23.突然の破局
【前回のあらすじ】
6日間の帰省を終えて、琴乃はマンションに戻った。強がりばかり言うボクは、最初のうちこそ素っ気ない態度を取ったりしていたが、夜、家人の目を盗んでメッセージをしてきた琴乃のことを愛しく思う。
琴乃もまた、家族も大切だがムーちゃんは特別だと思いなおす。
ふたりはメッセージを再開する。琴乃は布団に潜り込んでムーちゃんと電話する。
これまでと同じふたりに、一瞬で戻れた。ふたりともそう思った。
すべてボクの杞憂だったようだ。6日間の旅から戻った彼女は、以前と変わらぬままの彼女だった。ボクを愛し、ボクのことだけ見つめ、全てがボクを中心に回っている。溢れんばかりの愛情を注ぎ続け、ボクの好む言葉を選び、ボクを喜ばせようとする。疑いもなく、彼女こそボクが追い求めてきたアンドロギュノスの片割れだった。
この6日間の我慢は無駄じゃなかった。彼女に嫉妬深いボクを見せなくてよかった。弱音を吐いて助けてくれと、泣いて縋りつくみっともない姿を見せずによかった。
ボクは落ち着いて彼女を愛し続ければいい。すべての時間を彼女に依存しているけれど、そんな様子を悟らせることなく、ただひたすら彼女のことを思い続ければいい。その気持ちは、きっと正しく彼女に伝わる。だから今は、それ以上を要求する必要はない。
いずれ、神が決めたその日が訪れる。必ず報われる。今は躊躇しているボクだが、きっと彼女をこの手に抱く日が来る、そう信じよう。
翌日、彼女はいつもの美容院に出かけた。その行き帰りに少しだけど電話ができるとメッセージが届いた。
それで十分だ。ボクは勝ち誇った気分だった。彼女はどこにいようと、誰と接しようと、ボクを最優先する。ボクしか見ていない。だから安心して彼女の思うままにさせよう。彼女が疲れる話題は避けよう。それでなくても彼女はボクを追いかけすぎている。これ以上の無理をさせてはダメだ。彼女が壊れてしまう。少しくらいの事なら、ボクが我慢しよう。今度はボクが追いかけよう、そう決めた。
きっと彼女は辛い6日間を過ごしたはずだ。満足にボクと連絡が取れない中、周囲の冷たい視線にじっと耐えたのだろう。そうだ、そうに違いない。そもそも気乗りしない帰省だと言っていた。できれば行きたくない、誰とも会いたくないと言っていた。留守番してボクとずっと会話していたいと言っていた。家の人が戻ってきてから、真綿で首を絞められるように監視されて、気持ちが塞ぐと言っていた。家族のことなど二の次だと言わんばかりだった。今すぐ彼女を受け入れることのできないボクは、少し時間稼ぎしないと、思い余った彼女が家を飛び出してしまうのではないかと心配したほどだ。
迂闊だった…… 彼女はきっと辛かったんだ。そのことを昨夜は慰めてあげなかった。愚かだった。きっと彼女はボクにそのことを言って欲しかっただろうに、それを我慢してボクのくだらないエッチな話と趣味の話につきあったんだろう。
彼女が愛しい。今の気持ちを一番正しく表現するとすれば、「愛しい」だ。狂おしく愛しているわけではない、自分中心に限りなく奪う愛の対象ではない、どちらかと言えば、惜しみなく与えたい、ボクのすべてを捧げたい、そう、娘に対する親愛の情に近いと思った。「愛しい」これからは彼女にこの言葉を贈ることにしよう。そう思った。
お昼過ぎ、彼女からメッセージが届く。
「美容室終わったよ。これからこの近くをブラブラするよ」
「おつかれさま。すぐに帰らなくていいの?」
「うん、大丈夫、少しムーちゃんとメッセージしたいし」
「嬉しいな…… ボクもずっと待ってたよ」
少しずつでいいから、正直な気持ちを伝えよう。待っているなら待っていると、会いたいなら会いたいと、素直に表現しよう。
「私も。今日も写真いっぱい撮るから、あとでアップするね」
「うん、ありがとう。そう言えば、昨日は富士の裾野の写真、ありがとう。綺麗なところだね」
「そうでしょ! 行きは曇ってて、ムーちゃんに送られるようないい写真が撮れなかったんだよ。だから、帰りにいい天気になって、これなら送れる! って嬉しかった。気に入ってくれた?」
「うん。見たことのない方角からだなと思って見てた。ボクの知らないところだね」
「そうなんだ」
「ほかにも写真撮ってたら、アップしてみてね」
「…… うん、いいのがあったらね」
彼女は少しだけ言い澱んだ。それはそうだろう。ボクには見せられない家族との団欒があってもおかしくない。それか、辛く我慢を続けた6日間のことを思い出したくないのかもしれない。不用意な発言だった。
「6日間は辛かったでしょ?」
ボクは聞いてみた。うん、辛かったと彼女は言うはずだった。不本意にも夫の家族と一緒で辛かったと言うはずだった。
「うん、ムーちゃんになかなか連絡できないし、辛かった。ごめんなさい……」
少しニュアンスが違うように感じた。だからついついこんな質問をしてしまう。
「家の人の家族に会うって、どんな気持ちがするものなの?」
言外に、こんな状況で夫の家族に会うのはさぞ辛かっただろうね、という意味を込めた。
「大切にしなきゃと思った。この人たちを裏切ってると思うと、本当に心苦しかった」
どういうことだ……? 一瞬にして頭の中が真っ白になった。
大切にする?
裏切ってる?
相手の家族を?
ボクではなく?
彼女は一体休暇中に誰のことを考えながら過ごしたんだ?
ボクのことで頭がいっぱいなはずじゃなかったのか……
何を言ってるんだろう……
これはボクにさよならを告げているんだろうか……
何が起こっているんだ……
どんな顔してボクにこんなこと書き送ってくるんだ……
ボクがどんな6日間を過ごしたか、彼女には想像もできなかったのか……
我知らず、勝手に指先が反応してしまう……
「ダメだ…… 琴乃……
ボクは立ち直れそうにないよ……
終わりだよ……」
そう送信していた。ボクの寄って立つべき根本が崩れ去った。ボクが相手の夫に嫉妬しなくて済んでいたのは、彼女の心が100%ボクにあると確信したからであって、その確信がなければ、ボクは彼女と同じ部屋に住む相手を呪い殺したくなるほどの嫉妬心に駆られてしまうだろう。そんなの当たり前だ!
「ちょっと待って! 誤解してる! 電話するから」
ボクがメッセージを中断しかけると、彼女が間髪入れず電話してきた。
無視した。
頭の中でダメだ、終わりだという言葉が繰り返される。
彼女の言い訳を聞くまでもなく、この6日間で彼女の内側に重大な心境の変化があったはずだ。それは、最終的にはボクを必要としなくなるという結論にしか到達しえない変化だ。彼女が何と言おうと、それは論理必然として決まりきったことなのだ。
ついにその時が来た。
(ダメだ…… ボクたちはもうダメだ)
ハングアウトの呼び出し音はまだ鳴っている。きっと彼女はボクが応答するまで鳴らすことだろう。だか、ボクはしばらく放っておいた。
窓の外を眺めた。
いい天気だ。風が木々を揺らしている。だが、この光景がなんの感慨をもたらさないことに気づく。
これから、何を見ても何を聴いても、何も思わなくなるんだろう。
彼女を失うことの喪失感、それを思ってみる……
想像もつかない。「無」でしかない。
またスマホが鳴り始める。
彼女はどんな言葉で言い訳するのだろう。
琴乃、ボクはもうキミの言葉をちゃんと聴けてないと思うよ……
読んでくださってありがとうございました。
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ご意見ご感想お聞かせいただくと嬉しいです。
次回は琴乃の一言に感情を抑えられなくなったボクに、なす術もない琴乃を描きます。
引き続きお読みいただけると幸せです。よろしくお願いします。




