14話 殺人鬼1
■1日目 午後9時28分 フロンティア西部 湾岸倉庫地区 "シーピース社"倉庫 B1F 通路
カインはサーバールームを出ると、1人通路を歩く。
その姿に先程のような気軽さはない。
まるで、絞首台に登る死刑囚のように、一歩、一歩、噛みしめるように歩いていく。
「死なない程度に頑張る……か。さて、どうなるかな」
敵は反エーテルリンカ―を掲げるテロ組織"マーダーエーテル"。
カインは今までの経験から、この規模の施設であれば戦闘要員は30名前後だと予想する。
つまり、カイン1人で30人を相手にするということ。
常人であれば、いや、能力者であっても、それは絶望的な戦力差である。
しかも敵は反エーテルリンカ―を掲げているが、能力者を手先として使うことも知られている。
おそらく、能力者はいると見るべきだろう。
――おそらく、敵の能力者は多くて3人程度だろう。
「まあ、3人とは言っても、能力者1人の相手だって相性次第では厳しいんだがな」
能力者だけを見ても戦力差は1対3。
さらに言えば、カインの能力は多人数を相手に出来るような能力ではない。
客観的に考えれば、数の暴力で押しつぶされ死ぬ可能性は非常に高い。
そう考えた瞬間、カインの身体にまるで氷を突っ込まれたかのような悪寒が走る。
臭い立つような死の予感。
こうして歩を進めるごとに、死の臭いは強くなる。
「……だが、この感覚は悪くない。
自分が"まだ"死んでいないと実感できる」
死に近づけば近づくほどに、その感覚は強くなる。
視覚できるほどに明確な"死の気配"。
それはカインの身に流れる"如月の血"によるものだ。
「……魔術の研鑽とは、膨大な血と魂の積み重ね。
ああ、まったく魔術師とは碌でもない」
カインは自嘲するように口にする。
いつの間にか、彼のくすんだ茶色の瞳は、まるで死体のように濁り、暗い光を灯していた。
それは翠玉の瞳の様な、宝石を思わせる輝きはない。
ただ、暗く、冷たく、濁っている。
――俺にも翠玉のような魔術があれば良かったのだが。
本業の魔術師である翠玉の魔術は、"運命"の魔術。
カインは術の詳細を知っているわけではないが、何らかの方法で確率を弄っていると予想している。
おそらく確率が10%程度もあれば、それをほぼ100%近くに引き上げることが出来るのだろう。
それに対して、カインの、いや如月の魔術は"境界"の魔術。
では、何に対する"境界"かと言えば。
――それは、生と死の境界。
その目指す先は、生と死の境界を曖昧にし、霊体に生身で干渉することだ。
カインに流れる魔術師の血。
その始まりである初代当主"如月"は超能力者であり、その能力こそが"生と死を曖昧にする力"であった。
初代如月は、生身でありながら霊体へ直接触れることが出来た。
それだけではない。如月の血を混ぜた刀や弓もまた、霊体に対して物理干渉を可能にする。
初代如月はこの力を使い多くの魔を狩り、彼は一代で退魔師として成り上がることに成功した。
しかし、それは魔術ではなく、生まれついて持った特殊能力。
知識や技術、血統によらない純粋な才能ゆえに、本来は彼一代でなくなる力だった。
だから、初代如月はその力を使って、女の幽霊に自身の子供を産ませた。
そうして、幽霊の血を引く異端の一族が生まれた。
それが如月の一族だ。
彼らは血の中にこの世ならざるモノの力を宿し、それにより霊体に干渉できる。
――しかし、その力は幽霊に対して効果はあっても、生身の人間相手では大した意味はない。
事実、12年前のテロでは、如月冬馬はテロリストに殺されてしまった。
――そう、如月冬馬はあの日、確かに死んだ。
それは間違いない。なぜなら如月は退魔の家だ。自分自身が死んでいるのか生きているのかぐらいの区別はつく。
では、今ここに居る彼は何なのか?
――何のことはない。
俺はただの死に損ない。如月冬馬の死体に宿った人ならざる者。生きる屍。
「如月の人間は、そうした者を"鬼"と呼ぶが……
中々どうして、殺人鬼という異名は真に迫っている。
……来たか」
カインは思考を打ち切り、戦いに備える。
リィーンシリーズと戦った通路の先から、武装した大勢の人間がなだれ込んでくる。
彼らは1本道の通路を完全に塞ぐと、一斉にマシンガンの銃口をカインに向ける。
「ふむ……29人か」
既に銃口を向けられている絶望的な状況であるが、それでもカインは冷静に敵の観察を行う。
銃を持っているのは24人。
彼らは8人ごとに3列を作り、前列の人間は膝立ちとなり、2段目の人間の射線を塞がないようにしている。
更に後ろの3段目は、銃を持っているが、まだ構えていない。
その3段目の更に後ろには、リィーンシリーズが3体。さらに能力者と思われる男女が2人。
男の方はライダースーツに身を包み、女の方はアイドルが着ているようなステージ衣装であった。
それはとても珍妙な格好であるように思うが、能力者には良くあることだ。
能力には精神力が大きく関わる。
その為、服装が果たす役割は大きい。
誰だって、皺ひとつないスーツを着込めば気が引き締まるだろう。
実際、翠玉が常にゴスロリ服を身に着けているのも同じ理由であり、カインも普段は黒いコートを愛用している。
もっとも、カイン程度の能力者だと服装による戦意高揚よりも、防御力を上げた方が良い場合も多く、今回は戦闘服を着ている。
――しかし、リィーン・シリーズを含めて、能力者が5人……ちょっと多いな。
ここはセオリー通り、分断するのが得策か。
カインは作戦をまとめると、ヘルメットのバイザーを上げ、素顔をさらす。
あらわになったカインの瞳は、"くすんだ茶色"。
能力者の瞳と髪は、強いエーテルを宿すほどに彩度を上げる。
その輝きのない瞳に、テロリスト達は嘲笑する。
"ランクの低い能力者が、29人を相手に何が出来ると言うのか"
声にこそ出さないが、それが彼らの内心だ。
――侮ったな。だが、それでいい。
わざわざ素顔をさらしたのだ。侮って貰わないとむしろ困る。
続けて、カインは至極真面目に口を開いた。
「俺は能力者ギルド所属のエージェント"カイン・リュート"だ。
なぜ俺のようなエージェントが居るのか、説明の必要はないだろう。
全員、武器を捨て、大人しく投降しろ。そうすれば命だけは助けてやる」
その言葉にテロリスト達は今度こそ、耐え切れずに爆笑する。
「はは!!おい、聞いたか?命だけは助けてやるってよ!!
自分の立場ってやつが分かってないみたいだぜ!!
お前1人で俺らを相手に出来ると思ってんのか?」
ライダースーツの男は、輝くような黄色の髪を揺らしながら嘲るように笑う。
それに対して、カインはやはり真面目に答える。
「抵抗すると言うのなら、そうなる。
だが、お前達も死にたくはないだろう。俺だって無用な殺生はしたくない。
悪いことは言わん。大人しく武器を捨てるがいい」
カインの言葉にまた笑いが起こる。
「ふふふ……その言葉、そっくりそのままお返しするわ。
低級でも能力者は能力者。大人しく投降するなら、命だけは助けて上げるわ」
綺麗なピンク色の髪を持つステージ衣装の女は、よく通る声でカインに答える。
彼女の声は、敵であるにも関わらず心地よく彼の耳朶に響く。
その声には、微量であるがエーテルの気配がした。
――あのステージ衣装といい。恐らく声、歌を媒体にする能力者か。
危険だな。なるべく速く殺さなければ。
もともと、こうして会話を始めたのは、問答無用で一斉に叩かれることを防ぐためだ。
テロリスト達は、完全に舐めてかかっている。
場の雰囲気も良い感じに弛緩している。
――仕掛けるならば、ここだろう。
カインは腰に吊るした刀の柄に手を添える。
「おいおい、そんな刀でチャンバラでもする気か?」
ライダースーツの男は嘲るようにそう言うと、配下の手下に合図を送る。
彼らは見せ付けるように、マシンガンの安全装置を外した。
「お前、死ぬぜ?」
そう見下すライダースーツの男に対して、カインは一転して地獄の底から響くような暗い声で言い放つ。
「まったく……理想と現実の区別がつかないテロリスト、頭のイカれたカルト集団、穢れた異界のモンスター。
そして、死に損ないのアンデッド……か。
この世界には、どうしようもないはた迷惑な連中が多過ぎる。
だから、潰し合おうぜ。――"我は境界の向こう側を歩く者"」
カインは呪文を唱えると同時に、抜刀する。
その瞬間、この空間にいる者は凍りついた。まるで首に刀を押し付けられたかのような圧倒的な死の予感。
テロリスト達は思わず、自分の首が繋がっていることを確認してしまう。
もちろん首は繋がっている、当然だ。それはただの幻なのだから。
カインにとって刀とは魔術の触媒、呪具である。
だから、それを抜くのに合わせて殺気を込めた。
魔術師としてみれば、初歩の初歩ともいえる暗示の魔術だ。
だが、効果は覿面だった。
この中にいる者のどれだけが、死ぬ覚悟を持って戦場に立っていただろうか?
仮に普段はそうであったとしても、先ほどまで相手は低級の能力者1人と舐めていた。
"死ぬのは相手で自分ではない。"
そんな前提を、カインの魔術はズタズタに引き裂いたのだ。
――馬鹿め。戦場では死は皆に等しく訪れる。俺もお前達も等しく死ぬんだ。
テロリスト達は軽いパニックに陥った。
いや、全てではない。浮き足立つテロリスト達の中から、3人の影が飛び出した。
綺麗な水色の髪と、同色の瞳を持つ3人の少女"リィーン・シリーズ"。
――そうだ。それでいい。リィーン・シリーズは戦闘用に調整された人造能力者。
ちょっと殺気をあててやれば、簡単に釣り出せる。
3人の少女は手に揃いの槍を具現化させると、迷いなく突っ込んでくる。
その速度は速い。カインが1歩踏み出した瞬間、リィーン達は10歩の距離を詰める。
「速いは速いが、速さ"だけ"ではな」
カインは右側のリィーンに対して、さらに一歩を踏み込む。
こうすれば、一瞬の時間だが、1対1に持ち込める。
もちろん、少しでも手間取れば、即座に袋叩きに合うだろう。
カインの踏み込みに対して、右側にいたリィーンは槍を突き出す。
顔面を狙った槍に対して、カインは顔を傾けるだけで避ける。
僅か顔の横1センチの位置に、鋭利な穂先が通り過ぎていく。
――リィーン・シリーズは量産品の能力者。能力は既に知っている。
仮にリィーンとの戦いだったら、カインは絶対にこの様なギリギリを攻めたりしない。
彼女はカインと共に戦場に立ち、経験を積むことで、能力を"武器の具現化"から"武器の改造"へと拡張した。
もしもリィーンの槍をギリギリで避けようとすれば、避けた槍から、さらに槍が生えてくるだろう。
――リィーンには、そういう何をしてくるか分からない怖さがある。
だが、彼女達にはそれがない。"武器の改造"はリィーンが努力で獲得したものだからだ。
故にカインはリスクを最大限に上げて、リターンを取りに行く。
その試みは成功し、目の前には槍を空振りし、無防備なリィーンの姿があった。
カインは右手で握る刀を迷いなく振り抜く。
その斬撃の軌跡は鋭く速く、リィーンの首に吸い込まれる。
「まずは1つ」
彼女の首はまるで最初からそうであったかのように、綺麗に両断された。
一瞬遅れて、首から血があふれ出すが、既にカインの目は中央に居たリィーンに向けられている。
リィーンシリーズは仲間がやられたというのにも関わらず、迷いなく槍を振るう。
それに対して、カインは左手で新たに刀を抜く。
カインの刀は下から上へ、リィーンを掬い上げるような軌道を描く。
真っ直ぐカインを狙う彼女の槍と、カインの刀が激突する。
――リィーン・シリーズは少女型。身体は軽い。
カインは力任せに刀を振り上げる。
その力は凄まじく左腕一本であるにも拘らず、リィーンの身体は槍ごと吹き飛ばされ、天井に叩きつけられる。
それはまさに人外の怪力によるものだ。生きる屍と成り果てたカインの腕力は常人のものではない。
グシャリ、とまるでトマトを壁に叩きつけたかのように、少女の破裂した身体から血が流れる。
「ついで2つ」
冷静にカウントするカインに、最後に残ったリィーンが突っ込んでいく。
残りは自分一人だと言うのに、その瞳には恐怖はない。ただ愚直に前に攻めてくる。
――ここがリィーンと彼女達の違いだな。彼女達は"恐怖心"というものを意図的に抑制されている。
だから、この状況でも真っ直ぐに攻めてくる。しかし、それはただの蛮勇でしかない。
カインは既にリィーン・シリーズの動きを完全に見切っている。
その彼に"これまで通り"に挑むのであれば、同じように斬り捨てられるだけだろう。
カインは右腕の刀を振り下ろす。
リィーンはその斬撃を槍で受け止めようとするが、抵抗は虚しく、カインはその槍ごと少女を両断した。
「これで、3つ」
崩れ落ちるリィーンに対して、ただの事実を読み上げるようにカインは言う。
実際、カインにとって先程の一連の戦闘は、ほぼ作業に等しい。
彼は毎日のようにリィーンと実践と変わらない戦闘訓練を行っている。
つまり、カインは世界で一番リィーンを知り尽くした男であるのだ。
――俺を殺したければ、せめて10人は連れてくるべきだったな。
カインは両手に持つ刀の血を振り払うと、鞘に納める。
そして、残ったテロリストに向けて確認するように言う。
「残り26人」
それは簡素であるが、明確な死刑宣告だった。