14.あなたのためにできること
【前回のあらすじ】
琴乃との連絡がままならない休日を、ひとりの部屋で過ごす「ボク」は痛切な孤独を感じる。
妻との約束で、琴乃を受け入れる条件が揃わないことを知っている「ボク」は思い悩む。
そこへ琴乃からいつもと変わらぬメッセージを受け取り安堵する「ボク」
その「ボク」に抱かれても構わないという琴乃の言葉を受け止めきれない現実を抱える「ボク」は悩む。
妹に付き合って梅田まで来ている。妹と両親、そして私の四人家族でLineを始めたばかり。おはようとおやすみを言い合うだけなのに、最近はそれすら少し面倒になってきた。そんな時、急に泊まりに来ると言い出した妹は本当に買い物が目的だったのだろうか? この子のことは嫌いじゃないけど、今は余計な時間を費やしたくない。今週木曜日には家の人の単身赴任が終わる。ムーちゃんとの時間は残されていない。そんな焦りの気持ちが顔に出ていたのか、ショッピングをしても上の空の私に妹はこう話しかけてきた。
「理子ちゃん、笑わなくなったね」
「疲れてるからよ。ねぇ、もう帰ろっか」
あちこち眺めるだけで、特に何かを買い求めるという感じでもない妹に少しイライラしてる。オープンテラスでお茶なんかしたくもないのに付き合わされている。
「理子ちゃん、毎日楽しい?」
楽しい? 楽しいという時間がどんなものだったか、すっかり忘れていた。ムーちゃんとの時間は確かに最初楽しかった。メッセージをやり取りする中で、何度も笑わせられた。いや、彼が良く笑った。私の使う絵文字やスタンプが、今のこの状況には全然合ってないとよく笑われた。でも、すぐに、そういうところが可愛いと言われて、とても嬉しくなった。
楽しい? 楽しいと言えばその頃のことを真っ先に思い出す。
だけど、最近はおどおどしている。ちょっとした言葉にすぐ反応する彼が怖い。怖いけど、メッセージを送らないと気が済まない。彼が私のことを思っていない空白の時間ができることがとても不安で嫌!
「仕事も忙しいし、楽しいことばかりじゃないわ」
「そうなんだ…… 顔色も良くないし、痩せた?」
妹だから遠慮がない。
「何が言いたいの?」
私はさらにイライラしてきた。この子はきっと母に何か言われて来ているに違いない。
「じゃあはっきり聞くわ。誰と付き合ってるの? 会社の人じゃないよね。お兄さんの会社とも取り引きがある今の会社の人とそんなことはあり得ないよね。
ねえ、誰なの? お母さんから泣きながら電話があったのよ、理子ちゃんが変だって。お父さんも心配してるって」
家族に何がわかるというのだ。心配してくれるのはわかるけど、中学受験の時からそういう家族の心配は重荷なだけで煩わしかった。放っておいて欲しい。もう何歳になったと思ってるのだろう。娘のことで涙を流し、それを間接的に伝えて娘の行動を縛る、そういうことを何度繰り返せば気が済むのだろう。
「誰とも付き合ってない! 真子が思うようなことは何もないわ」
「誰なの? 言えない人なの?」
「どうして聞くの? 言いたくなれば話すわ。言いたくないの、何も。ひとりになりたい、本当に誰もいないところに行きたい……」
涙が溢れそうになる。何も言えない。彼のことなど、誰に説明しても絶対にわからない。名前も知らない、顔かたちも知らない、だけど愛している、心から愛している、あの人しか欲しくない、でも会ってくれない人……
そんなことを誰が本気にするだろう。冷静な常識人に話したところで伝わらない。絶対に伝わらない。だから、私はひとりで解決するしかない。本当に彼にこの身を捧げられるのか、それとも、家の人の庇護のもとで、この切なさを抱えて生きるのか、それとも、もう彼のことは忘れ去って、現実世界との折り合いをつけるのか。もう、どれか選ばなければ、私は破滅する……
身体が悲鳴をあげている。精神状態も普通じゃない。ちょっとしたことで涙が溢れる。唯一、彼とメッセージしている時間だけ落ち着く。彼の送ってくる文字を見ている時間が一番好き。
「お兄さんは優しい人だね。きっと何かに気づいているはずよね? だけど何も言わないんでしょ?」
「そういう人なのよ、あの人は。私がいなきゃ生きていられないんだから」
「まだそんなこと言ってるの? 理子ちゃん、それは多分正反対だよ」
「何が言いたいの? 私が救ったのよあの人を! 薬を飲まなきゃ精神が壊れそうなあの人をここまでにしたのは私なのよ! あなたに何がわかるの?」
人前で話す内容じゃない。だけど、知らず知らず大きな声になっていた。
妹は周囲を見渡して、声を潜めたものの、話を止めようとはしなかった。
「そうかもしれない。でもね、理子ちゃんもおかしかったわ。結婚してからずっと。私も聞いてるから知っているのよ。不妊治療が辛いってのは聞いたことがあるから、わかる気がする。でも、それをお兄さんのせいにするなんておかしいよ、理子ちゃんがおかしいよ」
「どうして? どうして私が責められるの? お母さんに何を言われてきたの? 私を説得しているつもり? 夫婦のことよ、あなたたちには関係ないわ!」
私は席を立った。妹は席に座ったまま、私の顔を見上げてこう言い放った。
「理子ちゃん…… そんな言い方したことなかったのに……
どんな人と付き合ってるか知らないけど、その人はいい人じゃないね、きっと。理子ちゃん見てればわかる。理子ちゃん、大事にされてないでしょ?」
妹の顔を思いっきりひっぱたきたかった。
妹を置き去りにして、私はひとりで帰った。私には残酷なところがある。こうと思うと周囲が見えなくなり、それまで仲良しでもスッパリ縁を切ることがある。さすがに妹と縁を切ることはないと思うけど、私のやることに余計な口出しをする妹が許せなかった。
マンションに戻ると、家の人はTVゲームをしていた。
「おかえり…… あれ、真子ちゃんは?」
その声に応えることなく、私は自室に引きこもった。ムーちゃんと話したかった。本当は電話が良かったけれど、帰り道で電話してもつながらなかった。
「ムーちゃん、こんにちは。今いる?」
返信を待った。ムーちゃんに10分待たされることは滅多にない。
「いるよ~、琴乃どうしたの?」
ホッとする。つながった瞬間にホッとする。この人だけだと強く思う。
「妹とお買い物に行ったんだけど、疲れたから帰ってきちゃった」
「そう。だけど、これから食事の準備とかでしょ? 夜でいいよ、ゆっくり話すのは」
「うん……。 ありがとう。じゃあ今はちょっとだけ…… 」
嘘…… ずっと話していたい。ムーちゃんが引き留めてくれればずっと話してる。妹も家の人も関係ない。ムーちゃん次第なのよ。そう伝えたい。なのに伝えられない。
(どうして? どうして私は我慢してしまうのだろう)
「琴乃がアップしてくれた写真を見てた。いろんな写真がたまったね」
涙が出そうになる。私と連絡が取れない間、この人は私の影を抱いてくれている。そう思うと愛しさが募る。
「もっと撮るね。ムーちゃんに見てもらいたいものがいっぱいある」
「ハハハ、ヌードとか?」
ハッとした。冗談だと思いながらも、この時、私は裸の私も見せたいと強く思った。
「…… 見たいの?」
見せてもいいと思った。身体のラインに自信などないし、肌だって綺麗とは言えないと思う。だけど、この人が見たいと思ってくれるなら、私は見せたいと思った。
「…… そりゃ見たいでしょ、好きな人のヌードだから」
「本気で言ってる?」
きっと冗談だと思う。だけど、私は本気にさせたかった。彼との関係を、もう一歩も二歩も進めたかった。それに、母のことも妹のことも家の人のことも、もうどうにでもなれと思った。このことがバレて離婚されるなら、それが手っ取り早くていいとまで思った。
返信には少し時間がかかった。
「見たい」
私は覚悟を決めた。
「ムーちゃんが見たいなら、いいよ」
読んでくださってありがとうございました。
いかがでしたでしょうか?
ご意見ご感想お聞かせいただくと嬉しいです。
次回は琴乃がくれた後姿の写真を思い出すボク、彼女の決断を受け止めようとするボクの姿を描きます。
引き続きお読みいただけると幸せです。よろしくお願いします。




