歩兵長の言葉に笑みを見せた。
ササッ!ササッ!
矢の攻撃に備えて大盾を上段に構えていたダノイ軍の兵士達が、草むらを揺らす音に気付いた。
ササッ!ササッ! ササッ!ササッ!
一カ所からではない。その音はあちこちから聞こえてくる。
得体の知れない物音に、兵士たちは不安に駆られた。
どよめく軍勢。
「ぐわぁッ!」
兵士の1人が突然うめき声を上げて倒れてしまった。
「い、今のは!?何が起きたんだ!??」
視線を向けた頃には、そこには誰の姿も見当たらない。
な、何かが側にいる!
ただならぬ状況に、ダノイ軍兵士たちは恐怖した。