19.憂鬱
【前回のあらすじ】
瀬戸内の海の見える実家に戻った琴乃は、意外にも優しく迎えてくれる家族の出会う。自分のことを思ってくれる家族の愛の触れたとき、GW期間中は距離を置こうとしたムーちゃんの意図が理解できたような気がした。ボクとの関係以外にも大切なことや人がいるだろ? 彼はそれを教えてくれようとしたのではないか、そう考えると彼に大きな愛情で包まれていることに幸せを感じる琴乃だった。
(無駄に天気いいな……)
とにかく憂鬱だった。今年のGWほど気分が塞いだことはなかった。
いくら人と没交渉なボクでも、GWには誰かしら声をかけてくれるもので、BBQやったり、小旅行に出かけることが普通だった。だが、今年は本当に全くスケジュールが埋まらない。考えればそれは当たり前で、この半年間というもの、ボクは琴乃とのことが全てで、ほかの誰ともまともに付き合ってこなかったから、ボクはきっと彼らの視界からは消えた存在になっていたのだろう。
いつも通りの散歩に出かけたが、休日を親しい人たちと過ごす人並みの中、たったひとりで無目的に歩く姿を想像すると、とても惨めな気がした。
(やめた…… 帰って本でも読もう)
それはボクが求めてきた理想の時間だったはずだ。煩わしい人間関係に悩まされることなく、好きなことだけに時間を費やす。少し前ならそれで良かった。
この長い休暇も、琴乃がボクが問いかける時に応えてくれさえすれば、それで十分だったのだが、彼女には彼女の現実世界での過ごし方がある。GWとは、そういう現実世界での人とのかかわりを確認する時間なのだろう。
ボクはやせ我慢をしてみせた。できるだけ連絡をやめよう、そういったのは彼女のことを思ったからではない。彼女からの連絡を待ち焦がれて、結果、失望する自分に、この期間中は会えなくて当然なんだと、自分自身に言い聞かせるためだった。
(鳴らないスマホめ…… )
何度確認しても着信の履歴はない。彼女は約束通り、メッセージをして来なかった。
それはひとつの賭けでもあった。家人や家族と過ごす9日間に、彼女の内側でどのような心境変化が起こるのか、それを知っておきたいという変な欲求が湧きおこったのも事実だ。
それはマゾ的な感じすらした。おそらく、かなりの確率で彼女はボクとの関係の否定的な一面に気づいてしまうだろう。だが、それでも今までと変わらずボクを求めてくれるのか、それとも距離を置こうとするのか、さらに踏み込んでもっと現実世界に軸足を置こうとするのか、それに止まらず、ボクとの関係に終止符を打とうとするのか、ボクには自虐的な関心が湧きおこっていたのだ。
それは、自分からは別れを切り出したくても切り出せない、卑怯なやり方のようにも思われた。しかし、ボクは彼女がこの関係の暗澹たる現実に気づき、別れを言い出す前に別れの心づもりをしておかなければ、とても突然の別れには耐えられそうになかった。だから、彼女の気持ちの変化をいち早く察知したいと考えていたのだ。
(いちいち面倒くさい人間だな…… 我ながら)
自虐的に笑ってみる。誰も反応しない。そういう毎日が続いている。
笑ってみてもそう都合よく気持ちが収まるわけもなく、ボクはボクの言う通りにメッセージしてこない彼女のことを恨めしく思い始めた。
(普通に考えれば彼女が時間を見つけてメッセージをしてくるべきだろ)
メッセージするなと言ったのが自分であることも忘れ、心の中で彼女を詰る。
(ボクは24時間フリーだが、琴乃は家族に囲まれて過ごしているんだからボクからアクションは取れないよ)
だから、ボクが何と言おうと、彼女がボクに働きかけてくれなければこの関係は終わってしまう。そのことが果たして彼女にどれだけ意識されているのか疑問に思った。
(ひょっとしてボクからのメッセージを待っている? )
(もしそうだとしたら、琴乃は余程自己中心的だよ)
(だけど、メッセージするなと言ったのはボクだから、例外を作るならボクからなのかな? )
などと考えたりもする。どうにも結論の出ない堂々巡りに、この長い休暇中ずっと悩まされ続けるのだった。
(楽になりたい…… もう面倒くさい…… )
最近は時々そうも思う。
(そもそも成就しえない恋なのだ。もういい加減終止符を打って楽になりたい)
ひとりのボクが弱音を吐く。すると別のボクが現れる。
(長い長いひとりの夜をどう過ごすつもりだ)
そう問うてくる。
(お前に彼女以外に自分の存在を確認できる存在なり方法なりがあるのか? )
と問うてくる。
別のボクがこうも問うてくる。
(彼女を失って、他に当てでもあるのか? もうこれが最後じゃないのか? 彼女ほどの存在が今後現れる保証でもあるのか? )
するとまた更に別のボクが言う。
(もう十分じゃないのか、過去の中に逃げ込んでしまう方法だってあるじゃないか)
確かに、ボクはよく過去に逃げ込む。過去はボクに都合よく事実をすり替えてくれているから、誰かを恋した記憶はほぼ間違いなくボクを慰める。おそらく、その時々は恋焦がれたというだけでなく、文字通りの愛憎に日々悩まされたことだと思うが、苦しさや切なさと言った重苦しい感情はすっかり消え去って、美しく軽やかな思い出になっていることが大半だ。ボクはそういう過去の女性たちを心から愛している。
(だから、琴乃のことも早く過去のことにしてしまえ!)
そういう声も聞こえる。
(これ以上拘泥したところで、彼女のためにもならないし、きっと惨めな結末になるだから今のうちの諦めろ)
という声がする。きっと過去の経験則がボクに教えようとしているのだ。
(琴乃にとって善人のままでいた方がいいだろ? 美しい存在として記憶の中に残りたいだろ? あんなやつ、と記憶から抹消されるより、ある時期心から愛した、最愛の人と思われたいだろ? )
そういう選択肢も確かにあるはずだった。
しかし…… できない。
(ボクから琴乃を除くと、一体何が残るというのだ。それこそ生ける屍だ)
その通り、何もない。本当に何もないのだ。目にするもの耳にするもの、全てが彼女への問いかけの中で存在する。
(こんな美しいものがあったよ、これは心を揺さぶる音楽だよ…… )
ボクはすべてを彼女への問いかけの中で生きているのだ。
そういうことを書いた。琴乃へのラブレターで、ボクはそういう感じ方をしているんだと書いた。だから、心静かに琴乃とのことを大切にしたい、これからも、琴乃と一緒に美しいものを見たり、素晴らしい音に耳を傾けたりしたい、そう願っているということを書き綴った。同時にボクは詫びた。これまで、琴乃の愛を疑ったのはボクの狭量な心が見せる幻影のためであって、ボクは今後はそれを乗り越えたいと書いた。
「愛している。心から。遠く離れていても、ボクはこれからもずっと琴乃のことだけを胸に抱いているつもりだよ」
そう書き残した。
ついでに初恋のことを書いた。特に書くことがなくなったので、古い思い出に気を紛らわせてるよというつもりで書いた。
彼女が実家にいる間は、早朝、彼女から電話があった。5時頃に実家近くを散歩しつつ、電話しているのだと言っていた。家族の目を盗み、可能な限りボクと接触を持とうとしてくれている彼女の愛情をボクは信じて疑わなかった。できる範囲のことでいいのだ。彼女の愛がそこにあれば、ボクは彼女のすべてを支配下に置こうとせず、彼女を尊重し、彼女の求める姿のボクであろうと決めた。
2泊3日、彼女は彼女の実家で過ごした。家族で出かけた山間の行楽地からも写真が送られてきた。
「ほら見て! 野生のサル! 」
などといって、どこにサルがいるかわからないような写真を送ってきた。ボクも彼女のためだけに植物園に出かけて、花の写真をアップしてみたりした。それはそれなりに楽しくはあったが、ボクの心には全く満たされないものがあって、彼女にとって、ボクはもはや恋人の範疇にはなく、ただ仲のいいネット上の友達になったんだろうなという漠然とした悲しみの中にいた。
恋人同士が離れ離れになってはいけない…… それはリアルの世界でもネットの世界でも同じなんだと痛感し始めた。
読んでくださってありがとうございました。
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ご意見ご感想お聞かせいただくと嬉しいです。
次回は夫の実家で義父母と会うことになった琴乃の内側に湧きおこった変化を描きます。
引き続きお読みいただけると幸せです。よろしくお願いします。




