16.ヌード
【前回のあらすじ】
ヌード写真を撮るといい始めた琴乃。その言葉に、過去、琴乃が送ってきた彼女の後ろ姿の写真のことを思い出した「ボク」。その時も、自分の姿を見せたいとはしゃぐ彼女に、若々しく美しい姿を想像したことを思い出していた。
そして、ヌード写真を撮ることについても彼女は本気らしい。でも、悲壮な感じはせず、ふたりはかつてはいつもそうであった楽しい会話を懐かしんだ。
月曜日。仕事から戻ると食事をそこそこに済ませ、ゆっくり湯船につかった。
(あと3日しかない)
(うまく撮れるかしら…… )
肌が荒れてる感じがする。身体を捻って鏡の中の背中を見る。
(かさついてない?…… )
(写真にするとどんなふうに写るのかな? )
そんなことが気になった。
綺麗に撮りたい。一番綺麗な私を、あの人の記憶に焼き付けたい。決して褒められた身体のラインじゃないことは自覚があるけど、それでも知っていて欲しい。
(裸を見せたら、あの人の気持ちに影響あるかしら…… )
これまで付き合った人からこんな要求されたことなど一度もなかったし、もし要求されたとしてもきっと断っていたと思う。実際、4か月間海外留学した時に、今の家の人とは付き合い始めたばかりだったけど、彼からそういうことを求められたことはないし、見せたいと思ったこともない。
そう…… 家の人と付き合い始めた直後に、私はあの人から数千キロも離れた場所にいたんだった。付き合ってはいたけど、彼の存在は留学中の私に何の影響も与えなかった。帰りたい、あの人に会いたいなんて、一度も思わなかった。スピリチュアルの先生からは、この人はあなたの運命の人とは違いますよと言われていたし、付き合い始めたときから、この人と結ばれるのは愛とは違うのかなって思ったてたところもあったから。
(あ~、嫌だ、なんで家の人の事なんか思い出しているんだろ)
単身赴任じゃなくなるって聞いてから、時々家の人とのことを思い出すようになった。好きでも何でもない。空気のような存在。いてもいなくても構わない。むしろ、家の人の姿を見ると、ムーちゃんはどうしてるんだろうと思ってしまうくらい。だけど、時々昔を思い出す。懐かしくもないのに思い出す……
……
ソファーの前に三脚を立て、一眼レフを用意した。セルフタイマーをセットして、とにかく何枚か撮ってみよう。
ヌードといっても、そんなに恥ずかしい写真は撮れない。
(横向き? 背中? 裸をイメージさせればそれでいいのかな? )
(あの人はお尻フェチだといつも言ってるから、お尻を見たがるのかな? )
(アハハ、そんなの撮れないよ)
タイマーをセットする、ソファーでポーズを取る、シャッターが下りる。出来上がりを確認する、カメラの位置、ポーズ、それらを考え直す。そしてまたタイマーをセットし、ソファーに向かう……
何回繰り返しただろう。少なくとも20枚くらいは撮っただろうか。
体が冷える。なんだかとても疲れた。
(クタクタだよ…… )
ムーちゃんとメッセージしたい。電話もしたい。声も聞きたい。でも時間がない。撮影できるのはもう明日と明後日しかない。
(うまく撮れるのかしら。ムーちゃんは喜んでくれるのかしら。受け取って、がっかりされたらどうしよう。やっぱり止めたといったらどうなるのかな…… )
(とにかく、ムーちゃんとメッセージがしたい…… )
撮影を切り上げて、ムーちゃんにメッセージを送る。もう23時を回っている。知らない間にすっかり遅くなった。
「こんばんは、ムーちゃん。遅くなりました」
すぐに返信がある。
「琴乃、待ってたよ」
ムーちゃんは優しい。どんな時間でも、本当にすぐに返信がある。どうしたんだろう? などと考えなくていいから、とても落ち着く。
「ちょっと、写真…… 撮ってみました」
「うん。遅いからそうかもって思ってた」
「明日も撮って、納得できるのが撮れてから1枚だけ送るってことでいい?」
「え~~~~、そんなあ~~、全部ください(笑)」
「え~~~って…… 一枚だけ持ってて欲しい」
「ハハハ、今のは冗談。琴乃のいいようにして」
「ホントはもっと欲しい?」
「バレたか…… 欲しい。なんか興奮してきた」
「私も。すごくドキドキしている。今も止まらないよ」
これまでも際どい会話は何度もしてきた。ムーちゃんは自分はエッチだと公言していた。どういうセックスが好きだとかそういう会話もしていた。私は最初のうちこそとてもそんな会話についていけそうになく、エッチな話をするムーちゃんは嫌だと言ったこともある。
だけど、ムーちゃんはこういった。
「セックスを軽く見たり否定してはいけないよ。恋人同士がもっともっと深いレベルで親密になるための行為だからね。セックスは身体が相手を受け入れるだけじゃないよ、相手の存在そのものを受け入れるってことだからね。それを拒否することは相手の存在を否定するってことと同じだからね」
家の人とは完全にセックスレスになり、一生涯そういう行為がなくても全然平気だと思っていた私には最初信じがたい言葉だった。でも、彼が繰り返し愛とセックスの意味を語るのを聞いていると、徐々にセックスに対する嫌悪感がなくなるのを感じたから、私はムーちゃんにだけは抱かれたいと正直に伝えたられた。
「どんな写真なのかな?
なんか異常に期待してるんですけど(笑)」
ここ最近影を潜めていた陽気なムーちゃんが戻ってきた感じがした。メッセージを交わし始めた当初、彼は陽気だった。
話題も豊富だった。オペラのこと、映画のこと、絵画のこと、漱石やサマセットモームのこと、好きな風景のこと、過去の恋愛のこと、東京でのこと、故郷でのこと、学生時代のこと、とにかく、私の知らない世界のことをよく話してくれた。
刺激的な表現を使って、私の関心を嫌でも高めてくれた。それにつられて、私も話していないことが見つからないくらい様々なことを話した。だから、最初の一か月くらいで、お互いの内面に関することはほとんど知っていたかもしれない。ただ、その時々に湧きおこる、今この瞬間の感情については、彼は蓋をしたがったし、相変わらずプライベートな情報は話さないままだった。
でも、今は付き合い始めの頃の彼がそこにいる。それがとても嬉しかった。
「どうしよっかな~、一枚だけ見せよっかな~、ウフフ」
「全部フルヌードってことでもないんでしょ? 一枚ぐらい見せてよ」
「え~~~、それは最初の趣旨に反するなあ」
「なんだよ、その趣旨って?」
「ん? 私のことをずっと忘れないでもらうための記念の一枚にするってこと」
「ふ~ん、それは別れた後も私を忘れないでって意味で?」
一瞬凍り付いた。別れる…… そんなつもりでは決してないけど、その言葉の現実味がいつからかそれと認識されるようになっていたから。
「…… そんな意味なんかないのに」
「ごめんごめん、別れる男にヌード写真送ることほど危ないことはないもんね、アハハハハ」
「綺麗な写真が撮りたい。今日のはね、なんとなくまだ納得いかないの。明日も撮るから、待ってね」
「うん、待つよ。納得できるまで撮ってね。ボクは綺麗なものだけでなく、全てが欲しいと思ってるのは本当だからね。ありのままの琴乃が見たいと正直に思った」
「わかった。考えてみる。恥ずかしいけど」
「じゃあ、お尻の写真もお忘れなく」
「も~~~、ムーちゃんのお尻好きは本物だね、アハハ」
「ウソついてもしょうがないし」
彼とこんな話だけしていられる時間がもっともっと欲しかった。文字の世界や電話越しでなく、傍にいて、息吹を感じながらこんな話をしたかった。これから渡す写真が、そのための何かの動機づけになればいいのにと心からそう思った。
読んでくださってありがとうございました。
いかがでしたでしょうか?
ご意見ご感想お聞かせいただくと嬉しいです。
次回は琴乃の夫の単身赴任が終わる日を前に、再び動揺を始める「ボク」を描きます。
引き続きお読みいただけると幸せです。よろしくお願いします。




