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21.依存

【前回のあらすじ】


夫の実家に帰省した琴乃は、今までと何ら変わりなく接してくれる義父母の優しさに触れて涙を流す。この人たちとの関係の中にこそユートピアはあるのかもしれないとまで思う。ムーちゃんのことも大事にしたい、でも私の周囲の人たちも大事にしたい。琴乃にはそんな気持ちがはっきりと意識されていた。

 長かった。とにかく長かった。連休も残すところあと3日。今日はようやく彼女がマンションに戻ってくる日だ。

 マンションに戻ったからといって家の人の単身赴任は解消されており、これまでのような夜が実現する可能性はほぼゼロとなったわけで、彼女の声を聞くチャンスもほとんどないかもしれない。それでも、彼女の言葉を信じるなら、出会った当初よりはもっとずっとメッセージは頻繁にやり取りされることだろう。

 

 この6日間のように、彼女のことが頭を過る都度自分の感情を押し殺し、数行しか頭に入ってこない書物の字面を追うことも、無理やり過去の物語を書き綴るようなことも、もうしなくて済むはずだ。これでやっと日常に戻れるという安堵感に包まれた。


 お昼過ぎ、彼女から最初のメッセージが来た。車窓に広がる富士の裾野の様子だった。おそらく彼女のお気に入りの場所なのだろう。お正月には写真は添付されていなかったが、この景色が好きだというような書き込みがあったことを思い出した。


(何時に着くんだ?)


 気になったボクは乗換案内を立ち上げて、在来線特急と接続する新幹線の到着時間を確認したりしている。彼女に聞けば数秒で済む話を、これかな、それともこっちかななどとあれこれ考えている。ホトホト女々しい男だと自身を蔑むが、そうしなきゃ落ち着かないのだから仕方ない。ほぼ何も手につかずこの日一日が暮れかかる。


 そろそろ新幹線を降りて地下鉄に乗り換えた頃だ。最寄駅からは20分近くかかると言っていた。久しぶりの我が家だから、途中で何か買って帰るのかもしれない。それから夕食の準備をして、ボクにメッセージが到着するのはその後になるかもしれない…… そんなふうに勝手に彼女のタイムスケジュールを追っている。




(ダメだ…… 依存度が高すぎる)





 好きなら好きでいい。だがボクの「好き」は異常だ。そう自覚している。なぜ聞きたいことを隠すのだ。彼女は正面からボクに向かい合ってくれているじゃないか。




(琴乃の帰る時間が知りたいんだよ、でないとボクは何も手につかないんだから)




 なぜそう言って彼女にボクの心情をきちんと伝えないのだ。

 いつでも回りくどく、気付いてくれよと言わんばかり。きっと彼女もそんなことはすっかりお見通しで、だからこそボクのことを思いやり、いつも彼女が先手を打ってくれているのだ。


 それを理解しているなら、なぜ素直にならない、何を恥ずかしがっているんだ、何を隠そうとしているのだ…… ボクは自分自身すら理解に苦しむ態度を取り続けてしまう。




(こんなことをしていると、いつか彼女に見放される…… )




 そんな恐怖心だけがどんどん募る。いつか破綻する、いつかボクの実相に気づかれる、いつか彼女は目の前から消え去る、いつか…… いつか……


 ボクは疑心暗鬼の塊のような男だった。




 そんなボクを喜ばせるように一報が入る。


「ムーちゃん、ただいま。今帰ったよ!」




(ほら見てみろ、彼女は何も変わらない。まだ18時過ぎだからマンションに到着するやボクにメッセージをくれている!)




 ボクは自分の顔が綻ぶのを十分に意識した。だが、できるだけ素っ気なく返事してしまう。




「おかえり。おつかれさま。ゆっくり休んでね」




 お前はバカか!!!!


 なぜ待ちきれなかったと言わない! なぜあと6時間、あと5時間、あと4時間…… そうやってカウントダウンしながら時計を見ていたと言わない! 琴乃のことが恋しくて、本当に死にそうだったとなぜ言わない! 休暇中はできるだけメッセージしないようになどと言ったことを、休暇初日にはもう後悔していたとなぜ白状しない! 琴乃からのメッセージを今か今かと待ち続けていたとなぜ言わない! 書物など読む気になれず、途中で放り出したとなぜ言わない! 初恋の物語など琴乃の気を惹くために書いていたにすぎないと、なぜ涙ながらに訴えない! 


 もう琴乃には知られているのだから、ボクがいかに弱々しく琴乃だけを頼りに思っているか、彼女はすっかりお見通しなんだから、素直に寄りかかればいいものを…… きっと彼女はわかってくれるはず。こんなボクでも、きっと受け入れてくれるはず。それを信じないで何を信じるというのだ……




 だが、できない。ボクにはそういう習慣がない。弱音を吐くことができない。いかに琴乃を頼りにし、生涯唯一の人だと確信してもできない。それがボクという生き物なのだ。人と寄り添って生きるということを知らないボクという生物なのだ。人間ではない。人間らしくもない。どこまでも鎧兜に身を固め、そのくせ気付いてくれと仮面の下で声もなく泣いているような生き物なのだ……




「ごめんね、すぐ来るからね」




 当然だろう。6日間も家を空け、帰ってきたばかりだ。しかも家人が一緒なのだ。彼女がボクとのメッセージに今すぐ没頭するなど、期待する方が無理だ。


(でも…… 琴乃…… ボクは若干待ちくたびれているんだよ。ひょっとすると上手にメッセージできないかもしれない。あらぬことを口走ってしまうかもしれない。何かのきっかけで絶望してしまうかもしれない。それだけギリギリなんだよ。ボクはもうダメだ。琴乃の気配が一瞬でも消えてなくなると、もう夜も日も明けないよ……)



 休暇中、ボクは賭けに出た。彼女の気持ちがどう揺れ動くかの賭けに出た。でもその賭けの結果を聞く前に、ボクは自分自身との賭けに大負けした。ボクは彼女なしでは生きていけない、そのことを切実に知らされた。それだけでなく、この危うい状況はもはや両刃の剣となり、何かをきっかけに一瞬にして彼女を切り刻んでしまうかもしれない狂気も備えてしまっていることに気づく。



(愛憎半ばとはこういうことなのか……)


 

 ボクは中途半端にしか知らない言葉を口にしてみる。



(いや、そうではないな…… 愛は狂気に転じる、だな)



 人を愛する心理状態というのは確かに尋常な状態とは違うかもしれない。相手に強く依存し、自分の存在と相手の存在が瞬時に入れ替わったりする。相手を愛しているのか、自分を愛しているのか判然としない状況に追い込まれることがある。なにもかもが、自分と一体でなければ気が済まない心理状態といってもいいかもしれない。ボクは彼女のことをアンドロギュノスの片割れと呼ぶ。彼女は一体不可分のボクそのものでもなければ満足しないのだ。


(ボクは異常だよ…… それでも愛してくれるよね…… ねえ、琴乃……)

読んでくださってありがとうございました。

いかがでしたでしょうか?


ご意見ご感想お聞かせいただくと嬉しいです。


次回は連休中にそれぞれ意識の上で変化のあったふたりも、久しぶりの会話で瞬時に元の関係を取り戻します。その様子を描きます。

引き続きお読みいただけると幸せです。よろしくお願いします。

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