愛華の涙
事件は街道から外れた住宅が並ぶ細い路地で起こっていた。
この細い路地はアルバナが婚約者のバージルと会うためによく使っていた道だった。
この裏道なら貴族のクラウスにも見つからないだろうと思って使っていたのだが、長く使い過ぎたようだ。
どこからか情報が漏れたのだろう。
クラウスの待ち伏せにあってしまった。
「放してください!!」
「まさか他の男と結婚しようとしていたとはな!このアバズレめ!」
クラウスはアルバナの頬を打った。
「痛い!やめて!」
クラウスは鞭を縄のように使いアルバナの両手を締めつけて逃げられないようにしていた。
「ク、クラウス様、どうかご慈悲を!」
「そうです、どうかアルバナを自由に!」
周囲の町の顔なじみが必死に領主の息子のクラウスにお願いしている。
「黙れ!」
凄い剣幕で言われ、町民は黙ってしまう。
「下等な分際でこの私に指図するな!」
「ぅぅ。」
後ろにはクラウスの馬を連れた私兵が3人、護衛として付いている。
そのせいで、周囲の町の人も手が出せない。
手を出せば平気で殺されるのがわかっているからだ。
「ああ、すまない、アルバナ。」
「神よ、アルバナを助けたまえ。」
町民は最後の神頼みを始める。
「アルバナ!!」
その時、人混みをかき分けて一人の弱々しい青年が飛び出した。
「バージル出てきちゃダメ!!」
「お願いです、クラウス様!!アルバナをお放しください!」
バージルはアルバナの傍まで駆け寄り怪我がないか確認する。
「お前か、私の女に手を出した奴は・・・」
クラウスの顔がさらに怒りに歪む。
「罰はこの私が受けます!!アルバナを傷つけないでください!!」
バージルは膝をついてクラウスに懇願した。
「こんなに怒るのは久々だ・・・。罰はもちろんお前にも与える。ここで見せしめに殺しても良いが・・・そうだ、もっと楽しみたい。」
クラウスの気持ち悪い笑みにバージルはゾッとした。
「おい。こいつも連れて行け。」
「はっ。」
「やめて!バージルは関係ありません!」
後ろに控えていた護衛の一人がバージルのみぞおちを持っていた槍の柄で思い切り突いた。
「がはっ!」
「やめてぇ!!!」
他の男へのアルバナの悲痛な叫びにクラウスは一層機嫌を悪くする。
「馬鹿にしやがって。散々尽くしてやったのに・・・!」
気を失ったバージルは護衛に担がれて馬に乗せられた。
「うっ・・・うっ・・・バージルどうして・・・。」
「さて、お前には私のものだと教え込まなければならないな。俺の屋敷でじっくり調教してやる!ほら来い!!」
クラウスは握っている鞭を強引に手繰り寄せ、泣きながらフラつくアルバナを馬に繋げた。
見ている者はこれから何が行われるか想像ができた。
目を背けだす者もいる。
「いやっ!いやぁ!」
アルバナも理解して必死に抵抗する。
しかし、きつく結ばれた両腕の革紐が解けることはない。
「待ちな!!!」
人混みの奥からクレハの声がした。
焦って走って来たのだろう、大分息が切れている。
「うちの娘を放しとくれ!!」
今まさに馬に跨ろうとしていたクラウスの意気揚揚とした表情が再び曇る。
「ああん?貴様!貴様のような老人までこの私に指図するのか・・・」
「クラウス様、そいつらは本気で愛し合っている。もう放っておいてやってくれ!」
「ならん!この私の怒りはどうするのだ!?この女は私を誑かし、騙し、愚弄した!!!絶対に許せん!」
「私っ、そんな事してません!あなたが勝手に言い寄ってきてしつこかっただけじゃないですか!!」
馬に繋がれたままのアルバナはついうっかり本心を言ってしまう。
「!!・・・なんだと・・・?」
クラウスの表情が怒りに醜く歪む。
「よくもそのような-!!!」
クラウスは腰に収めていた鞭を振り上げ、アルバナの背中を打った。
「あああっ!!!」
「やめとくれ!!!」
アルバナの背中の服が破け赤い跡が付いた肌が露出した。
-!!!
なんて酷い!!
「お前が私を止める権限などどこにもない!アハハ!」
クラウスはもう一度叩こうと鞭を振り上げた。
「や、やめてください!!!」
気付けば愛華は飛び出していた。
と、飛び出しちゃった。
クレハの後を追ってきた愛華は、クラウスのあまりの非道さに黙ってはいられなかった。
しかし、沈黙の中その場の全員の視線が集中すると緊張のあまりそれ以上の言葉が出てこない。
皆の目線が集まって・・・恐い!!
けど、こんなの黙って見ていられなかったし・・・。
あーでもこれからどうしよ。(泣)
後ろから新たな制止の言葉を受けたクラウスはさらに苛立ちが増す。
「また・・・また愚民ごときがこの私の邪魔をするのか!!」
振り返ると、黒いフードを深く被った異様な見た目の女が立っていた。
「女・・・死にたいのか!!??」
ムム?
攻撃する気?
私の【防御力】を舐めてもらっちゃ困るわ!
あー、でもこの暴力男どっかで見たような???
どうやらクラウスは愛華が勇者だとは気付いていないようだった。
しかし、周りの民衆が「そうだ!この町には今黒蝶がいる!」などとざわめき始め、クラウスの護衛の余裕の態度も変わり始める。
「あ、あの!クラウス様!」
護衛の一人が今にも愛華に鞭を振るいそうなクラウスを止める。
「あ?お前も私の邪魔をするのか?」
「い、いえ!も、もしかすると、その黒い女性・・・あの黒蝶では?」
「あん!?何だそれは!?」
貴族のクセに新聞読んでないのかよ!と護衛は心の中で突っ込んだ。
「ゆ、勇者様です。昨日ハイロを北へ発ったと今朝の新聞に!」
「は?」
クラウスの顔が間抜けのような抜けた表情になり止まった。
愛華をじっと見つめ動かない。
びくぅっ。
クラウスの視線にブルブルと悪寒が走りながらも護衛とクラウスの会話は愛華にも聞こえていた。
し、新聞てあのモンスター扱いのことかしら??
蛾から蝶に扱いが変わって少しマシになってるけど。
え?私今モンスターだと思われてる?
でもあの男の人勇者だって言ってたし。。
愛華は「新聞」と「黒蝶」という単語に困惑する。
「そうさ!このお方こそ女神サザンドラが遣わした勇者様さ!」
クレハはこの危機的状況を脱しようと、勇者である愛華を強調させた。
周囲の人間から「おおお!」と歓声があがる。
「勇者様がやめろと仰ったんだ!こんなことやめとくれ!!」
「や、やはり、クラウス様!まずいです!」
「だ、だがこの黒づくめの女が勇者という証拠が無いではないか!!」
クラウスは愛華を指さした。
確かにクラウスの言う通りだ。
周囲の町民も一斉に愛華を見つめて息をのむ。
「証拠・・・」
身分証的な物はあれしかないよね?
愛華は【メニュー画面】を開いた。
それだけで
「おおおおお!!!」
「凄い!!」
「本物だ!!!」
などと歓声が上がる。
クラウスはまずいという表情をした。
愛華の操作は続く。
【アイテム】を開き勇者の証であるノーザから支給された手形を取り出した。
愛華は慣れたものの、何もない空間からヌルりと物が出てくる様は民衆の確信をつくのに十分だった。
「おおおおおおお!!!」
「なんだあれ!!??」
「何もない所から!!!」
「神の御業だ!!!」
民衆は歓喜した。
「これで・・・いいですか?」
愛華は手形を見せた。
「そんな・・・」
クラウスは愕然とし膝をついた。
「しっ、しかし勇者様!本当に勇者様ならば私はヴェルダ城でお会いになっているはず!失礼ですがお顔を拝見させてください!!」
民衆からはまだ疑うのかと呆れたため息がこぼれた。
愛華はそこまで言われて思い出す。
ああー!!
あの顔合わせの時にいやらしい顔で挨拶していた人!
そっか!だから見たことあると思ったのね。
この国の貴族だったんだ!!
「お、お久しぶりです。」
そう言ってもちろん覚えていましたよとアピールしながら愛華はフードを外した。
「はぅ!!」
北の大地に春の風が吹いたようだった。
絶世の美少女が自分の目の前に佇んでいる。
あの日、初めて会い手に入れたくてしょうがなかったあの女性が!
クラウスはしばらく見惚れた後、ハッと我に返り今の状況が非常にまずいと理解した。
「た、大変失礼しました、勇者小嶋様!!!な、何をしている!!す、直ぐにその女を自由にしろ!勇者様のご命令だ!」
態度を急変させたクラウスはさも護衛がしでかしたことのように命令し始めた。
「ええ?は、はい!」
護衛は慌ててアルバナの革紐を解きだす。
「アルバナ!」
「母さん!」
自由になったアルバナとクレハは涙を流しながら抱き合った。
気を失ったままのバージルも民衆の一人へと託される。
集まっていた民衆からの尊敬や希望的な眼差しが愛華に注がれていた。
う。
そんな目で見ないで~!
民衆からのキラキラとした目線が愛華の心に突き刺さる。
私は役に立ったのかな?
もう行っていいのかな?
今にも逃げ出そうとしていた時、「勇者小嶋様!」とクラウスから話しかけられる。
ギクッ
「は、はい。」
しょうがないからクラウスの方へ向き直る。
「お見苦しい所をお見せいたしました!!お詫びに我が屋敷へご招待したいのですがよろしいでしょうか!?」
クラウスからの膝をついた必死の申し出だが嫌で嫌でしょうがなかった。
民衆も「ええー行っちゃうの?」という表情で見ている。
「い、いえ、私は旅を急いでいますので・・・」
やんわり断ろうとした。
「そうですか!!!来てくれますか!!!ありがとうございます!!!」
ええー!!
行くことになってる!!!!
こんな暴力男と一緒の空間なんて耐えられないんだけど!!!
押しに負けて連れてこられてしまった。。
そこは街で一番目立つ豪華な屋敷。
頑丈な高い石の壁に囲まれ、見事な庭にはバラが咲き誇り、左右対称の屋敷の中は壁紙も家具も一流品ばかりだった。
「お帰りなさいませ、クラウス坊ちゃま。」
しかし使用人たちの顔は暗い。
愛華は客用のサロンに通された。
「あー早く帰りたい。」
お茶と茶請けで暇を潰しながら、ぼんやりと庭を見ていると、ガチャリとサロンのドアが開き、クラウスが入ってきた。
「ああっ、勇者小嶋様っ!お待たせして申し訳ありませんっ!」
くるくると回りながら登場したクラウスは着替えをしていたようで、服が上等な物に変わっていた。
愛華には心底どうでもよかったが。
「いえ、それで当主様はどちらに?」
愛華はせめてクラウスの民衆への対応を止めてもらうよう、当主に話すべきだと考えていた。
「申し訳ございません!父と兄は王都の自宅におりますので、普段はここへは来ませんっ!」
げ。そうだったんだ。
じゃあ完全に無駄な時間だな。
早くお暇しよう。
そう思ったがクラウスの話は続く。
「・・・ですのでっ、現在この屋敷には勇者小嶋様と私の二人きり、ということになります!!」
愛華はお茶を吹きかけた。
「いえ、しかし使用人の方達もいらっしゃるのでは?」
「ああ、あいつらはいてもいなくても同じですので勘定しておりません!」
フフフと気味の悪い笑みを浮かべて愛華をいやらしい目で見つめる。
ヤバい。
早く帰ろう。
そう思い立ち上がった時だった。
フラりと足がフラつき倒れそうになる。
クラウスがすかさず抱き留めた。
「おっと大丈夫ですか?旅のお疲れが出たのでは?」
「いえ・・・大丈・・・夫・・・で」
クラウスに触れられて気持ち悪いと思ったが視界がぼやけて意識が遠くなる。
あれ?寝不足のせいかな?眠た・・・い・・・
愛華の意識はクラウスの腕の中で切れた。
クラウスが「大丈夫ですか?」と顔を覗き込むとすぅすぅと寝息を立て寝ている。
「フ・・・フフフ!!フフフハハハハ!やった!!!!」
クラウスは愛華に出した紅茶に睡眠薬を入れていたのだ。
愛華はクラウスの人柄を舐めていた。
町民は領主達が平気で領民を殺すことを知っていたが、愛華は知らなかった。
それは平和な日本で生まれ育った弊害でもあった。
やった!やった!やったやった!!!
ついに手に入れた!!!
この僕が!!!
父様も兄様もいつも僕を見下しやがって!!!
僕は父様や兄様が持っていない物を手に入れた!!
極上物だ!!!
「あはははははは!!!」
町民どもは僕が勇者を招いたことを知っているが、とっくに帰ったとでも言っておけばいい。
それに愚民の言動などどうとでも変更できる。
父様と兄様はなんて言うかな?
嫉妬に狂う姿が目に浮かぶ!!!
「ん・・・」
まだ眠い。
ここは???
見たことのない天井だった。
薄暗い。
窓が無い。
あるのは天井の四つの小さな摩晶石による明かりと、ベッドサイドの一つだけ。
どうやら自分は万歳のポーズで今大きめのベッドに寝かされているようだ。
愛華は状況がわからず、ベッドの上で起き上がろうとした。
しかし腕が引っ張られて元の場所へ戻される。
んんっ!?
見ると両腕がベッドのヘッドボードの輪になった太い柱部分とそれぞれ革紐で結ばれて固定されていた。
私・・・拘束されてるの?
足は・・・自由だ。
足は特に何も固定されておらず自由に動かすことができ、それをバタバタして確かめた。
「なっ!もう目を覚ましたのか!?」
横からクラウスの驚きの声がした。
「まだあと数時間は意識が無いはずだぞ!さてはあいつ分量を間違えたな!!」
何を言って・・・
愛華はまだ頭が追いつかなかった。
「くそ!服を脱がせるのが大変になったじゃないか!」
実は愛華も気付いてないが、睡眠薬を毒と認識した勇者の身体が反応し、状態異常『毒』にレジストした結果目覚めるのが早まったのだった。
もちろん高レベルな程レジストの力は強い。
「まぁ、いい。脱がせる楽しみが増えたと思えばいいか。」
クラウスはカチャカチャとトレイの上で何か器具をいじっている。
愛華も段々と現実を認識し始め恐怖を感じ始めた。
「ここはどこ?どうして私を縛ってるんですか?」
「ああ、勇者小嶋様、あなたはもう私の物なんですよ。理解できますか?」
「え・・・」
「今、たっぷりと身体に教え込んであげますからねぇ。」
振り向いたクラウスはその手に液体の入った注射器を持っている。
「それは・・・???」
愛華の声は震えている。
「これですか?強力な媚薬みたいなものです。これをキメると初めてでも最高に気持ちよくなるんですよ?もっと、もっと突いてくれと私に懇願する程にね。」
愛華の瞳に涙が溜まり始める。
こんなことがありえるだろうか??
家に招いた人間を監禁して暴行する?
サイコパスな映画ではないのか?
クラウスはニヤニヤしながら近付いてくる。
こんな・・・犯罪が許されるはずない。
こんな酷い・・・。
注射器を見つめる瞳から溢れた涙が目尻を通してこぼれた。
クラウスが愛華の固定された右腕に近付く。
こんな・・・
こんなことが・・・!!
逃げないと!
恐怖で固まり注射針から目が離せなかった。
動け!動け!
注射の針が愛華の白い腕に刺さりそうになったところで、ようやく愛華の体が動いた。
愛華は腰を浮かせて右足を勢いよく上げクラウスの顔面に蹴りを入れた。
バキッという物凄い音がしてクラウスはベッドの横に転げまわる。
「うあああああああああ!!!!」
凄い手応えがあった。
そのことで愛華は自分が何なのか思い出す。
そう、そうよ、私は勇者!
今の私の【攻撃力】は154!
いくら【攻撃力】のショボいマジシャンでもレベル1の一般人には十分通じる!!
この革紐も力で・・・!!!!
「っんん~~~~~~!!!!!!」
愛華は顔を真っ赤にして革紐をちぎろうとするがさすがに無理だった。
メキメキと音はするものの、手首の締めが一層増して辛くなるだけだ。
ガーン!!
ど、どうしよう!!!
ぐずぐずしてると右で転がってる奴が起きちゃう!!!
右に視線を向けると、先程まで転げまわっていたクラウスが起き上がろうとしていた。
「この・・・お前まで私をコケにするのかあああああ!!」
「きゃああああああああああ!!!」
クラウスの顔が歪み・・・正しくは顎が外れて左へ出張っており、その怒りの表情と相成って化け物のようだった。
「くそ!くそ!くそ!くそがああああ!!」
クラウスは左手で顎を抑えながら拾った注射器を愛華の胸に突き刺した。
「きゃああああ!」
「!?」
愛華のHPバーがほんの少し減って表示された。
「なんだ!?針が刺さらない!!??鎖帷子でも着ているのか!?」
「!!」
私の【防御力】が守ってくれてる!!
今だ!
愛華は針を刺しているクラウスの腹を両脚で蹴った。
「うごっ!?」
クラウスは色々な物を口から漏らしながら部屋の壁まで吹っ飛び背中を壁に打ち付けて落下した。
意識を失っているのか動かない。
愛華は今のうちにと縛られている両手を見る。
「やるしか・・・!!」
念のためもう一度全力で粘ってみるが、紐がちぎれる気配もヘッドボードの柱が折れる気配もしない。
やっぱりやるしかない!
愛華は覚悟を決めた。
威力を抑えて・・・
《ファイ》!
魔方陣が光った数秒後、愛華の寝ているベッドの頭上がボウっと燃え出した。
「あちちちちち!!」
頭上も熱いが一番近い手が熱すぎる。
早く・・早く・・・
焦る気持ちで頭上の炎を見ているが、その炎で暗かった部屋のなかが照らされ始める。
愛華は自分の足元の先にある存在に意識を移し始めた。
ん?
牢屋・・・いや、大きな犬用くらいのケージ?
それが三つ並んでいた。
その中には・・・
「ひっ・・・」
愛華は言葉を失った。
狭い檻の中にはそれぞれ若い女性が全裸で入れられていた。
三人とも全身痣だらけでぐったりとしている。
右の檻の女性は痣だけでなく顔が腫れあがっていて膿んでいた。
左の檻の女性は全身痣があるがそれよりも目立つのが大きく膨らんだお腹だ。
どう見ても妊娠している。
真ん中の檻の女性は比較的最近入れられたのか痣以外の傷はそこまで無いが苦しそうに泣いている。
愛華は涙が止まらなかった。
頭上の火が燃え上がりより一層、部屋の中が見える。
様々な拷問器具や壁の血のシミも見え始めた。
炎はさらに勢いを増しプツりと愛華を縛っていた革紐を切った。
手に火傷もしているし愛華のHPも1割程削れた。
しかしそんな事はどうでもよかった。
目の前の女性の悲惨さに比べれば。
愛華は火傷をしたままの手で『双月』を取り出し、正面の牢屋めがけて泣きながら構えた。
「ひっ・・・殺・・・ないで・・・」
正面の女性は恐怖の顔になる。
-ヒュン
カシャン
「え・・・?」
正面の牢屋の鍵を撃ち壊した。
ヒュン ヒュン
左右の牢屋の鍵も同様に壊した。
よろけながらも、HP回復のコキュの実を複数取り出して檻に近付く。
「・・・たは?」
声が出ないのか正面の女性は聞き取りづらい声で聞いた。
しかし愛華は答える気力が無かった。
勇者ですなんて言う気にもなれなかった。
黙ってコキュの実を近づけて《使う》と念じる。
キラキラッ
女性の傷が癒える。
苦しそうだった女性の顔が楽になり、涙をこぼし始めた。
「自力で出れますか?」
愛華は檻の扉を開けて手を差し伸べだ。
「あ、ありがとう。」
泣きながらお礼を言う彼女が何かに気付き表情が変わる。
愛華の後ろを見て口を開いた。
「きゃぁーーーー!」
ガシャン!
後頭部に衝撃が来た。
「フーッ・・・フーッ・・・死ねぇ!」
後ろからクラウスの荒い息遣いと嬉しそうな声がする。
頭の上から花瓶の破片と思わしき物が愛華の髪を伝って転がる。
「っああ・・・ああ・・・・」
檻から出ようとしていた女性は恐怖に声も出せず再び檻の中へと自ら戻る。
愛華の中にどす黒い感情が湧きあがった。
人を・・・
殺そうと思ったのは初めてだ。
愛華は何事もなかったかのように立ち上がった。
「ひっ、ひぃ!!!何故!?」
クラウスは尻餅をついて、ずれた顎を抑えながら燃えているベッドの方へ後ずさりした。
後頭部を花瓶で殴ったのに平然としている愛華にクラウスは恐怖を感じ始める。
「なぜ・・・??」
ゆっくりと殺意の対象へと向き直りながらフードを被った。
「それは・・・こっちの台詞ですよ?」
すると先程フードの中に入ったと思われる花瓶の欠片がバラバラと愛華の頭に床に落ちる。
そしてゆっくりと右月の銃口を向ける。
フードの奥から感情の無い目がクラウスを捉えた。
「何故なんともないのだっ!?化け物か!?」
「化け物?」
愛華の中の何かがピクりと反応した。
「その美しさも化け物故ということか!!それで人間を誑かし食い物にしているのだろう!?」
ああ、そうか。
愛華は目を閉じて思い出す。
昨日のハイロでの新聞記事、学校での周りの目、道行く人達の目、家族が自分を見る目が脳裏をよぎる。
皆私を化け物を見るような目で見ていたのか。
だから距離を・・・
だから私は・・・・
メラメラと火が燃える室内で、どんどん煙が充満してくる。
「ごほっ・・・このままでは・・・!!」
クラウスは目を閉じて何かを考えている愛華を見て今がチャンスと部屋の出口へ走り出した。
「!!一人だけ逃げる気?」
直ぐに追いたいが、女性を放ってはおけない。
愛華は中央の檻に入っている女性へ視線だけ移し、持っていたコキュの実を4つ投げた。
「これで左右の女性を助けてあげてください。そして火事に乗じて逃げて。」
見ると炎は壁一面へと広がり一部が崩れ始めていた。
「あっ、あの・・・!」
檻の中の女性は不安気にすがる様な目で何かを言いかけたが、愛華は『双月』を握ったままツカツカとクラウスが逃げた方へ歩き出した。
フードの中の愛華の表情は落ち着いてはいるものの、その目には殺意が溢れていた。
「逃がさない。」