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15.彼女の後ろ姿

【前回のあらすじ】


妹からの痛切な批判に動揺する琴乃。逃げ場所はムーちゃんとのメッセージの場しかなかった。

そこで聞いたムーちゃんの休日。彼女の送った写真を眺めながら時間を過ごしているという話に心が動かされる。


この人のためならなんでもしよう。


彼女は彼が冗談で口にしたヌードが見たいという言葉に反応する。ヌード写真で彼との関係を一歩も二歩も進めようと決意する。

 彼女はボクの姿を知りたがった。ボクは日々の通勤の都度、地下鉄の暗い車窓に写る自分の情けない姿を見続けているから、ボクの姿など見たところで失望するだけだと断り続けてきた。それでもどうしてもと彼女が言うから、ではお互いシルエットを写して交換しようということで誤魔化した。


 ボクは近所の壁際に行って、適当に上半身のシルエットを写した。彼女はどこかの歩道橋から、斜めに差し込む日差しを受けた全身のシルエットを送ってきた。


「買ったばかりのスプリングコート着てるんだよ」


「なんかカッコいいな。できる女、って感じだよ」


「ウフフ、そう、うれしい。見せたいな、ベージュの新しいコート」


「そのうちね」


 ボクはその次の会話を打ち切った。彼女のシルエットを見るだけで、彼女が本当はボクに躓くような人物じゃないことは容易に想像できた。現実世界で会っていたら、きっと彼女はボクなんかには見向きもしなかっただろうに…… そう思うと情けないやら、申し訳ないやら、とても複雑な気持ちになった。


「探したらね、後ろ姿の写真がまだあった! 見たい?」


「……うん、まあね」


「見たくないの……?」


「ううん、じゃあ送って」


 無邪気に喜ぶ彼女を止めることなどできるはずがなかった。


「ほらこれ。これね、アイコンに使ってた高原の風景あったでしょ。あそこで撮ったの」


 木製のブランコにちょこんと座ってる小さな女の子、そんな感じの写真だった。


「まるで子供だね」


「ひど~い、もう立派な大人だよ!

 こっちはね、お堀沿いの風景を撮ってるときに後ろから写された、アハハ」


 今度はどこかの城址公園だろうか? カメラを構える彼女の全身を、斜め後ろから写したものだった。そのどちらも、彼女のことを愛しく思っている人物が、ファインダー越しに彼女を見つめ、そして微笑む姿が想像できるものだったから、ボクはちょっと胸がキュンと痛んだ。嫉妬というより、単に胸が痛んだ。


「いい写真だね」


「うん、かわいいでしょ。思ってた私と違う? 同じ?」


「アハハ、ちっちゃいってイメージだな」


「背は低いって言ったでしょ。もう~、いまさらなんだから~~」


 彼女は快活だった。自分の姿を見せてこれほど無邪気に喜べる彼女が羨ましかった。彼女はまだ十分に若く美しい。画面からそういう姿がはっきり見て取れる。


「ムーちゃんは本当に持ってないの? 後ろ姿の写真」


「持ってないよ。後ろ姿どころか正面からのだってそんなにないよ」


 それは本当だった。娘と旅先で撮った写真はあった。しかし、それも娘が面白半分に撮ったものばかりで、自分の姿をきちんと画像に残そうと思って撮ったものなど一枚もなかった。


 きっと彼女とボクとでは人生に対する意義づけが違うんだろう。彼女は彼女自身が言うほどに現実世界から遊離しておらず、そこで笑い、楽しみ、時々涙を流し、そしてまた翌日からは頑張ろうと思えるタイプなのだ。

 一方のボクは、孤独を愛しているといいつつ孤独を恐れ、誰からも振り返られないことに失望しないよう、あらかじめ現実世界から距離を置こうとしているだけのちっぽけでつまらない男だった。


「…… ムーちゃんのことがもっと知りたいのにな」


 彼女の言葉に嘘はないのだろう。そして、彼女がボクと会った時、その落胆の色を隠してくれる程度には優しい女性なんだろう。だが、ボクは彼女の輝く姿を見せられれば見せられるだけ、おそらく彼女と距離を置いてしまうだろう。愛しくてたまらない彼女を完全に失わないために……



…………


 そんなやりとりが思い出された。彼女がヌードを撮る、見せると言い始めたとき、ボクは本気にしてはいなかった。最後の最後に、彼女はきっと、やっぱりムリ、と泣きついてくるだろう、そう思っていた。

 だから、見たいかと問われた時、見たいと答えたのだ。彼女が許しを乞うまで虐めてやろう、その程度のつもりだった。実際、じゃあ撮るねと言った後、彼女からのメッセージは途絶えた。


(ほら、やっぱり…… )


「冗談だからね、本気にしないでね…… ってするわけないよね」


 


 しばらくして返信が来る。


「今ね、どうやって撮るか、考えてたの。カメラの位置とか」


「…… そう」


「うん。撮るよ。明日撮る。本当は今すぐでも始めたいけど、家の人がいるから」


「アハハハ、家の人に撮ってもらうとか…… ごめん、シャレにならんな……」


「ムーちゃん…… 私は本気だからね。ムーちゃんのためだけに撮るんだからね。それだけは忘れないでね」


 メッセージから、彼女の上気する様子が伝わってきた。彼女はきっと本気だ。


 出会って間もない頃、ボクと恋に落ちますと宣言した時のような、ちょっと常軌を逸した感じのことを言い始めたりし始めたりするのは、ある意味で彼女らしい情熱の現われだった。


 彼女は弱々しいだけの存在ではない。意志が固まればそれをどこまでも押し通していく強さがあった。ボクと恋に落ちると宣言して以来、どんなにボクが揺れ動こうといつもボクにしがみつき、決してこの恋を諦めないでくれたのも、彼女のこの意志の強さに負うところが大きかったと今は思える。


「ねえ…… そこまでボクを信用していいの? リベンジポルノとか心配しないの?」


 むしろボクが心配になる。


「そのことは心配してないよ。ただね……」


「ただなに?」


「ムーちゃんに嫌われちゃうかなと思うと、それがちょっと心配……」


「なんだ、そんなことか」


「だって私、痩せてるよ……」


「可愛いね、琴乃は。そういうところが大好き」


「お尻ちっちゃいよ……」


「ハハハハハ、それは困る!」


「ショック…… 嫌われるならやめる……」


「いやいや、そんなこと気にしてないから。琴乃のそのままを受け止めるから」


 いつの間にかボクが説得する側に回っている。


「ホントに?」


「うん、ボクのためだけに撮ってくれるんだもんね」


「うん、誰にも見せたことがない……」


「ありがとう……」


 この状況で断る男がいるだろうか?


 まあいい。明日までまだ一日ある。もし彼女が今日のことを忘れて、明日、写真のことを何ひとつ話題にしなければ、ボクが忘れたことにしてやればいいだけのことだ。

 ボクは彼女がくれるはずのヌード写真より、それをボクに見せたい、ボクだけのために写したいという彼女の気持ちを心の底から愛しいと思った。

 

 愛されることの実感をどのように与え、与えられるか、おそらく多くの恋人たちは悩むのだろう。愛することは本来形而上のことであって、限りない愛の言葉こそ、その姿に一番近いのかもしれない。

 だが、その文字を目にして意味を感じるより、人はもっと具体的な姿を追い求めてしまうものなのだ。それが象徴として取り交わされる指輪であったり、思い出の写真だったりするのだろう。

 彼女は言葉ではない愛の姿を、自分の裸の姿に託そうとしているのだ。そのことをボクはちゃんと理解しているよと伝えたかった。


「琴乃。ボクは琴乃がくれる写真だけを待ってる訳じゃないからね。琴乃のすべてを待ってるから」


 琴乃のすべて…… 

 ボクはあの時、その意味をちゃんと分かって伝えたのだろうか……

読んでくださってありがとうございました。

いかがでしたでしょうか?


ご意見ご感想お聞かせいただくと嬉しいです。


次回は自分のヌード写真をムーちゃんに送ることを決断した彼女と、それを受け止める彼との、ひとときのやわらかなやりとりを描きます。

引き続きお読みいただけると幸せです。よろしくお願いします。

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