18.帰省中のこと
【前回のあらすじ】
ヌード写真を巡って、かつてのような楽しい会話を続けたのも束の間、いよいよ琴乃の夫の単身赴任が終わる前日を迎え、「ボク」の気持ちはまた揺れ始める。
なぜ琴乃夫婦は別れないのだ? 関係性が終わっているのに、なにに拘泥しているのだ?
不信感が拭えないボクは、GW中には一切のメッセージ、電話を止めてみようと提案する。
気が重かった。ムーちゃんとの関係が始まって、私たち夫婦の実家に帰省するのはお正月以来2度目だけど、その時に比べると格段に気持ちが塞いでいた。
思い返すと、お正月はまだ家族での団欒が楽しめていた。おせち料理を囲んでみんなで自然に笑いあったし、瞬間瞬間ではムーちゃんのことを忘れている時間もあった。忘れていても罪悪感もなかったし、ふとメッセージしたいなと思った時に、さすがに家族の目の前からはできなかったけど、特に隠れることもなく、ごく自然にスマホを触り、メッセージした記憶がある。
妹から、何してるの? と問われて、ブログのことも話したし、確か、家の人も、こんなことばっかやってるんだよと言ってた気がする。それは私の実家からだけでなく、彼の実家に行った時もそうだった。親戚の人も集まる中でおせちを食べた後、ゆっくりしてていいという義母の言葉に甘えて、ムーちゃんにおせちを食べたことをメッセージした。そのあとで、また何ごともなかったかのように家族の会話に戻れた。
あれから…… 私の気持ちはすっかり変わってしまった。笑えない。家族といても笑えない。何も楽しめない。そんな気がしている。どこにも出かけたくない、留守番していたい。放っておいて欲しい。そうもいかないことがわかっているから、新幹線の中で気持ちは塞いだままだった。
「そういえば、確か留守番で一度帰ってるんだよね?」
家の人が質問する。
「ええ。祖父の世話で」
「じゃあ久しぶりでもないね。お母さんや真子ちゃんにも会ってるし、お父さんにも久しぶりというわけではないんだね」
「ええ…… 」
「元気ないね。せっかくのGWなのに、笑おうよ、アハハハハ」
「あはは…… 」
「うん、そういうのでもいいよ。病は気から、笑いも気から、ハハハハハ」
この人はずっと腫れ物に触るように私に接してきた。不妊治療が原因で精神的に追い込まれてからというもの、それまでは救いだと思っていた彼の笑顔が作為的なもののように思われて、とても真正面から見る気にならなくなった。
私はすっかり忘れていた。彼は私と出会う前、鬱病で苦しんだ。薬に頼らなければ何もできない時期があったこと、そういう辛い時期を経て、ようやく笑えるようになったんだよと教えてくれた時、私はこの人のための人生でいいと思ったこと、そういうことを思い出していた……
なぜ今頃こんなことを思い出すのだろう。9日間もムーちゃんと会えないこんな時に、なぜムーちゃんのことではなく、もう関係が終わったと思っていた家の人とのことを思い出すのだろう……
単身赴任が解消されると聞いた日から、私は時々家の人との過去を思い起こす。なぜそんなことを思い起こすのか、その理由はわからない。ただ、月に何度かの休日に、短い時間を過ごすだけの人なら思い起こさなくて済むことが、長い時間を同じ場所で過ごすとなると、知らず知らず意識してしまうものなのだろうか……
勝手に私の意識の中に入ってくる家の人が少し煩わしくはあった。
新幹線の駅を降りると、父と妹が待っていた。
「おかえり」
父は言葉少なに迎えてくれた。きっと厳しい顔で迎えられと思っていたが、普段と変わりない。妹も、梅田で喧嘩別れしたことなどなかったかのように、その帽子似合ってないよ、などと軽口を叩いて笑わせた。
瀬戸内の海が見える実家に戻ると、母と祖父に出迎えられた。
母も笑っていた。あの日、私の部屋に掃除機をかけながら涙をためていた母の姿を思い出した。目が合った瞬間、少しだけ涙目になった気がしたけど、母はさぁさぁお昼お昼と言いながら、台所に戻ってしまった。
「おじいちゃん、ただいま」
「おぉ、おぉ、よう帰ってきた。ベイカがあるとええがのぉ」
おじいちゃんは私の好物の話題を出してみんなを笑わせた。父は笑顔のまま黙って私の頭を撫でた。
これが私の家族だ…… そう思うと、これまでの塞いだ気持ちがなぜか楽になった。
ムーちゃんのことを一瞬でも忘れたことは本当になかった。私は今でもきっとムーちゃんのことを愛している。それを疑ったことはない。ただ、私の周囲には私の幸せを願う家族があることを忘れていた。ムーちゃんを思う気持ちと、家族を大切に思う気持ちは両立しないのだろうか? そんなことは決してないはずだ。どちらも大切な存在なら、どちらも大切にすればいい、そんなふうに思えた。でもこのことをムーちゃんがどう受け止めるかは少し怖かった。
ムーちゃんのことが怖い。最近は少し怖い。メッセージしていても、私の不用意な一言で深く傷ついてしまうムーちゃんのことが怖い。誰よりも愛しているけど怖い。優しさと同居する残酷さのようなものを感じて最近は怖い。でも言えない。私はムーちゃんに約束したから言い出せない。ムーちゃんのすべてが大好きって言ったから、ムーちゃんを大切にするしかない。そう思いなおした。
幼い頃から使ってきた部屋に入る。ほんの一瞬だけどひとりきりになれる場所。お正月はこの部屋からムーちゃんに何度かメッセージを送ったことを思い出す。
共有ドライブを覗いてみた。ムーちゃんが書いてくれると言っていたラブレターはまだアップされていなかった。
少しホッとした。
ムーちゃんにもムーちゃんの大切な人との時間があるはず。そう思うことにした。私に大切な人があるように、ムーちゃんにだって大切にしなければならない人があるはずだ。私しかいないというようなことを言うけど、そうではないことを知っている。
ムーちゃんには愛する娘さんがいる。私とLineでやり取りしないのは、娘さんのアイコンと私のアイコンが並ぶのを嫌がったためだと知っている。私がその話を忘れたとでも思っているのだろうか? どれだけ傷ついたか……
でも、それでいいんだと今は思う。私だけを大切にするのは不自然だ。
「私と娘さんのどっちが大切なの! 」
あんな言葉、飲み込んでおいてよかった。
父と家の人がお酒を飲み始めた。昼間からビールなんて、ムーちゃんみたい。そう思ったけど、ムーちゃんのことはそこで一旦忘れることにした。
(これで良かったんだよね)
ムーちゃんはGW中は少し距離を置きたい感じだった。
(メッセージも電話も、できるだけしないようにしようと言ったのはムーちゃんだよ。それは、私に大切な人々が周囲にいるってことを知らせようとしてくれたんだよね。
ムーちゃんは冷静でいつも私のことを考えてくれるから、これもそうだったのかな。
やっぱりムーちゃんのことが好きだよ。大好きだよ。だってこんなに大切にされているんだから、私は私なりに、ムーちゃんの幸せを願わないといけないね)
夜、遅くなってドライブを見た。ムーちゃんからのラブレターが届いていた。なぜか初恋の頃のことが延々と描かれていた。私のことを考えていて初恋の頃のことを思い出したらしい。
(ヤキモチ焼きの私に少しヤキモチを焼かせたいのかな?)
そんなふうに思った。でも、今はヤキモチも焼かずに心静かにムーちゃんのことを知りたいと思えた。恋焦がれるというより、ムーちゃんという人がどんな歴史を持ってるのか、それを知りたいと思った。
(明日は早起きしてムーちゃんと電話で話そう。
おやすみ、ムーちゃん…… 最愛の人)
読んでくださってありがとうございました。
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次回は強がりからGW中の連絡を拒否してしまった「ボク」が送る悶々とした9日間のことを描きます。
引き続きお読みいただけると幸せです。よろしくお願いします。




