1話 はじまり
――あの時のことは今でも憶えている。
中学2年生の夏休み、"能力者"の友達2人に誘われて初めての海外旅行に出かけた時の事だ。
日本と新興国家"フロンティア"を結ぶ大型旅客船"希望号"の旅は、とても楽しい思い出になるはずだった。
……はずだったのだ。
"何もないはずの空間"から、突如現れた戦艦。
ドンッという衝撃。
戦艦から雪崩れ込む武装した兵士達。
銃弾で、刃物で、あるいは"能力"によって、殺される人々。
当時の自分には彼らが何者であるかは分からなかったが、彼らの目的はすぐに分かった。
"能力者の拉致"。
彼らは一般人の乗客はただ殺し、能力者の乗客だけを捕らえていった。
能力者と一般人の区別は簡単に出来る。
能力者の髪と瞳は、赤や青といった特異な色を有し、より強いエーテルを宿すほどにその色は鮮やかになっていく。
友達の髪と瞳は、それぞれ鮮やかな"紫"と"ピンク"。
対して自分の髪は、日本人特有の黒色とほとんど変わらない"くすんだ茶色"。
だから、友達は連れ去され、僕は取り残された。
もちろん、僕は何もしなかったわけじゃない。
友達を助けようとした。だけど、何も出来なかった。
強い衝撃を受け、壁に叩きつけられる。
身体は動かない。強烈な痛みと共に視界の半分が黒く塗りつぶされる。
それもそのはず。
自分の左目と胸には"大きな杭"が刺さっており、背後の壁にまで貫通していた。
それでも、と必死で伸ばした腕は宙をさまよい、程なくして地面に落ちた。
ゴボッと、口から血が流れ出る。
それは、まるで自分の命を吐き出したような感覚だった。
体中の熱がなくなっていき、痛みすらなくなり、意識は暗い闇に落ちていく。
――そう、あの時、確かに"如月冬馬"は死んだのだ。
■
「……夢か……」
くすんだ茶色の頭が、もぞもぞと動く。
黒いコートに黒い服の男――"カイン"は左目を隠すように伸ばした前髪を横にずらし、寝ぼけた目を細める。
数度の瞬きで、左目の義眼は自動的にぼけたピントを合わせてくれる。
目の前の光景は血しぶきが舞う地獄の様な船上ではなく、カインにとってのいつも通りの風景が広がっていた。
手入れの行き届いた大きなテーブルと、整然とならぶ椅子。
テーブルの上には様々な料理が並べられ、多くの利用者が舌鼓を打ち、あるいは談笑していた。
ここは能力者の国である新興国家"フロンティア"。
その西部地区を管轄する能力者派遣組合――通称"能力者ギルド"に併設されている食堂である。
■
西暦2000年に起きた"大厄災"と、それに伴うエーテルの励起現象。
それによって世界は大きく変わった。
身近なところでは、カインが生活している新興国家フロンティアであろう。
フロンティアは大厄災によって、太平洋上に隆起した5つの島で構成される群島国家である。
大きさは5つ合わせて、日本の九州程度の大きさしかない。
大厄災当時は、幻のアトランティスだとか、ムー大陸だとか言われていたその島は、
事実、濃いエーテルによって満たされた島であった。
『エーテル』とは古くは魔力や魔素と言われたエネルギーであり、エーテルを使うことで、様々な奇跡を起こすことが出来る。
そして大厄災以降、エーテルに適応し様々な異能を用いる超能力者、通称"エーテル・リンカー"が現れた。
フロンティアは能力者が、文字通り"作った"国家である。
なぜなら元になった島々は、今まで海に沈んでいたのだ。
当然、土も、木も、水も、何もない。国どころの話ではない。およそ人が住むことなど出来ない島だった。
そのエーテルしかない島を"土"の能力者が大地を生み出し、"水"の能力者が川を作り、"植物"の能力者が島中に緑を植えて回った。
それ以外にも多くの能力者によって開拓が行われていった。
そうしてエーテル研究のための実験場として使われていたこの島は、最終的に独立し、
能力者の国であり、新たなる開拓地、新興国家"フロンティア"となったのである。
2117年の現在では、多くの能力者が移住し、高層ビルが立ち並ぶ、日本やアメリカにも引けを取らない国家となった。
その原動力となったのは"能力者"と、その能力者を派遣する組合である"能力者ギルド"の力が大きい。
"ギルド"とは"能力者派遣"の名の通り、一定の手数料を取る代わりに能力者の能力を"ランク"という形で保証し、依頼人に目当ての能力者を派遣する国際組織である。
このギルド制度によって、今は金さえ払えば国外からでも目的の能力者を斡旋して貰えるようになった。
ギルドに登録した能力者は"エージェント"と呼ばれ、カインもまたエージェントの1人である。
カインを含め、多くの能力者が集まるこのフロンティアは、ギルドに対して積極的に支援を行った。
この能力者の派遣業によって、フロンティアは今の地位を築いたのだった。
■
「やれやれ……視界は良好っと」
カインは左目の義眼の調子を確認し、次に胸に手を当てる。
心臓の鼓動はいつもより速いが、問題なく動いている。
夢見が悪く、テンションが駄々下がりであることを除けば、身体に一切異常はない。
「まったく、12年も前のことを未だに引きずっているとは……。
あーあー最悪だ……あの夢を見た後は、だいたい碌なことが起きない」
そう言うと、カインは不貞寝をするように、もう一度テーブルに突っ伏した。
「……あらあら、私のご主人様が無防備な姿で寝ているわ。
これは私にやってくれという合図なのかしら?」
いつの間にか、音もなくカインの隣に少女が立っていた。
年歳は12歳ぐらい。綺麗な水色の髪と、同色の瞳を持つ少女。
その髪は肩の辺りできれいに切りそろえられ、くりくりとした可愛らしい瞳をしている。
肌は透き通るように白く、まるでビスクドールを思わせる少女であった。
その少女――"リィーン"は、カインに向けて手をかざす。
すると、何もない空間から一振りのナイフが現れた。
種も仕掛けもない、それは通常あり得ない現象――すなわち、それが彼女の"能力"であった。
突きつけられたナイフに、カインは顔をしかめる。
「……何でそうなる。そこは優しく慰めるのが出来る女ってやつだ」
その言葉にリィーンは不思議そうに首をかしげる。
絹の様な艶やかな髪が、その動きに合わせて揺れる。
「でも、カインはそんな慰めなんていらないでしょう?」
「まあな」
「だから私はナイフを構えるの。
色々と悩むぐらいなら、私と殺し合いをしましょう。
些細な悩みなんて、きっと吹き飛ぶわ」
「そりゃ、そうだろうよ。
まったく……それよりもリィーン、バイトの方はいいのか?」
カインとリィーンはギルドのエージェントとして、コンビを組んで活動しているが、
彼女は本業の合間、この食堂でバイトをしている。
この時間であればコック姿で包丁を振るっているはず……
しかし、今は真っ白いブラウスに赤いスカートに着替えていた。
――それは、つまり。
「仕事か?」
当たり、とリィーンは嬉しそうに頷く。
「ギルド長から伝言。カインに依頼したい仕事があるって」
『ギルド長から』、その言葉でカインの眉尻が上がる。
通常のギルドの依頼は、一般職員が対応を行う。
ギルド長自らが依頼の対応など、普通はしない。
つまり今回の依頼は普通じゃない、ヤバい案件という訳だ。
特にカインが得意としてる仕事は荒事の解決なのだから……最悪、死も覚悟しなければならない。
カインは表情を引き締め、頭を仕事モードに切り替える。
それに対して、相棒であるリィーンはニコニコとご機嫌だ。
「リィーンは嬉しそうだな」
「もちろん。ギルド長からの依頼ということは、ヤバイやつでしょう?
ヤバイ能力者や魔術師、サイボーグ……どんな相手と合間見えるのか、今から楽しみね」
まるで遠足の日を待ちわびる少女のように、リィーンは微笑む。
「……そうだな」
彼の方はどんな無茶ぶりがくるのか戦々恐々としているが、それでもギルドのエージェントとして、10年以上戦ってきた。
死線の一つや二つ、三つや四つは越えてきたのだ。
仕事となれば否やはない。
「それで、いつ依頼の話が聞けるんだ?」
「第1会議室に依頼人が来てるから、詳細は依頼人から直接聞きなさいと」
「もう来てるのか……随分と急ぎだな。
分かった。すぐに行こう」
カインは黒いコートを翻し、椅子から立ち上がる。
「私も行った方がいいかしら?」
カインはリィーンの方を見る。
彼女の見た目は幼い少女そのものだ。
普通なら小学校にでも通っていそうな少女が、交渉の場にいる。
それは常識で考えれば有りえない。
だが、彼女は能力者だ。能力者に年齢も性別も関係ない。
「ギルド長からの依頼だ。
どんな依頼かは知らないが、状況次第じゃ法律なんてクソ食らえの汚れ仕事だろう?
今さら『少女を戦場に連れていくべきではない』なんて常識を言っても仕方がない。
それなら最初からリィーンに居てもらった方がいい」
「了解、了解。それじゃあ、行きましょうか」
「おう!」
そうして2人は並んで歩き出す。
さて、今回はどんな依頼が待っているのだろうか。